053 告白?

文字数 1,601文字

 女の様子を見て、この相手なら後腐れがなさそうだと判断すると、「案内してあげるよ」とわざと快活に俺は言う。先に立って歩きはじめる。HMVのピンク色の看板が近づいてくると、女は決まってそわそわして名残惜しそうなそぶりを示す。その頃合を見計らって、「時間があるなら、お茶でも飲みますか」と軽く俺は訊く。女は当然のように首を縦にふり、もし俺が望むならば、そのまま、どこまででも付いてくるのだ。

 だから女には不自由していなかった。見るからに(うぶ)で恋愛経験の乏しそうな山田さとみと関わりあいをもって、厄介な状況に巻きこまれるのは嫌だった。俺は何も気づかないふりをして通した。

 だいたい、あどけない俺の同級生たちは、どうして恋愛ゴシップなどというくだらない話題に、あれほど色めきたつのだろう。さもそれが人生にとって最大のイベントであるかのように自分も周囲も大騒ぎし、無邪気(むじゃき)(たわむ)れあう。それほどの価値がある出来事だろうか。

 異性から想いを寄せられながらも、冷徹に黙殺して、自らの孤高をたもつ。俺などは、その自分の超然とした姿に自分自身で酔ってしまうが……。俺の恋人は俺自身ということか。笑止。ナルキッソスの故事でもあるまい。

 その日の昼休みも、俺はいつものように体育館でトレーニングしていた。前日にレッグ・スクワットやデッド・リフトで脚部と背部を鍛えたから、その日はベンチプレスで胸部を中心に鍛えていた。俺のベンチプレスの1RM(最大負荷重量)は120キロだが、まず最初は1RMの80%の負荷で10回バーベルを持ち上げる。それを2セットくり返す。次は負荷を90%に上げて6回、やはり2セットくり返す。最後は100%の負荷で1回だ。それがその日のトレーニング・メニューだった。

 ベンチに仰向けに横たわり、オーバー・グリップで握ったシャフトを上下させる。ゆっくり息を吐きながらバーベルを上げてゆき、最上部で息を吐き切る。おろす際は、逆にゆっくり息を吸う。肩に力が入らないように注意し、大胸筋に意識を集中する。決して焦らずマイペースを貫く。くり返すうちに筋肉が張り、体が熱くなる。汗ばんでくる。

 トレーニングは苦ではなかった。むしろ疲労が心地よい。俺一人しかいない体育館のトレーニングルームで、黙々と自分を鍛えるわが姿にストイックな悦びさえ感じるのだ。

 俺は人の気配を感じて、トレーニングを中断した。俺一人のはずだが……。

 シャフトをラックに掛け、上体を起こす。山田さとみが思いつめた表情でこちらを見つめていた。頬をピンク色に上気させて、もじもじしている。

 孤独な時間を妨害されたことに軽いいらだちを覚えたが、女の子が勇気を出してきてくれたのだ。邪険に扱うわけにもいかない。

「なに? 用?」
 タオルで汗を拭いながら、俺はわざと明るい口調で訊いた。山田さとみは、なおもしばらく躊躇していたが、ようやく思い切ったように口を開いた。

「あの……真崎(まさき)くんは……彼女とかいるんですか?」
「べつに特定の人はいないよ」
「そう……そうですか」
 山田さとみの表情が一瞬、明るくなった。だが、それきり口をつぐむと、下を向いて、恥じらっている。

「それが何か?」
 愚問だったが、ほかに言うべき言葉がなかった。

「……」
 山田さとみは言葉が出てこない。

「告白?」

 ようやく俺は、うながすように訊いた。その瞬間、山田さとみは首筋から耳にかけて真っ赤に染まると、まわれ右してトレーニングルームから小走りに出て行ってしまった。

 俺はなかばあっけにとられながら、その後ろ姿を見送った。俺があんまりつれないものだから、思い余って想いを告げにきたものの、恥ずかしさのあまり逃げ出してしまったのだ。俺が週末の繁華街でゆきずりに関わりをもつ女たちから比べれば、同じ女でも別人種のような初々(ういうい)しさである。俺は苦笑するしかなかった。山田さとみに、少しだけ、いじらしさを覚えた。
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登場人物紹介

真崎亜樹夫 (18):主人公。超イケメンのナルシスト高校三年生。きわめて皮肉屋。きわめて毒舌家。きわめて非社交的。社会に適応できず、友達が一人もいない。ハードボイルド小説、大藪春彦『野獣死すべし』と河野典生『殺意という名の家畜』を愛読しすぎたせいで中2病をこじらせ、いまだに治癒しない。変人。必要に応じて、アキラという変名を用いる。

真崎守 (52):亜樹夫の父。小さな建築会社を経営。頑固な昭和オヤジ。絶対に言い訳せず、絶対に愚痴を言わない。物事のけじめに異常にきびしく、人間の絆を大切にする。ゴリラのような、いかつい外見。息子の亜樹夫には性格のみ遺伝し、外見は遺伝しなかった (ため亜樹夫本人は安堵している)。

真崎優子 (44):亜樹夫の母。故事成句「顰に倣う (ひそみにならう)」の由来となった西施に匹敵する絶世の美女。心やさしく、小さな生命を大切にする。亜樹夫の外見は、この母から遺伝した (ため亜樹夫本人は感謝している)。

真崎樹理 (6):亜樹夫の妹。小学一年生。亜樹夫と仲がよい。快活な性格で小動物のように動作が俊敏なクラスの人気者。スナフキンとカンゴールの赤いランニングシューズがお気に入り。

石塚鉄兵 (40):真崎守が経営する建築会社の古参従業員。真崎守の右腕的存在。建築業界の裏も表も知り尽くしている。亜樹夫にとっては頼りになる兄貴分のような存在。気さくな好人物。妻との間に中3の息子がおり、高齢の両親とも同居している。

小島令子 (37):真崎守が経営する建築会社で事務を担当する従業員。シングルマザー。夫と離婚して、幼稚園に通う娘を一人で育てている。

権田総一郎 (61):アラゾニア総合建設社長。同社は真崎守が経営する建築会社の元請。

シン (城田(しろた)晨一(しんいち) (22):新宿歌舞伎町のドラッグ売人。両親はおらず、新宿区下落合のアパートで妹の智代と二人暮らし。2年前に亡くなった父親の死因は交通事故ということになっているが……。

城田智代 (15):シンの妹。成績優秀な中学3年生。温和な性格。料理の腕はプロ級。

岩清水 (18):亜樹夫のクラスメイト。草食系。かつてヤンキー連に恐喝されているところを亜樹夫に助けられたことがあり、それを恩に着て、亜樹夫をリスペクトしている。

磯谷 (18):亜樹夫のクラスメイト。100キロ超の巨漢。万引き癖あり。亜樹夫の美貌に嫉妬して反感をいだいている。

山田さとみ (18):亜樹夫のクラスメイト。亜樹夫に告白しようとしたのだが……。

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