073 俺は人間としての直感を信じた

文字数 1,624文字

 だが……それは心情的に、あまりに忍びなかった。帰る家もなく一人で夜の歌舞伎町をさすらっていた俺に、シンは一夜の宿を提供してくれたではないか。受験で忙しい智代(ともよ)も、腕をふるって家庭料理で俺をもてなしてくれたではないか。彼らの温かい心遣(こころづか)いに、はりつめていた俺の心は癒されたのだ。しかもシンは俺を信頼して、心の秘密ともいうべき父親の死の真相を打ち明けてくれたではないか。

 そんな彼らの命を奪うのか。いかに革命が非情なものとはいえ、そのような恩人を手にかけたとあっては、俺は無差別殺人者と変わりないではないか。「17歳の殺人者」たちと同類になってしまう。俺は奴らとは違うのだ。

 俺は再考した。状況を最初から、整理してみよう。

 もしシンに警察に通報するつもりがあるならば、スタンガンを見たなどと俺に正直に言うだろうか。俺が警戒することは分かりきっている。仮にシンが警察に言うつもりならば、スタンガンのことは黙っておいて俺を油断させ、俺の目を盗んで警察に伝えたはずだ。それをシンはつつみ隠さず、手の内を見せた。

 また仮にシンが通報した場合、俺がスタンガンを使用した状況を警察にくわしく話さなければならない。自分がドラッグ密売の現行犯で新宿署の刑事に逮捕され、俺のスタンガンのおかげで逃走できたことを白状しなければならなくなるのだ。

 現在のシンはなによりも妹の智代を大切に思っている。自分が父親代わりになって智代を成人させ、高校や大学の費用も捻出するのだと言っていた。そのためのドラッグ密売である。それが不可能になり、生活設計が狂ってしまう。

 なによりも大きな判断材料は、このような理屈ではなく、人間としての直感である。

、と俺の直感は示唆している。俺はシンと心が通じ合ったと感じた。父親の死について涙を浮かべ声をふるわせて語ったシンの姿に、偽りはなかった。そこには人間としての素裸の姿があった。心の鎧を脱ぎ、感情の壁を取り払って、シンはありのままの自分を俺の前にさらした。だからこそ、俺もあれほど心を打たれたのではないか。

 もしシンが俺のことを通報するつもりならば、それは俺のことを信用していないということだ。信用していない相手に、心の秘密を打ち明けたりするわけがない。シンの言葉に裏表はないと見るべきである。

 しかも現時点でシンが知っていることは、俺がスタンガンを所持しているという事実だけである。それと大久保の拳銃強奪を結びつける証拠は何もない。さらに俺が肉親殺しの高校三年生だとは、シンは知る(よし)もない。今の俺にとっては、拳銃強奪よりも肉親殺しのほうが比べようもないほど重大な容疑なのであるが、そのことをシンは何も知らないのだ。危険性は低いとみなすべきである。

 隣室の智代はどうだろう。俺にとって危険な存在か。アパートに到着してから、シンはずっとこの部屋で俺の相手をしていた。智代はキッチンで料理を作り、その後は自室にさがって勉強している。シンと智代が、二人だけで会話する機会はなかった。つまりシンは、俺がスタンガンを所持していることを智代に伝える機会はなかった。智代は知らないのだ。俺の目の届かないところで、智代が通報してしまう可能性もない。

 どうやら俺は結論を急ぎすぎたようだ。シンが唐突に予想外のことを言うから、慌ててしまったのだ。俺らしくもない。ここは様子を見よう。シンのアパート内に固定電話は見あたらなかったから、警察に通報するとしたら携帯だ。俺の目を盗んで携帯で通報しようとしたら、そのときに初めて俺も行動を起こせばよい。さりげなく様子を観察していよう。

 考えたくないことだが、そしてその可能性はきわめて低いとは思うが、もしシンが俺を裏切った場合、そのときは俺も容赦はしない。むこうが先に裏切るのだから、俺の心も痛まない。革命において裏切者を処刑するのは当然の報復である。俺は何のためらいもなく実行するだろう。
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登場人物紹介

真崎亜樹夫 (18):主人公。超イケメンのナルシスト高校三年生。きわめて皮肉屋。きわめて毒舌家。きわめて非社交的。社会に適応できず、友達が一人もいない。ハードボイルド小説、大藪春彦『野獣死すべし』と河野典生『殺意という名の家畜』を愛読しすぎたせいで中2病をこじらせ、いまだに治癒しない。変人。必要に応じて、アキラという変名を用いる。

真崎守 (52):亜樹夫の父。小さな建築会社を経営。頑固な昭和オヤジ。絶対に言い訳せず、絶対に愚痴を言わない。物事のけじめに異常にきびしく、人間の絆を大切にする。ゴリラのような、いかつい外見。息子の亜樹夫には性格のみ遺伝し、外見は遺伝しなかった (ため亜樹夫本人は安堵している)。

真崎優子 (44):亜樹夫の母。故事成句「顰に倣う (ひそみにならう)」の由来となった西施に匹敵する絶世の美女。心やさしく、小さな生命を大切にする。亜樹夫の外見は、この母から遺伝した (ため亜樹夫本人は感謝している)。

真崎樹理 (6):亜樹夫の妹。小学一年生。亜樹夫と仲がよい。快活な性格で小動物のように動作が俊敏なクラスの人気者。スナフキンとカンゴールの赤いランニングシューズがお気に入り。

石塚鉄兵 (40):真崎守が経営する建築会社の古参従業員。真崎守の右腕的存在。建築業界の裏も表も知り尽くしている。亜樹夫にとっては頼りになる兄貴分のような存在。気さくな好人物。妻との間に中3の息子がおり、高齢の両親とも同居している。

小島令子 (37):真崎守が経営する建築会社で事務を担当する従業員。シングルマザー。夫と離婚して、幼稚園に通う娘を一人で育てている。

権田総一郎 (61):アラゾニア総合建設社長。同社は真崎守が経営する建築会社の元請。

シン (城田(しろた)晨一(しんいち) (22):新宿歌舞伎町のドラッグ売人。両親はおらず、新宿区下落合のアパートで妹の智代と二人暮らし。2年前に亡くなった父親の死因は交通事故ということになっているが……。

城田智代 (15):シンの妹。成績優秀な中学3年生。温和な性格。料理の腕はプロ級。

岩清水 (18):亜樹夫のクラスメイト。草食系。かつてヤンキー連に恐喝されているところを亜樹夫に助けられたことがあり、それを恩に着て、亜樹夫をリスペクトしている。

磯谷 (18):亜樹夫のクラスメイト。100キロ超の巨漢。万引き癖あり。亜樹夫の美貌に嫉妬して反感をいだいている。

山田さとみ (18):亜樹夫のクラスメイト。亜樹夫に告白しようとしたのだが……。

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