031 天才たちはみな孤独だった

文字数 2,036文字

 飲食店、カラオケ、パチンコ、ゲームセンターなど日中から営業していた店に加えて、昼間はシャッターを降ろしていたバーや風俗店も戦列に参加し、ネオンの彩りを競っている。ネオンの配色にはまったく規則性がなく、それぞれがライバル店を出し抜こうと、少しでも派手に、少しでも目立つようにと、節操(せっそう)なく狂い咲いている。極彩色(ごくさいしき)のネオンの花園だ。DNAに異常をきたした植物のように、無秩序に生態系を乱している。街の景観や周囲との調和など、お構いなしだ。

 店頭のスピーカーからは客寄せのアナウンスが大音量で流れている。通りにはパーカー姿や黒服の客引きがあふれ、声を枯らして店に引きこむ獲物を物色している。パーカー姿は居酒屋、カラオケなどの健全系、黒服はバーや風俗などのアンダーグラウンド系だ。

 光と音の氾濫するビルの谷間で、雑多な人間が押しめきあい、どよめいている。屋根のない特大の満員電車のような混雑だ。

 ひたすら消費するだけで何ひとつ生み出すことのない街──新宿・歌舞伎町。だから、この街は壮大なゼロなのだ。空っぽなのだ。空っぽであることを悟られまいと、精一杯、虚勢をはり、大声で叫びつづけている。容色の衰えた女の化粧が濃くなっていくのと同じように、何もない内側を派手な虚飾(きょしょく)でカモフラージュしているのだ。終戦直後のイモ畑が数十年でこのありさまだ。よくもここまで膨脹したものだ。まさに街は化け物だ。俺は(だま)されない。俺は踊らされない。

 街をゆく者たちは皆、何の悩みもないような弛緩(しかん)した表情をしている。俺はそいつらの浮かれぶりに腹が立った。

 神の摂理がこの俺に課した崇高な使命を果たすため、俺は堅固な意志と努力で着々と計画を進めているというのに、おまえたちの浮かれぶりはなんだ? おまえたちは人間として、いったい何のために生まれてきたんだ?

 肩を組んだ三人組のスーツ族が、俺とすれちがった。この時刻にして、すでに相当酔いが回っており、赤い顔をして足元がふらついている。呂律(ろれつ)の回らない舌で、なにか大声でわめいている。一仕事終えて祝杯でもあげたのだろう。

 肩を組んで、いかにも仲が良さそうだが、そんなものは見せかけにすぎない。水面下では、同僚を出し抜き、他人を踏みつけにして、自分だけが勝ち残ろう、あるいはリストラによる淘汰(とうた)を免れようと打算を巡らせているにちがいないのだ。

 現代人というのは利己的で欲が深く、自堕落である。将来への何のビジョンもなく、ただその時その時をおもしろおかしく空費するだけだ。まさに家畜に等しい。牛馬のように、精神的つながりも何もなく、ただ群れているだけである。どうして人間というものは、こうも意味なく、群れたがるのだろうか。心の弱い者は、心の拠りどころとして他人に頼らずにはおられないのだ。友情だの、連帯だの、美辞麗句(びじれいく)で飾りたてても、ようするに自分で自分の精神を支えることができないから、低い次元で他人と(たわむ)れているにすぎない。そして、おたがいに足を引っ張りあいながら、泥沼に沈んでいくだけである。

 だが、俺はちがう。俺は狼だ。長く厳しい道のりを独りでゆき、自分の意志で闘っていく。俺は群れない。俺は孤独に進む。孤独は悪ではなく、美徳である。心強き者、選ばれた者だけに許された特権である。自分の足で独歩できるだけの意志の強さと能力を持った者だけに、天から与えられた恩恵である。

 古来、すぐれた芸術家、思索家、科学者は一人の例外もなく、孤独と対峙し勝利を収めた者ではないか。予言者ヨハネの洗礼をうけた若き日のキリストは、荒野で孤独に40日間の断食に耐えたという。その間、ひとりの人間に接することもなく、ひたすら自らの内面世界で思索を深めた。

 天才物理学者として名を残すアイザック・ニュートンは、生まれたときには父はすでに死別しており、残った母からも二歳のときに捨てられたという。孤独で厳しい幼児期を送った。成長してからも友人はなく、朝から晩まで部屋に閉じこもって研究生活に没頭したそうだ。その結果、万有引力の発見や微積分法など輝かしい業績をのこした。

 天才とは孤独である。意志と能力を持たない者は、ただ見苦しく群れ、他人に寄りかかるしかない。俺も誰にも邪魔されず、誰にもわずらわされず、孤高をゆく。爽快なことではないか。孤独こそが、崇高な俺の魂に平安をもたらしてくれるのだ。

 拳銃で重みを増したリュックが心強い。それが俺の牙だ。この新宿で拳銃を使うことは計画にはない。しかし実際に使わなくても、それがリュックの中にあり、いつでも俺の武器となりうることが分かっていると心が落ち着く。いつでも俺は闘えるという気概がある。力のない正義は無意味だ。革命に最低限の暴力は許容される。

 ──ネオンうずまく都会という名の荒野に狼一匹。リュックに拳銃、か……。
 俺は自分がセンチメンタルな気分になっていることに気づき、苦笑した。すこし頭を冷やすか。

 俺はセントラルロードをコマ劇場前まで進んだ。
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登場人物紹介

真崎亜樹夫 (18):主人公。超イケメンのナルシスト高校三年生。きわめて皮肉屋。きわめて毒舌家。きわめて非社交的。社会に適応できず、友達が一人もいない。ハードボイルド小説、大藪春彦『野獣死すべし』と河野典生『殺意という名の家畜』を愛読しすぎたせいで中2病をこじらせ、いまだに治癒しない。変人。必要に応じて、アキラという変名を用いる。

真崎守 (52):亜樹夫の父。小さな建築会社を経営。頑固な昭和オヤジ。絶対に言い訳せず、絶対に愚痴を言わない。物事のけじめに異常にきびしく、人間の絆を大切にする。ゴリラのような、いかつい外見。息子の亜樹夫には性格のみ遺伝し、外見は遺伝しなかった (ため亜樹夫本人は安堵している)。

真崎優子 (44):亜樹夫の母。故事成句「顰に倣う (ひそみにならう)」の由来となった西施に匹敵する絶世の美女。心やさしく、小さな生命を大切にする。亜樹夫の外見は、この母から遺伝した (ため亜樹夫本人は感謝している)。

真崎樹理 (6):亜樹夫の妹。小学一年生。亜樹夫と仲がよい。快活な性格で小動物のように動作が俊敏なクラスの人気者。スナフキンとカンゴールの赤いランニングシューズがお気に入り。

石塚鉄兵 (40):真崎守が経営する建築会社の古参従業員。真崎守の右腕的存在。建築業界の裏も表も知り尽くしている。亜樹夫にとっては頼りになる兄貴分のような存在。気さくな好人物。妻との間に中3の息子がおり、高齢の両親とも同居している。

小島令子 (37):真崎守が経営する建築会社で事務を担当する従業員。シングルマザー。夫と離婚して、幼稚園に通う娘を一人で育てている。

権田総一郎 (61):アラゾニア総合建設社長。同社は真崎守が経営する建築会社の元請。

シン (城田(しろた)晨一(しんいち) (22):新宿歌舞伎町のドラッグ売人。両親はおらず、新宿区下落合のアパートで妹の智代と二人暮らし。2年前に亡くなった父親の死因は交通事故ということになっているが……。

城田智代 (15):シンの妹。成績優秀な中学3年生。温和な性格。料理の腕はプロ級。

岩清水 (18):亜樹夫のクラスメイト。草食系。かつてヤンキー連に恐喝されているところを亜樹夫に助けられたことがあり、それを恩に着て、亜樹夫をリスペクトしている。

磯谷 (18):亜樹夫のクラスメイト。100キロ超の巨漢。万引き癖あり。亜樹夫の美貌に嫉妬して反感をいだいている。

山田さとみ (18):亜樹夫のクラスメイト。亜樹夫に告白しようとしたのだが……。

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