047 小林多喜二『蟹工船』はハードボイルド小説だった!?
文字数 1,916文字
何を読もうかと、ぶらぶら書架を見ていると、日本文学全集の棚で「小林多喜二」が
だが最初の数ページを読んだだけで、俺はたちまち作品世界に引き込まれてしまった。座席に移動して、本腰をいれて読みはじめた。
時は、昭和初期。日本社会を不況の暗雲が覆い、時流が軍国主義へ傾倒していった時代である。蟹工船というのは、缶詰製造の加工設備を船内に持ったオンボロ漁船である。風雪の吹き荒れる厳冬のオホーツク海で、水揚げした蟹をかたはしから缶詰に加工していく。高性能の冷凍設備などない時代である。蟹は痛みやすいが、缶詰に加工してしまえば日持ちする。船内で長期保存できる。いちいち港に帰らなくても、水揚げが一定量に達するまで蟹工船はそのまま漁を続けることができるというわけだ。
冬のオホーツク海は特に波が荒く、熟練した漁師でさえ尻込みするという。そこに東北や北海道の各地から貧農や最下層労働者が吹き寄せられるようにして流れつどい、蟹工船内で過酷な労働と
その様子が、迫力の筆で活写されていた。オホーツク海の激しい波のうねりに老朽船が
人間描写も緻密であり、周囲を海に隔てられた船上という閉鎖社会における、
俺はマルクス主義者ではないから、思想的背景なしに虚心に読んだ。すると、世間からは『蟹工船』はプロレタリア文学というレッテルを貼られているが、これはハードボイルド冒険小説だと感じた。硬質な文体といい、徹底したリアリズム描写といい、時流に対して
巻末の解説で紹介されていた作者本人の生きざまにも、おおいに共感するものがあった。小林多喜二は、昭和8年、29歳の若さで死んだ。特高(特別高等警察)に逮捕され、拷問の果てに命を失ったのだ。遺族に引き渡された遺体の顔は、赤黒く
拷問室の中で何があったかは想像するしかないが、軍国主義への流れが強まっている時代だったから、権力側としては小林の反体制的な言動を許容できなかったのだろう。暴力がエスカレートして、歯止めがきかなくなったにちがいない。硬骨漢・小林多喜二は暴力に屈するどころか、逆に不浄役人どもを嘲笑し、挑発しつづけたことだろう。それが、ますます暴行の度を
官憲に頭ひとつ下げれば助かるのに、命をかけて片意地を通す。愚かと言うなかれ。自分の信念に命をかけることのできる人間が、いったいどれだけ存在するというのだ。
世の中には二種類の人間がいる。強い力で頭を押さえつけられた場合、すぐ言いなりになって犬のように尻尾を振りはじめる人間。かえって
俺の同級生で、小林多喜二を読んでいる者などいない。この作家は、もっと若い人間に読まれるべきだ、と俺は考えた。
ちょうどその頃、都の教育委員会が高校生を対象に文芸評論を募集して、コンクールを開催するという話を聞いた。俺の高校の校内にもポスターが貼られていた。
(画像はイメージです。)