047 小林多喜二『蟹工船』はハードボイルド小説だった!?

文字数 1,916文字

 あるとき現代国語の教師が急に体調を崩して、授業が急遽(きゅうきょ)、自習に替ったことがあった。生徒はそれぞれ教室で勉強しているか、図書館で読書することになった。俺は狭苦しい教室に愚鈍な同級生たちといっしょにいるのが嫌だったので、図書館での読書を選んだ。

 何を読もうかと、ぶらぶら書架を見ていると、日本文学全集の棚で「小林多喜二」が(ほこり)をかぶっているのを見つけた。文学史の授業で名前は聞いたことがあった。プロレタリア文学の第一人者で、代表作は『蟹工船』『党生活者』。俺が持ち合わせていた知識はその程度だった。本を手にとり、立ったまま『蟹工船』の最初のほうを読んでみた。プロレタリア文学に興味があった訳ではない。まったくの気まぐれである。

 だが最初の数ページを読んだだけで、俺はたちまち作品世界に引き込まれてしまった。座席に移動して、本腰をいれて読みはじめた。

 時は、昭和初期。日本社会を不況の暗雲が覆い、時流が軍国主義へ傾倒していった時代である。蟹工船というのは、缶詰製造の加工設備を船内に持ったオンボロ漁船である。風雪の吹き荒れる厳冬のオホーツク海で、水揚げした蟹をかたはしから缶詰に加工していく。高性能の冷凍設備などない時代である。蟹は痛みやすいが、缶詰に加工してしまえば日持ちする。船内で長期保存できる。いちいち港に帰らなくても、水揚げが一定量に達するまで蟹工船はそのまま漁を続けることができるというわけだ。

 冬のオホーツク海は特に波が荒く、熟練した漁師でさえ尻込みするという。そこに東北や北海道の各地から貧農や最下層労働者が吹き寄せられるようにして流れつどい、蟹工船内で過酷な労働と搾取(さくしゅ)にあえぐ。

 その様子が、迫力の筆で活写されていた。オホーツク海の激しい波のうねりに老朽船が(きし)む様子や、作者が糞壺と呼ぶところの船内雑居房のすえた臭いまでリアルに感じられ、まさに自分自身が蟹工船に乗っているのだと錯覚するほどだった。

 人間描写も緻密であり、周囲を海に隔てられた船上という閉鎖社会における、(ただ)れたように濃密な人間関係が、妥協を許さない筆で描きこまれていた。昭和4年に発表された作品だというが、21世紀を迎えた現在読んでも、まったく古さを感じさせないのだった。

 俺はマルクス主義者ではないから、思想的背景なしに虚心に読んだ。すると、世間からは『蟹工船』はプロレタリア文学というレッテルを貼られているが、これはハードボイルド冒険小説だと感じた。硬質な文体といい、徹底したリアリズム描写といい、時流に対して鬱屈(うっくつ)した反抗心をいだく主人公の生きざまといい、これはまさしくハードボイルドだ、と俺は感じた。荒い砂の粒子が風に吹かれて流れていくような、よい意味でざらざらした手触りのある作品だった。

 巻末の解説で紹介されていた作者本人の生きざまにも、おおいに共感するものがあった。小林多喜二は、昭和8年、29歳の若さで死んだ。特高(特別高等警察)に逮捕され、拷問の果てに命を失ったのだ。遺族に引き渡された遺体の顔は、赤黒く鬱血(うっけつ)してフットボールのように()れあがり、人間としての原形をとどめていなかったという。

 拷問室の中で何があったかは想像するしかないが、軍国主義への流れが強まっている時代だったから、権力側としては小林の反体制的な言動を許容できなかったのだろう。暴力がエスカレートして、歯止めがきかなくなったにちがいない。硬骨漢・小林多喜二は暴力に屈するどころか、逆に不浄役人どもを嘲笑し、挑発しつづけたことだろう。それが、ますます暴行の度を(あお)るという悪循環に陥ったのではないか。小林は決して信念を曲げなかった。たとえ、その結果、命を失うことになっても……。

 官憲に頭ひとつ下げれば助かるのに、命をかけて片意地を通す。愚かと言うなかれ。自分の信念に命をかけることのできる人間が、いったいどれだけ存在するというのだ。

 世の中には二種類の人間がいる。強い力で頭を押さえつけられた場合、すぐ言いなりになって犬のように尻尾を振りはじめる人間。かえって敵愾心(てきがいしん)を燃やして、ますます反抗する人間。小林は後者だった。俺も権威・権力が大嫌いだから、信念に殉じた小林には敬意を表する。小林は肉体としての生命は若くして失ったけれども、逆に、その潔い行動で俺たちの記憶に永遠に残る存在になったのだ。

 俺の同級生で、小林多喜二を読んでいる者などいない。この作家は、もっと若い人間に読まれるべきだ、と俺は考えた。

 ちょうどその頃、都の教育委員会が高校生を対象に文芸評論を募集して、コンクールを開催するという話を聞いた。俺の高校の校内にもポスターが貼られていた。



 (画像はイメージです。)
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登場人物紹介

真崎亜樹夫 (18):主人公。超イケメンのナルシスト高校三年生。きわめて皮肉屋。きわめて毒舌家。きわめて非社交的。社会に適応できず、友達が一人もいない。ハードボイルド小説、大藪春彦『野獣死すべし』と河野典生『殺意という名の家畜』を愛読しすぎたせいで中2病をこじらせ、いまだに治癒しない。変人。必要に応じて、アキラという変名を用いる。

真崎守 (52):亜樹夫の父。小さな建築会社を経営。頑固な昭和オヤジ。絶対に言い訳せず、絶対に愚痴を言わない。物事のけじめに異常にきびしく、人間の絆を大切にする。ゴリラのような、いかつい外見。息子の亜樹夫には性格のみ遺伝し、外見は遺伝しなかった (ため亜樹夫本人は安堵している)。

真崎優子 (44):亜樹夫の母。故事成句「顰に倣う (ひそみにならう)」の由来となった西施に匹敵する絶世の美女。心やさしく、小さな生命を大切にする。亜樹夫の外見は、この母から遺伝した (ため亜樹夫本人は感謝している)。

真崎樹理 (6):亜樹夫の妹。小学一年生。亜樹夫と仲がよい。快活な性格で小動物のように動作が俊敏なクラスの人気者。スナフキンとカンゴールの赤いランニングシューズがお気に入り。

石塚鉄兵 (40):真崎守が経営する建築会社の古参従業員。真崎守の右腕的存在。建築業界の裏も表も知り尽くしている。亜樹夫にとっては頼りになる兄貴分のような存在。気さくな好人物。妻との間に中3の息子がおり、高齢の両親とも同居している。

小島令子 (37):真崎守が経営する建築会社で事務を担当する従業員。シングルマザー。夫と離婚して、幼稚園に通う娘を一人で育てている。

権田総一郎 (61):アラゾニア総合建設社長。同社は真崎守が経営する建築会社の元請。

シン (城田(しろた)晨一(しんいち) (22):新宿歌舞伎町のドラッグ売人。両親はおらず、新宿区下落合のアパートで妹の智代と二人暮らし。2年前に亡くなった父親の死因は交通事故ということになっているが……。

城田智代 (15):シンの妹。成績優秀な中学3年生。温和な性格。料理の腕はプロ級。

岩清水 (18):亜樹夫のクラスメイト。草食系。かつてヤンキー連に恐喝されているところを亜樹夫に助けられたことがあり、それを恩に着て、亜樹夫をリスペクトしている。

磯谷 (18):亜樹夫のクラスメイト。100キロ超の巨漢。万引き癖あり。亜樹夫の美貌に嫉妬して反感をいだいている。

山田さとみ (18):亜樹夫のクラスメイト。亜樹夫に告白しようとしたのだが……。

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