030 ドン・キホーテ

文字数 1,652文字



 10月30日木曜日。夜。
 俺はふたたび新宿・歌舞伎町にいた。

 夕刻、大久保一丁目の交番で拳銃を奪ったあと、すぐに〈PePe西武新宿〉に戻ったのだ。トイレの個室で作業着を脱ぎ、元の服装にもどる。作業着、作業帽、変装用口髭はリュックにしまった。眼鏡も取り、これもリュックにしまう。愛用のリュックは、拳銃でずしりと重みを増していた。スタンガンは、いつでも使えるようにジャケットの右ポケットに入れておく。そして何喰わぬ顔をして街にでた。

 警察の裏をかいたのだ。拳銃強奪事件を知った警察は、ただちに緊急配備を敷いたはずだ。主要ターミナルには刑事を張りこませ、幹線道路の要所には検問を設けて、新宿周辺から外部にむかって逃げようとする不審人物に目を光らせているはずだ。俺はその裏をかき、わざと新宿の中心部にとどまったのだ。

 歌舞伎町には、平日でも27万人が足を踏み入れる。600メートル四方のこの狭い地域に、一日でそれだけの人間がやってくるのだ。ちなみに週末なら、さらに増えて40万人だ。木は森に隠せ。人込みは絶好の隠れ場所になる。

 歌舞伎町に紛れこんだ俺は、まずセントラルロード入口にあるディスカウント・ショップ〈ドン・キホーテ〉に入った。この地所にはもともと某銀行の支店があったのだが、平成大不況のあおりで撤退し、代わりにこの店が出現したのだ。店内は狭い通路がダンジョンのように入り組み、商品が天井までうずたかく積まれている。日用雑貨、衣類、食品、アニメのキャラクター商品など、なんでも揃い、ちょっとしたテーマパークのような趣だ。

 店内は客であふれかえっていた。狭い通路のいたるところに、男、女。そして女の外面をした男。若い奴、古い奴。ファッション・センスのいい奴、見苦しい奴。頭髪の濃い奴、薄い奴。脂ぎった奴、さっぱりした奴。景気のよさそうな奴、うちひしがれた奴……。

 俺はそれらの客をかき分けながら、店内を進む。ちょっと中世の城の内部で宝探しをしているような気分だ。どこに何があるか分からない。足で探すしかない。一面にTシャツの詰めこまれたラックを曲がると、目的のコーナーを発見した。帽子売場だ。これを探していたのだ。

 壁のワイヤーネットにフックで引っ掛けられて、キャップ、キャスケット、ハンチング、テンガロンハットなど、上から下まで各種、色とりどりの帽子でにぎやかに埋めつくされている。

 大リーグのロゴがプリントされた黒のモノグラムハットと、迷彩パターンのほどこされたアーミー・キャップを選び、俺はレジに持っていった。すぐにかぶるつもりだからと言って、タグはその場で取り除いてもらう。

 店を出ると、俺は買ったばかりのモノグラムハットを目深にかぶった。変装だ。護身具ショップ〈アスピーダ〉でスタンガンを購入した際に、俺の美貌が女子店員の関心を不必要に引いてしまったから、あまり顔を露出しないようにすることにしたのだ。サングラスをかけたり、マスクをつけたりと、過剰な変装はしない。夜なのにサングラスをかけている人間がいるだろうか? 花粉症の季節でもないのに、マスク姿の人間がいったいどれだけいるか? かえって注目を集めるだけである。小心な犯罪者が捕まるのは、周囲の目を恐れて不自然な変装をし、かえって不審を招くためである。帽子だけでも、顔の印象はだいぶ変わるものだ。

 モノグラムハットをかぶった俺は、歌舞伎町の人込みに溶けこんだ。ゲームセンターを冷やかしたり、マンガ喫茶にもぐりこんだり、CDショップの棚をながめたりで二~三時間をつぶした。長時間同じ場所にいて顔を覚えられるのを防ぐため、頻繁に場所を変える。午後九時を回ったところで、またセントラルロードに戻った。

 夜になって、この街は本性をあらわした。



✽平成16年10月30日(木) 亜樹夫の足取り
①西新宿探偵社
②新宿バッティングセンター
③新宿区役所
④尾張屋書店
⑤護身具ショップ アスピーダ
⑥PePe西武新宿
⑦大久保一丁目交番
⑧ドン・キホーテ 新宿歌舞伎町店
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登場人物紹介

真崎亜樹夫 (18):主人公。超イケメンのナルシスト高校三年生。きわめて皮肉屋。きわめて毒舌家。きわめて非社交的。社会に適応できず、友達が一人もいない。ハードボイルド小説、大藪春彦『野獣死すべし』と河野典生『殺意という名の家畜』を愛読しすぎたせいで中2病をこじらせ、いまだに治癒しない。変人。必要に応じて、アキラという変名を用いる。

真崎守 (52):亜樹夫の父。小さな建築会社を経営。頑固な昭和オヤジ。絶対に言い訳せず、絶対に愚痴を言わない。物事のけじめに異常にきびしく、人間の絆を大切にする。ゴリラのような、いかつい外見。息子の亜樹夫には性格のみ遺伝し、外見は遺伝しなかった (ため亜樹夫本人は安堵している)。

真崎優子 (44):亜樹夫の母。故事成句「顰に倣う (ひそみにならう)」の由来となった西施に匹敵する絶世の美女。心やさしく、小さな生命を大切にする。亜樹夫の外見は、この母から遺伝した (ため亜樹夫本人は感謝している)。

真崎樹理 (6):亜樹夫の妹。小学一年生。亜樹夫と仲がよい。快活な性格で小動物のように動作が俊敏なクラスの人気者。スナフキンとカンゴールの赤いランニングシューズがお気に入り。

石塚鉄兵 (40):真崎守が経営する建築会社の古参従業員。真崎守の右腕的存在。建築業界の裏も表も知り尽くしている。亜樹夫にとっては頼りになる兄貴分のような存在。気さくな好人物。妻との間に中3の息子がおり、高齢の両親とも同居している。

小島令子 (37):真崎守が経営する建築会社で事務を担当する従業員。シングルマザー。夫と離婚して、幼稚園に通う娘を一人で育てている。

権田総一郎 (61):アラゾニア総合建設社長。同社は真崎守が経営する建築会社の元請。

シン (城田(しろた)晨一(しんいち) (22):新宿歌舞伎町のドラッグ売人。両親はおらず、新宿区下落合のアパートで妹の智代と二人暮らし。2年前に亡くなった父親の死因は交通事故ということになっているが……。

城田智代 (15):シンの妹。成績優秀な中学3年生。温和な性格。料理の腕はプロ級。

岩清水 (18):亜樹夫のクラスメイト。草食系。かつてヤンキー連に恐喝されているところを亜樹夫に助けられたことがあり、それを恩に着て、亜樹夫をリスペクトしている。

磯谷 (18):亜樹夫のクラスメイト。100キロ超の巨漢。万引き癖あり。亜樹夫の美貌に嫉妬して反感をいだいている。

山田さとみ (18):亜樹夫のクラスメイト。亜樹夫に告白しようとしたのだが……。

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