011 世界でいちばん悲しい夜

文字数 975文字

 俺が父・(まもる)を撲殺したのは今日から三日前、10月27日月曜日未明、自宅二階の俺の部屋の中だった。俺に破砕(はさい)された父の頭蓋骨は玉砂利(たまじゃり)の詰まった革袋のような状態になっており、即死だった。(つぶ)れた両眼からも血が流れていた。目を覆いたくなるような変わり果てた姿だ。俺は父の遺体を担いで階段を降り、一階の両親の寝室に運んだ。

 寝室にはシングル・ベッドが二つ並んでいて、奥のベッドには父より先に昇天した母・優子が横たわっている。母は撲殺ではなく、窒息死だ。絞められた痕跡として首の回りが赤く鬱血(うっけつ)しているのが痛々しい。それを除けば、夢見るように安らかな死に顔だった。

 俺は、息絶えたあとも父と母、そして妹の三人を、同じ部屋で静かに眠らせてあげたかったのだ。だから父をこの寝室に運んできた。別室ですでに息絶えている妹も、すぐに運んでくるつもりだ。父の遺体はずっしり重く、長年の苦労が蓄積しているように思われた。

 父の遺体を、いつも父が使っていた手前のベッドに安置した。母の遺体も奥のベッドから同じベッドに移動することにした。仲がよく、生前いつも一緒だった父と母。尊敬しあい、助けあっていた父と母。息絶えた今も、できるだけ近くに置いてあげたかった。

 俺は母の遺体を担ぎあげた。父と違って驚くほど軽かった。かつては健康で美しかった母が、こんなに()せて……。俺は涙が出そうになって体が震えた。母の髪が動いた。不自然な動き方だ。一房二房動くというのではなく、根元から束になってズレていくような感じだ。俺は母の髪に触れてみた。紙が()がれるように全部まとめて抜けた。いや、はずれた。ウイッグだったのだ。

 俺は目を疑った。母はまだ44歳なのに、頭の右半分にはほとんど毛髪がない。左半分も疎らで地肌が透けて見えている。半年前、母の髪形が突然変わったのでどうしたのと訊いたら、母は美容院に行ったのよと答えた。俺はそれで納得してしまったのだが、本当は髪が抜けてウイッグを被っていたのだ。そのときの母の寂しそうな哀しそうな様子に気づくべきだった。事態はそこまで深刻だったのだ。そうと知っていれば、もっと孝行をつくすべきだった。

 いつも俺に優しかった母さん。なにも気づかないで、ごめんね。

 俺はこの母から、どんな小さな生き物にも命があり、それを(おろそ)かにしてはならないということを教わったのだ……。
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登場人物紹介

真崎亜樹夫 (18):主人公。超イケメンのナルシスト高校三年生。きわめて皮肉屋。きわめて毒舌家。きわめて非社交的。社会に適応できず、友達が一人もいない。ハードボイルド小説、大藪春彦『野獣死すべし』と河野典生『殺意という名の家畜』を愛読しすぎたせいで中2病をこじらせ、いまだに治癒しない。変人。必要に応じて、アキラという変名を用いる。

真崎守 (52):亜樹夫の父。小さな建築会社を経営。頑固な昭和オヤジ。絶対に言い訳せず、絶対に愚痴を言わない。物事のけじめに異常にきびしく、人間の絆を大切にする。ゴリラのような、いかつい外見。息子の亜樹夫には性格のみ遺伝し、外見は遺伝しなかった (ため亜樹夫本人は安堵している)。

真崎優子 (44):亜樹夫の母。故事成句「顰に倣う (ひそみにならう)」の由来となった西施に匹敵する絶世の美女。心やさしく、小さな生命を大切にする。亜樹夫の外見は、この母から遺伝した (ため亜樹夫本人は感謝している)。

真崎樹理 (6):亜樹夫の妹。小学一年生。亜樹夫と仲がよい。快活な性格で小動物のように動作が俊敏なクラスの人気者。スナフキンとカンゴールの赤いランニングシューズがお気に入り。

石塚鉄兵 (40):真崎守が経営する建築会社の古参従業員。真崎守の右腕的存在。建築業界の裏も表も知り尽くしている。亜樹夫にとっては頼りになる兄貴分のような存在。気さくな好人物。妻との間に中3の息子がおり、高齢の両親とも同居している。

小島令子 (37):真崎守が経営する建築会社で事務を担当する従業員。シングルマザー。夫と離婚して、幼稚園に通う娘を一人で育てている。

権田総一郎 (61):アラゾニア総合建設社長。同社は真崎守が経営する建築会社の元請。

シン (城田(しろた)晨一(しんいち) (22):新宿歌舞伎町のドラッグ売人。両親はおらず、新宿区下落合のアパートで妹の智代と二人暮らし。2年前に亡くなった父親の死因は交通事故ということになっているが……。

城田智代 (15):シンの妹。成績優秀な中学3年生。温和な性格。料理の腕はプロ級。

岩清水 (18):亜樹夫のクラスメイト。草食系。かつてヤンキー連に恐喝されているところを亜樹夫に助けられたことがあり、それを恩に着て、亜樹夫をリスペクトしている。

磯谷 (18):亜樹夫のクラスメイト。100キロ超の巨漢。万引き癖あり。亜樹夫の美貌に嫉妬して反感をいだいている。

山田さとみ (18):亜樹夫のクラスメイト。亜樹夫に告白しようとしたのだが……。

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