059 子育てを放棄する親たちの言い訳のセリフ
文字数 1,709文字
「ようするに、まだ子供なんですよ。17歳と18歳の違いはですね、普通は心の中で線を引くんです。18歳になったら、自分はもう大人だ、馬鹿はできないと一種の自覚をもって、心の中で線を引く。少年法でも18歳未満なら刑罰が緩和されます。死刑が無期刑に、無期懲役が10年から15年の懲役に減刑されるという具合です。つまり18歳未満なら、少年法に守られて死刑はありえないわけです。
ところが、これが18歳になってしまいますと、成人と同じように刑が課される。死刑もありうる。そのほか日常生活でも、18歳になれば自動車の運転免許も取れるし、結婚できるようになるし、とにかく18歳からは全般的に大人と見なす風潮が社会にある。外国では20歳ではなく、18歳から成人と法律で定めている国もあるくらいです。
くわえて、高校生ならば最終学年ですから、大学入試なり就職という現実をいやでも直視しなければならなくなる年齢です。もう馬鹿はやってられないと、現実的な人生設計を組み立てはじめる。このように、18歳になれば、自分はもう大人だという自制が自然に芽ばえるものなのです。心にブレーキがかかるものなのです。
しかし、今回の事件の容疑者の少年、まだ子供なんですね。18歳になっても大人に成りきれていない。心の中で線引きができなかったわけです」
無礼なヤツだ。勝手なことを
そんなことはない。世間の並の人間よりは、すでに俺のほうがずっと大人である。無軌道で不条理な犯罪に走った17歳の坊やたちより、俺のほうが一歳年上である。そして、その一歳の差に、とてつもない距離があるのだ。俺のほうが、はるかに大人として先を進んでいるのだ。俺は自分の感情をコントロールできずに、突発的にキレて事件を起こしたのではない。すべてを計算して、大人として自分の意志で計画を遂行しているのだ。
「少年の家庭は、周囲からは非常に家族仲がよさそうに見えたということですが、別の解釈も成り立ちます」
大学教授氏がまた口を開いた。
さて、今度はどんな珍説を披露してくれるのか? 俺は皮肉な目をテレビ画面に向けた。
シンは真剣な顔をして、無言でテレビ画面を凝視している。さっきからずっと何か考えこんでいるようだ。
「家族の仲がよかったのではなくて、おたがいにトラブルが起きないよう干渉を避けていたのではないですか。これだと表面的には平穏ですから、周囲からは仲がいいように見える」
「ほう?」キャスターが相槌を打つ。
「私がカウンセリングを受ける問題児の家庭によくあるケースですが、父親が完全に教育を放棄している場合があります。自分の子供が問題を起こしても、『本人が自覚しなければだめだ』『自分で気づいてヤル気にならなければ、親がいくら言ってもだめだ』と言って何もタッチしない」
「それ、子供の自立心、独立心をうながしているわけですから、望ましいことではありませんか?」
「逆なんですね。子供を叱るのって、すごいエネルギーを消費するんです。子育てというのは本来そういうものです。人間と人間の正面からのぶつかりあいですよ。真剣に子供を育てている親は、みな疲れはててクタクタでしょう」
「なるほど。いわゆる『自己責任論』と同一の論法ですね。自分のことは自分で責任を持つべきだと耳あたりのいいことを言いながら、社会的弱者をばっさり切り捨てる。あれと同じで、子供の自立を言い訳にして子育てを放棄しているわけですね。ライオス王のように自分にぶつかってくる子供の前に壁となって立ちふさがることなく、衝突から逃げてしまう」
「そうなんですよ」
自己責任論と聞いて、俺はこの春に発生した「イラク日本人人質事件」のことを思い出した。
(作者注1:作中の少年法に関する記述は、この物語の設定年である平成16年を基準としている。)
(作者注2:改正民法が施行され成人年齢が20歳から18歳に引き下げられたのは令和4年である。この物語の設定年である平成16年時点では、成人年齢は20歳だった。)