069 肉親は魂の部分でつながっている

文字数 2,081文字

「警察は神妙な顔をして、親父の名前や、俺の名前を確認する。へんに形式ばった感じだった。確認してまちがいないことが分かると、まことに残念ですが……と切り出した。親父が近所の公園で首を吊っていて、犬の散歩にきた人が見つけて通報したということだ。親父はすでに心肺停止状態で、体も冷たくなっていて、救急病院に運ばれたが死亡が確認されたという。

 身につけていた手帳に俺と智代(ともよ)の写真がはさんであって、そのページに『すまない』と四文字だけ万年筆で書いてあった。遺書といえるようなものは、それだけだった。

 俺と智代は病院に駆けつけた。親父は地下の霊安室にいた。コンクリートの寒々とした小さな部屋で、壁に備えつけの仏壇があって、線香が()かれていた。智代は親父の体にすがりついて、大声で泣いた。

 俺はそのかたわらで、茫然(ぼうぜん)と立ちつくしているだけだった。なにか非現実的で、実感がぜんぜんわかなかったんだ。それまで自殺なんていうのはテレビや新聞で見聞きするだけで、自分とはまったく関係のない出来事だと思っていた。

 ところが、よりによって自分の親父が自殺して、目の前に冷たくなって横たわっている。嘘だ、夢だって最初は否定したよ。一晩寝て朝起きたら、なにごともなかったように親父がアパートにいて酒飲んでるんじゃないかって思った。

 でも、夢ではなかった。朝、目を覚ますと、やっぱり親父はいない。次の日も、次の日も……。やっぱり親父は死んでしまったんだと、俺は認めざるをえなかった。

 街を歩いたり、電車に乗ったりしていても、すごい不思議だった。俺の親父は自殺してしまって、これは俺にとっては大事件で、世界がひっくり返るような衝撃だったんだけれども、まわりのやつは楽しそうに喋ったり、笑ったり、普通に生活している。なんだ、おまえらその楽しそうな態度は、て思った。本当はまわりの人たちは、ぜんぜん悪くなくて、俺が一方的に(ひが)んでいるだけなんだけどね」

 その気持ちは俺にもよく分かる。今日の午後、新宿の街を歩いていて、俺も同じことを感じたからだ。家族全員を亡くし、たった一人の革命を遂行するために孤独に闘っている俺は、周囲の人間の弛緩(しかん)した様子に無性に腹が立ったものだ。

「ショックだったのは、親父の死亡推定時刻だ。警察の検視が済んで聞かされたんだけど、親父が死んだのは午前三時前後ということだった。これ、『お父さんがいない』って智代が俺を起こしにきたときの時刻じゃないか。もしあのとき俺がすぐ起きて親父を探しにいっていたら、親父は死なないですんだかもしれない。親父が死んだのは俺のせいだって思えた。

 きっと智代だって、そう思っているんだ。あいつは優しいから口に出しては言わないけど、きっと心の中では、なんでお父さんを探してくれなかったの、て俺のことをずっと恨んでいるんだ」

 シンは唇を噛んだ。

「そして、やがて親父のいない生活が普通になってしまった。朝、目を覚まして親父がいない。俺と智代のふたりだけだ。でもそれが現実なんだって、適応するようになってしまった。悲しいことだね。

 肉親というのは魂の部分でつながっているんだと思う。生きているときは酒ばっかり飲んで、なんだこんな親父って思っていたけど、いざ、いなくなってしまうと、ぽっかり心に穴が開いたようだった。自分自身の人格の一部まで損なわれてしまったようだった。自分の心の中でなにかが足りないって感じなんだ。

 父親っていうのは、たとえ雨戸閉めて家に閉じこもって一日中、酒飲んでいるような人間でも、やっぱり父親なんだ。そこに存在してくれるだけで、俺たちの心の安定の源になっていたんだ。だから、どんな形でも生きてさえいてくれたらって思う。それで俺……」

 シンはテレビ画面に視線をむけた。

「このテレビでやってた肉親殺しの高校生のニュース見てたら、無性に腹が立ってきちゃって。世の中には父親に身近にいてほしいと願いながら、それがかなわない人間がいる。それなのに、こいつは自分で自分の親を殺した。とんでもない奴だ」

 許してくれ、シン。俺には俺の避けられない事情があったんだ。

 シンは涙ぐんでいる。俺もうつむいて、込みあげてくるものを耐えていた。シンの置かれた境遇は、俺自身のそれと驚くほど似ているのだ。シンの父親はレストランの経営者だった。俺の父も工務店を経営していた。どちらも中小零細企業だ。双方の父親が自分の仕事に誇りをもっており、小さい職場ながらも充実した生活をおくっていた。ところが長びく不況の影響で、しだいに経営環境が悪化し、追いつめられていった。そして二人とも、もはやこの世の人ではない……。

 シンは俺の言いたいことを代弁してくれた。肉親というのは魂の部分でつながっている。俺も父を失って、自分の魂の一部が欠けてしまったような気分だ。幼少時、手を取ってバットの素振りを俺に仕込んでくれた父。キセルした俺を(さと)すために、丸一日かけて新宿から自宅まで約30キロを歩き通した父。父には生きていてほしかった。切実に。だが俺はその父を、この手に掛けざるをえなかった。
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登場人物紹介

真崎亜樹夫 (18):主人公。超イケメンのナルシスト高校三年生。きわめて皮肉屋。きわめて毒舌家。きわめて非社交的。社会に適応できず、友達が一人もいない。ハードボイルド小説、大藪春彦『野獣死すべし』と河野典生『殺意という名の家畜』を愛読しすぎたせいで中2病をこじらせ、いまだに治癒しない。変人。必要に応じて、アキラという変名を用いる。

真崎守 (52):亜樹夫の父。小さな建築会社を経営。頑固な昭和オヤジ。絶対に言い訳せず、絶対に愚痴を言わない。物事のけじめに異常にきびしく、人間の絆を大切にする。ゴリラのような、いかつい外見。息子の亜樹夫には性格のみ遺伝し、外見は遺伝しなかった (ため亜樹夫本人は安堵している)。

真崎優子 (44):亜樹夫の母。故事成句「顰に倣う (ひそみにならう)」の由来となった西施に匹敵する絶世の美女。心やさしく、小さな生命を大切にする。亜樹夫の外見は、この母から遺伝した (ため亜樹夫本人は感謝している)。

真崎樹理 (6):亜樹夫の妹。小学一年生。亜樹夫と仲がよい。快活な性格で小動物のように動作が俊敏なクラスの人気者。スナフキンとカンゴールの赤いランニングシューズがお気に入り。

石塚鉄兵 (40):真崎守が経営する建築会社の古参従業員。真崎守の右腕的存在。建築業界の裏も表も知り尽くしている。亜樹夫にとっては頼りになる兄貴分のような存在。気さくな好人物。妻との間に中3の息子がおり、高齢の両親とも同居している。

小島令子 (37):真崎守が経営する建築会社で事務を担当する従業員。シングルマザー。夫と離婚して、幼稚園に通う娘を一人で育てている。

権田総一郎 (61):アラゾニア総合建設社長。同社は真崎守が経営する建築会社の元請。

シン (城田(しろた)晨一(しんいち) (22):新宿歌舞伎町のドラッグ売人。両親はおらず、新宿区下落合のアパートで妹の智代と二人暮らし。2年前に亡くなった父親の死因は交通事故ということになっているが……。

城田智代 (15):シンの妹。成績優秀な中学3年生。温和な性格。料理の腕はプロ級。

岩清水 (18):亜樹夫のクラスメイト。草食系。かつてヤンキー連に恐喝されているところを亜樹夫に助けられたことがあり、それを恩に着て、亜樹夫をリスペクトしている。

磯谷 (18):亜樹夫のクラスメイト。100キロ超の巨漢。万引き癖あり。亜樹夫の美貌に嫉妬して反感をいだいている。

山田さとみ (18):亜樹夫のクラスメイト。亜樹夫に告白しようとしたのだが……。

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