004 調査報告書 03

文字数 2,108文字

「愛人を囲っているんですよ。これまでも取っ換え、引っ換え、何人もいたんですが、今は……」

 探偵屋はいたずらっぽく笑った。学生のあなたに大人の世界の裏が分かるかな? と、からかうような目をしている。余計なお世話だ。

「沢峰涼子25歳。聞いたことありませんか?」
 どこかで聞いたような名だ。だが思い出せない。

「タレントになろうと沖縄から出てきて、一時期、芸能プロダクションに籍を置いていました。女優を目指して、発声練習をしたり、演技のレッスンを受けていた。週刊誌のグラビアを飾ったり、テレビの深夜番組のアシストを務めたりして、多少、名前を知られたのが五年前。しかし、それがキャリアの全盛期です。念願の女優業には、ついに縁がなかった。以後は芽が出ず、すぐに忘れ去られ、消えていきました」

 そう。そういえば、そういう名のB級アイドルが昔いたような気がする。だが、その程度の人間は、この世に掃いて捨てるほどいるのだ。日本人というのはいかに飽きっぽく、移り気なことか。次々と大量生産される似たりよったりのアイドルとやらに一時は注目するが、すぐに飽きて見向きもしなくなるのだ。

 ──人の心は花に似て、うつろいやすく浅ましく……
 よく言ったものだ。俺は高校の古文の授業で習った仮名草子『ぬれぼとけ』の一節を思い出して、苦笑した。

「……とは言うものの、一時期は末端とはいえ芸能界に身を置いただけあって、沢峰涼子はルックスは抜群なんですよ。細くて美人で。権田は女にだらしなく、とくに若くて綺麗な娘には目がないんです。沢峰涼子は芸能界から身を引いたあと、銀座のクラブでホステスをしていたんですが、権田の会社が接待でそこを使ったことがあるんです。そのとき権田は沢峰涼子に目をつけ、金の力でモノにした。六本木のマンションを与えて、一種の愛人契約ですな。まったくうらやましいというか何というか……。これがその沢峰涼子の近影です」

 探偵屋は数枚の写真を示した。俺の記憶にあるB級アイドル時代の沢峰涼子と比べると、昔の面影は残っているが、ふくよかで健康的だった頬のラインが鋭角的になっている。若干、視線もきつく、退廃的で投げやりなムードが漂う。それなりに苦労したということか。美人といえば美人だ。こういうタイプがオヤジにはウケるのだろう。

「アラゾニア総合建設の社長として、リストラだ、経営合理化だと、会社ではさんざん下を締めつけておきながら、自分はこれですからね。まあ、私もこういう商売をやっていますから色々な人を見てきましたが、偉い人なんていうのは大抵こうですよ。それが社会の現実です。あなたはまだお若いから分からないかもしれないが、人間には表もあれば裏もある。とくに社会的地位のある者は長い間に感覚が麻痺してきて、自分は選ばれた特別な人間であり、何をやっても許されると思い上がっている場合が多いんです。一流会社の重役や高級官僚、代議士、大学教授の裏の顔が異常者なんてのは、別に珍しくもない話ですよ」

 探偵屋は、あなたはまだお若いから分からないかもしれないが、と注釈を付けたが、そんなことはない。社会的強者が地位をかさにきて弱者をいたぶる。そんな実例を俺も身近に見ていた。

「この権田も、人間としては評判がよくありません。たとえば部下から挨拶されても、無視して返事を返さない。くだらない言いかがりをつけては文句をいう。ネクタイが曲がっているだの、ワイシャツの色の趣味が悪いだの。あげくのはてには、今日のおまえの顔は気に喰わないから話は聞かない、といって部下を追い返すこともあるそうです。虫の居所が悪いと、自分の近くにたまたまいた者をいきなり大声で怒鳴りつける。なんの落度もないのにですよ。典型的な八つ当たり、弱い者いじめです」

 どこの世界にも、こういう人間はいるものだ。愚痴をこぼす、嫌味を言う、内心の鬱屈(うっくつ)を周囲にまき散らす。礼節をわきまえず、傍若無人(ぼうじゃくぶじん)にふるまう。あきらかに間違ったことを言っているにもかかわらず、決して非を認めようとせず、狂ったように大声で同じことを(わめ)きつづける。失敗すると、おまえのせいだ、おまえが悪いと、全責任を他人になすりつける。成功した場合は、手柄を自分で独り占めにする。批判されようものならそれを根に持って、あとで陰湿な仕返しをする……。

 性善説、性悪説という考え方があるが、すべての人間が善である、あるいは、すべての人間が悪であるとステレオタイプで判断するのは間違っている。善に生まれつく者もいれば、悪に生まれつく者もいる。一人一人ちがうのだ。人間が持って生まれた性格は、基本的に一生変わらない。悪に生まれついた者は死ぬまでそのままである。いかなる教育、矯正も意味をなさない。

 こちらが胸襟(きょうきん)を開いて誠意をもって接すれば、その真心はいつか相手にも通じるはずだと、人間性というものに対して過度の幻想をいだく者もいるが、その幻想は常に裏切られることになる。悪に生まれついた人間は決して反省して悔い改めるということがない。年月とともにその悪性をますます増長させ、害悪を垂れ流し、周囲の顰蹙(ひんしゅく)を買いつづける。まさに処置なし、である。
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登場人物紹介

真崎亜樹夫 (18):主人公。超イケメンのナルシスト高校三年生。きわめて皮肉屋。きわめて毒舌家。きわめて非社交的。社会に適応できず、友達が一人もいない。ハードボイルド小説、大藪春彦『野獣死すべし』と河野典生『殺意という名の家畜』を愛読しすぎたせいで中2病をこじらせ、いまだに治癒しない。変人。必要に応じて、アキラという変名を用いる。

真崎守 (52):亜樹夫の父。小さな建築会社を経営。頑固な昭和オヤジ。絶対に言い訳せず、絶対に愚痴を言わない。物事のけじめに異常にきびしく、人間の絆を大切にする。ゴリラのような、いかつい外見。息子の亜樹夫には性格のみ遺伝し、外見は遺伝しなかった (ため亜樹夫本人は安堵している)。

真崎優子 (44):亜樹夫の母。故事成句「顰に倣う (ひそみにならう)」の由来となった西施に匹敵する絶世の美女。心やさしく、小さな生命を大切にする。亜樹夫の外見は、この母から遺伝した (ため亜樹夫本人は感謝している)。

真崎樹理 (6):亜樹夫の妹。小学一年生。亜樹夫と仲がよい。快活な性格で小動物のように動作が俊敏なクラスの人気者。スナフキンとカンゴールの赤いランニングシューズがお気に入り。

石塚鉄兵 (40):真崎守が経営する建築会社の古参従業員。真崎守の右腕的存在。建築業界の裏も表も知り尽くしている。亜樹夫にとっては頼りになる兄貴分のような存在。気さくな好人物。妻との間に中3の息子がおり、高齢の両親とも同居している。

小島令子 (37):真崎守が経営する建築会社で事務を担当する従業員。シングルマザー。夫と離婚して、幼稚園に通う娘を一人で育てている。

権田総一郎 (61):アラゾニア総合建設社長。同社は真崎守が経営する建築会社の元請。

シン (城田(しろた)晨一(しんいち) (22):新宿歌舞伎町のドラッグ売人。両親はおらず、新宿区下落合のアパートで妹の智代と二人暮らし。2年前に亡くなった父親の死因は交通事故ということになっているが……。

城田智代 (15):シンの妹。成績優秀な中学3年生。温和な性格。料理の腕はプロ級。

岩清水 (18):亜樹夫のクラスメイト。草食系。かつてヤンキー連に恐喝されているところを亜樹夫に助けられたことがあり、それを恩に着て、亜樹夫をリスペクトしている。

磯谷 (18):亜樹夫のクラスメイト。100キロ超の巨漢。万引き癖あり。亜樹夫の美貌に嫉妬して反感をいだいている。

山田さとみ (18):亜樹夫のクラスメイト。亜樹夫に告白しようとしたのだが……。

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