第14話 へんでれき?

文字数 3,274文字

 それにしても、着物だけ?

 と、私はカピタン様のお言葉を思い返してちょっぴり不満に思った。
 だって東洋の男たちは、いの一番に私自身の美しさを褒めてくれたものよ。
 確かに丸山遊女の売りは衣装って言われるけど、それはよその土地の遊里と比較して言っているに過ぎないの。それに、同様に着物を褒めてくれた唐人のときとは状況が違うもの。
 
 あなたが買うのは中身よ、中身。わかってんの?
 私は心の中で毒づいちゃった。だけどカピタン様は私と目が合うと、子供のようにニコっと笑うのよね。あっけらかんとしていて、驚くほど素直。
 私が呆れてると、今度はこの人片手を上げて、背後の誰かに合図を出したわ。
 
 小間使いの、浅黒い肌をした少年がさっと近寄ってきた。
 手にしているのは、横に張り出した山みたいな形の黒い帽子。カピタン様はその奇妙な帽子を大切そうに受け取り、自分の頭にしっかりと固定すると、私をうながしつつ立ち上がった。
 
 思った以上に背が高くて、しかも結構大柄な人だった。
 他のオランダ人たちは、私たちを興味深げに見つめてたわ。初めての組み合わせだからかしら。あるいはもう部屋へ引き上げるのかと呆れているのかしら。
 私はすまし顔でカピタン様に従いつつ、心中ではぺろりと舌を出してやったわ。
 
 しょうがないでしょ。私だって床急ぎの野暮は好きじゃないけど、お客さんがもうやりたがってんのよ!

 いったん外に出て、私たちは別の建物へと向かった。
 そういえば旦那様の説明でも、カピタン部屋は商館の母屋ではなく遊技場の二階にあるっていう話だったわ。
 その言葉どおり、玄関に入ると正面の部屋にものすごく大きな緑色の台が見えた。あれでどんな風に遊ぶのか想像もつかないけど、玉を突く遊戯があるって聞いたことがある。

 私たちは脇の階段を登り、カピタン様が扉を開けた。
 意外なほど簡素な部屋だったわ。さっきと違い、畳も敷かれてない。
 午後の光が差し込む中、カピタン様はコツコツと靴音を立てて先に入って行った。

 いくつか調度品があるわね。敷物の上には来客用かしら、肘掛け椅子が置かれてて、それとは別に隅の方にも書き物机と椅子、背の高い書棚があった。
 部屋に入ったらすぐに押し倒されるかと思ってたけど、そうじゃなかった。
 カピタン様は机の前にたたずんで、向こうにある壁を無表情に見つめてる。そこには見慣れない地図と、紅、白、青の三色の旗が打ち付けられてた。
 
 やがてカピタン様がぴくりと動いて、私はいよいよかと身構えた。
 でもカピタン様はただ机を回り、疲れたように椅子にどさりと腰を落としてしまったの。
 何、どういうこと?
 
 迷っている私に、カピタン様は長椅子を指差して何かおっしゃった。たぶん緊張せずとも良い、くつろいでくれって言ってくれたんだと思うけど、カピタン様ご自身は嘆息混じりに机に肘をつき、両手で目を覆ってしまったの。
 
 私は言われた通りにして、しばらく待ってはみたものの、困っちゃったわ。
 私たち、そんなに長く出島にいられるわけじゃないの。日が落ちる頃にはまた行列を組んで丸山に帰るのよ。だからほとんどの遣り手や禿(かむろ)は今も別室で待ってる。

 要するに、「お泊まりは別料金」なのよ。もしオランダ人が延長を希望したら、揚代の他にも遊女の食事を長崎市中から取り寄せることになるし、禿が一旦妓楼に帰って遊女の着替えや化粧品を届けに来るから、彼女にもお小遣いを頂くことになる。

 商館員のほとんどはそこまで散財できないから、普通はさっさと事を済ませて遊女たちを返すって聞いてるわ。私だって帰りの身支度に要する時間を逆算すれば、あまり悠長にしてられない。
 こういう場合、こっちから誘った方がいいかもね。何もせずに帰ることになったら確かに楽だけど、後でいろはに馬鹿にされるなんて御免だわ。それにこの先、京屋の女に指名が入らなくなったら、それこそまずいじゃない?

 こっそり見回すと、風通しのためなのか、隣室との扉が開いたままになってた。
 丸見えよ。天井から吊られた蚊帳の中に、寝台がある。
 なるほどあそこね、と私はうなずいた。

「さあ、カピタン様」
 私はつかつかと歩み寄り、お客様の手を取ったわ。
 カピタン様はしぶしぶって感じだったけど、結局立ち上がってくれた。だから私、その背中をぐいぐい押して寝室へ入ったわ。
 蚊帳をめくって中に入ったら、あとは手慣れたもんよ。
 腰紐をしゅっと解いて、真っ赤な掻取は寝台の足元の縁にかけてと。

 ついで帯を解きながら寝台に腰掛け、私は挑発的な表情を作ってカピタン様を見上げた。
 でも、そこで固まった。
 あら、この人、上の空だわ。
 
 ここまできたら、普通はどんな男も獣のような目になって、興奮を隠せなくなってるものよね? 私のこと、気に入ってくれたんじゃなかったのかしら。
 カピタン様は突っ立ったまま、深刻な顔つきで宙をにらんでる。何か大きな心配事でもあるのか、思考が別のところに行ってしまうのを止められないみたいだった。
 やっぱり、そっとしておいてあげた方がいいのかしら。そこまで無理強いするものでもないし、お金さえ出してくれれば、別に文句もないし。
 
 だけど私、考え直した。一度はこの人、私に恋をしてくれたのよ。それは確かなのよ。それに悲しみや不安があるからこそ、それを忘れさせて欲しいっていう男もいるでしょ?

 だから私、再び立ち上がって、カピタン様の両肩を押すようにして寝台に座らせたわ。
 何をするんだ、とカピタン様の目はわずかに怒ってるみたいだったけど、やっぱり表情は乏しかった。

 澄んだ湖のような、静かな目。私はそこを覗き込むようにして顔を近づけ、相手の頬を両手で包み込んだ。異国の男の肌は、ひげの剃り跡でざらざらしてたわ。
「カピタン様。嫌なことは、ようけおありやろうばってん、今は全部忘れて、人生ば楽しんでくれんね」
 
 カピタン様はしばらくされるがままにして、私の目を無表情に見つめ返してきたけど、やがて私の求めに応じることにしたみたい。ニッと笑ったかと思うと、急に先ほどの元気を取り戻して、今度は大急ぎで自分の上着と靴を脱ぎ捨てたわ。
 
 別人になったような荒々しさで、カピタン様は私を押し倒してきた。
 やっぱり男って単純よね。どこの国でも同じ。官能の渦に引き込んで欲しくてうずうずしてるものなのよ。
 だけどこの人がどこか自棄を起こしているような、不自然な苛立ちも感じるのはどうしてかしら。
 
 カピタン様は噛み付くように唇を吸ってきたわ。やがてその唇が私の首筋に滑り落ち、手は荒々しく全身をまさぐってきた。たちまち高まった私は、今回の相手を確認するように、甘美なため息とともにその名をつぶやいたわ。
「ああ……カピタン様……」

 すると妙なことが起きた。
 相手は急に動きを止め、むくっと上体を起こしたの。
「……Hendrik」

「え?」
 私は抗議の声を上げ、頭だけ起こした。冗談じゃないって思っちゃった。ここまで来てやっぱりやめますって言われたのかと思ったの。
 でもカピタン様は私が聞こえなかったと思ったのか、もう一度繰り返したわ。
「Hendrik」

 カピタン様は、親指で自分を指差してる。もしかして名乗りを挙げてるのかしら。
 よく分からなくて、私は眉根を寄せちゃった。
「へん……でれき?」
「Ja. Hendrik」
 カピタン様は納得したかのように大きくうなずくと、今度は迷いもなく私の着物の前をさっさと左右にはだけさせ、露わになった胸に顔をうずめてきたわ。

 再びどさりと倒れ込み、その頭をかき寄せながら、私は天井を見上げた。
 今のは何だったんだろう?
 この人、単に自分の名を呼んで欲しかったのかしら。もしや行為の最中に名を呼び合うのがオランダのやり方? だったら私も名乗らなければ失礼だったのかしら。

 だけどあれこれ考えられたのはそこまでよ。私はカピタン様、もとい、ヘンドリックの腕にねじ伏せられて、我を忘れてしまったから。

 寝台がぎし、ぎしって音を立ててる。
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