第48話 使節団の男

文字数 3,069文字

 そんなわけで、1804年の秋、名村氏と馬場氏には毎日カピタン部屋に詰めてもらうこととなった。

 監視なしで日本人と組むなんて、異例のことだ。
 この二人とは、急速に親しくなってね。間もなく僕は、それぞれタキチロー、タミファチロー(為八郎)と呼ぶようになっていた。
 お陰で二人からは、今回の件の背景を教えてもらえたよ。

「そもそもは、アダム・ラクスマンという男でした」
 二人は交互に語り出す。
「今から十年ほど前のことです」

 ロシアの軍人ラクスマンは、保護した日本人漂流民を連れて、まず根室にやってきたという。
 彼の目的は、自らが江戸に出向いて日本に通商要望の信書を渡すことにあったが、鎖国中の日本としては到底そんなことは受け入れられない。当時の老中は松平越中守定信という男だったが、さんざん対応に迷ったという。

「その時、ラクスマンに信牌(しんぱい)(長崎への入港許可証)を渡してしまったようなんです。これはまずかったですねえ」
 タミファチローがため息まじりに言う。
 当時の幕府としては、すでに開港している長崎に行けと言うことで、通商の道が開けるとロシアに期待を持たせたのである。ラクスマンは信牌を手に入れたことで納得し、帰国した。

 もちろん、そんなごまかしはいつまでも通用しない。今回、レザノフはそれを手に長崎に現れ、今度こそ約束を実行に移すよう求めてきた、というわけだった。
「越中様のお約束など、我々は知る由もありません。長崎側は困惑しておりますよ」
 タキチローも憤慨して言う。

 聞いていて、僕の方も舌打ちしたくなった。
 またエッチュー様がやってくれたなって感じだ。ロシアに隙を見せたわけだ。奥州白河の地方領主だとかで、僕も江戸城で一回だけ顔を見たことがあるけど、まったくあのおっさん、どこまでオランダの足を引っ張ったら気が済むんだろう。

「幕府はどう返答する気なんだ?」
 僕のかすかな不安に、タキチローは心得たように頷いて見せた。
「断固、拒否です。祖法ですから」

 ひとまず安堵した。
 そうだ。ロシアよ、とっとと立ち去れ! 日本はオランダの陣地だぞ。

 だけどこれは日蘭交易に携わる日本人にとっても、生活基盤を失いかねない問題だったようだ。タミファチローなどは、結構ずけずけと本音を口にする。
「ルスラントに近い北方の港が開かれでもしたら、交易都市である長崎の地位が沈みます。許せませんよ」

 三人そろって、うなずき合う。
 まさに、利害は一致したというわけだ。
 
 これまで僕は日本の美を愛しつつも、日本人に全面的に心を許したわけではなかった。彼らは決して腹の底を見せない、油断のならない奴らだと思っていた。
 でも毎日こうして顔を合わせていると、ついつい本音を口にしてしまうようになる。日本人もオランダ人も、考えていることは大して変わらないようだった。

「何だ、二人とも僕よりフランス語がうまいんじゃないか」
 発音練習を始めると、僕は憮然として言った。
 本当だ。僕のいる意味はないんじゃないかとさえ思った。

「とんでもない。我々のつたない語学力では何とも心もとないものです」
 タミファチローは優雅な笑みを浮かべ、淡々と答える。
「カピタンには、その場にいて頂かないと困ります。ルスラントはネーデルラントに敬意を払って、カピタンに同席を求めてきたんでしょうから」
「それはどうかなあ。オランダ人をうまく利用してやれって魂胆だろうよ」

 その年、長崎警備は佐賀藩の担当だった。鍋島家の杏葉(ぎょうよう)紋の幔幕が張られた関船(せきぶね)に乗り、僕たち三人はいよいよ相手方の待つ長崎港の沖に向かった。

 錨を下ろしたロシア艦隊が、みるみる大きくなってくる。
 中央にある最も大きな船が旗艦ナジェージダ号だそうだ。周囲を威圧するかのように、ロマノフ家の双頭の鷲がはためいてる。

 正直足が震えた。こんなことで、僕は戦えるのか?

 タキチロー、タミファチローとともに、僕は縄梯子をつたって登り、そして上甲板へと降り立った。
 大きな黒い羽帽子をかぶり、銃剣を携えた兵がずらり並んで出迎えてくれている。
 その一番奥に、ロシア使節団が待ち構えていた。
 
 正使レザノフ氏は、おやっと思うほど、優しげで繊細な顔立ちの美男だった。
 だけど、彼はヨーロッパ人である僕に一番に握手を求め、目で助けを求めてきた。タキチロー達の方は見ようともしない。
 日本人が怖いんだ。どんな風に距離を取ったらいいのか分からないんだろうな。

 しかも挨拶の間、レザノフが船長クルーゼンシュテルンにひどく気を遣っている様子が僕には見て取れた。おそらく船長の方が、身分が高いんだろう。大秀才だっていうのに、レザノフはそういう自分の弱点を隠しきれないところがあるようだ。

 船室に移り、各自が用意された席に着くと、レザノフ氏は卓上で両手を組み合わせ、さっそく本題を切り出した。
 その声もまた、はっとするほど甘やかで魅力的だったよ。

「Nous demandons la réparation du navire et le traitement de la personne malade. Quand permettez-vous l'atterrissage à Nagasaki ?(我々は、船の修理と病人の治療を求めている。いつになったら、長崎への上陸が許されるのか)」

 ゆっくりとした発音に、彼の気遣いを感じる。だから僕の方も努めて丁寧に答えたよ。

「J'entends dire qu'un Japonais construit une cabane sur la banque opposée de Dejima. Jusqu'à l'achèvement, ils disent qu'ils attendent pendant quelque temps.(日本人は、出島の対岸に仮屋を建てているそうです。完成までしばらくお待ち頂きたいそうです)」
 これは事実だ。日本人は梅ケ崎の地に館を用意し、ロシア人救助の準備を進めている。

 だがレザノフは少し、口調を厳しくした。
「病人はそんなに待てない。国交がないとはいえ、日本にも難儀している者を助けるという国際慣例を認めてもらいたい」

 その気持ちはよくわかる。船中で寝込んでいるアントンの姿を思い出して、僕は大きくうなずいた。僕だってあのとき、友達を助けたいと思って、どんなに苦しんだことか。

 だけど今の僕の返答はこうだ。
「日本は変革に時間がかかる国なのです。待たねばなりません」

 レザノフは日本を非難することで、僕を自分の方へ引き寄せようと必死だった。
「長崎入港時、日本側から武器弾薬をすべて差し出すよう求められた。あれはひどい侮辱である。そうは思わないか?」
 僕は即座に言い返す。
「ペイバ(オランダ)も同様です。日本人の信頼を得たいのなら、従うべきです」

 表面は上品ぶった、しかしその実、戦いに等しい応酬が繰り返される。
「我々の船が挨拶の号砲を鳴らした時、貴国の船は答礼しなかった。これは欧州の慣例に反する。失礼である」
「ここはジャポンです。お奉行様に、そのように命じられていたのです。ご理解下さい」

 レザノフが日本を責めている限り、僕は同意できなかった。
 話し合いはしばらく平行線をたどり、彼はしびれを切らせ始めた。
「我々はジャポンへの朝貢ではなく、対等な通商を求めに来たのだ。あなたは大使の要請により、我々に全面協力する義務があるはずだ」

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