第16話 払っていただきます

文字数 2,984文字

 私が沈黙してしまったので、ヘンドリックはどう会話をつづけたものか迷ったみたい。
「Goed(まあいいや)……」
 言葉を探すように彼は前のめりになり、自分の膝に両腕を預けたわ。

「僕、江戸のkeizer(皇帝)、イエナリ、二度会いました」
 話題を変えたみたい。指を二本立てて、そう言ったわ。
 さらりとした口調だったけど、言ってることは重大だった。

 私は神妙にうなずいたわ。今度は気圧されちゃって、何も言えなかった。
 そういえばこの人、江戸の公方様のお目見得が許されるご身分なのよね。お大名と同じってことよね。やっぱりすごい人なんだわ。

 私は身構えてたわ。どんなすごい話が飛び出すのかと思ったから。
 だけどヘンドリックは深刻な顔つきのまま、ただこう続けたの。
「一度目、彼の妻、八人。二度目、彼の妻、十八人。きっとまだ増えるよ」

 は? と聞き返しちゃった。
 それって公方様の囲ってる女の人数のこと? そんな話、ここで暴露しちゃっていいの?
 私は冷や汗をかきつつ、こっそり周囲に視線を走らせた。もちろん聞き耳を立てている人なんているわけないけど。
 
 ヘンドリックは前のめりの姿勢のまま語ったわ。
「僕、彼の妻、全員に会いました。とても、不愉快、でした」
 不愉快って何かと思ったら、どうもこういうことみたいなの。
 江戸の人たちにとってもオランダ人の姿は珍しいでしょ? だから千代田のお城に上がったヘンドリックとお付きの商館員は、大奥の女性たちの前で見世物にされてしまったのね。

 後から後から女たちが湧き出てきて、興味津々でヘンドリックたちを取り囲んでくる。珍しい動物でも見たみたいに、あれやこれやと特徴を指差してくる。オランダ人の方は慣れない正座をさせられたまま、辟易してる。
 そんな光景が目に見えるようだったわ。

 もちろん私には、女たちの気持ちも分かる。普段は好き勝手に出歩くこともできないんだもの、オランダ人の見物が特別に許されたとなれば、はしゃぎ回って当然よね。

 でもヘンドリックが問題視してるのはそこじゃなくて、その場に出てきた女性の人数だったみたい。彼は本気で困った表情をして、こんなことを言い出したから。
「大変よ。いくらケーシェー呼んでも、イエナリに追いつけん」
 
 思わず吹き出しちゃった。お酒をこぼしちゃいけないから杯を卓上に置いて、私はようやくきゃははって声を上げたわ。
「何、が、おかしい」
「だって、そいはたぶん、一所懸命に見習うことと違うばい」
「いや、オリオノ。我々、真剣です」
 
 ふざけてるとしか思えないけど、ヘンドリックは真顔で自分の胸に手を当てたわ。
「ヤパンでは、サムライ、偉い。商人、卑しい。でしょ?」
 でしょ、と聞かれても、私にはよく分からない。当たり前過ぎてそんなの考えたこともなかった。

 だけどヘンドリックは自分で重々しくうなずくのよ。
「我々は、商人。Echter、ここでは、軍人、のごと、ふるまう。女は、多いほど良か」
 つまり遊女をたくさん買った方が、日本人は高く評価してくれる。人間としての深みがあるように見られる。というのがヘンドリックの見解みたいなの。
 
 私は腕組みして考えちゃったわ。
「う〜ん、そいはどがんですやろうか」
 だけどヘンドリックは自身満々に答えるの。
「我々、ケーシェー、呼ぶ。役人、喜ぶ。こい、は、事実」

 それは単に長崎の町にお金が落ちるからでしょ。
 私は内心つぶやいたわ。散財して欲しい立場の人が喜んでるだけよ。

 ま、ヘンドリックとて日本人の思惑に気づいてないことはないでしょうけど、今のところそう思い込んでるのなら訂正はしないでおく。その方が私たちにとっても都合がいいんだもの。
 そうよ、じゃんじゃんお金を使ってね。私たちにのめり込んで、ひとときを楽しんでね。お役人から尊敬のまなざしを向けられて、良い気分になってね。
 しかしその分、がっつりと払っていただきます。

「じゃあヘンドリック。うちのことば、い〜っぱい、呼んでくれんね」
 私は熱を込めて彼の手に自分の手を重ね、すくい上げるように相手を見たわ。
「うち、精一杯おつとめさせて頂きますけん。ヘンドリックを満足させられっように」



 翌朝、白い光があふれ、風が通り抜ける部屋で、私はヘンドリックと抱き合い、揉み合うように接吻し続けてた。
 
 ゴンゴン、と扉が叩かれたのはその時よ。
 慌てて体を離すと同時に、商館員の一人が両手いっぱいの書類を持って入ってきた。書類は机の上にどさりと置かれ、ヘンドリックはうんざり、といった表情でそれを受け取ったわ。

 だけど、そこで何かが切り替わったようだった。使いをした商館員に一声掛けて見送ると、ヘンドリックは人が変わったように厳しい表情で机に向かったの。
 
 私はまだ情事の続きをやるつもりで、横に立ってしばらく待ち構えてたんだけど、一旦仕事に集中し始めたヘンドリックはもうこっちを見ることはなかった。

 彼の背後にそう~っと近づいていって、私は背伸びして覗き込んだ。
 それ、決済の書類か何かかしら? わけのわからない横文字ばっかりで、全然読めない。

 ヘンドリックはそんな私に構わず、真剣に目を通してる。
 ここは交易の事務をする所だもの。商売に関する書類なんでしょうね。
 ヘンドリックは品目とその数と金額を見て、確認を終えたら羽根で作られた細い筆でくるくると署名をし、次の書類に移っている、という風に私には見えたわ。
 でもどうせ中身はわからないし、こうして見てたって邪魔なだけよね。

 まったく手持ち無沙汰だわ。
 私をとどめておく以上、こうしている今も彼には課金されてるのに、ヘンドリックにはもったいないっていう感覚がないのかしら。

 そうだ、せめてお茶ぐらい淹れよう。
 思い立って、私は厨に入ってみた。私も朝になってようやく気づいたんだけど、ここ、寝室とは反対側に台所が付いてるのよ。

 だけど、よその台所って勝手がわからないものだった。戸棚を覗いてみたり、引き出しを開けてみたりしたけど、食料品の類はほとんどないみたい。たぶん、ここでお料理をすることはないのね。

 (かまど)は日本のものだから、お湯を沸かすぐらいはできそうよ。
 でも他のことがどうにもダメ。急須らしき物を見つけたけど、これってどう使えばいいのかしら。
 それに陶器の壺の中身。お茶だと思うんだけど、異国の茶葉って妙な香りがついてて何だかおいしくなさそうよ。

 私が途方にくれて、両手を腰に当てたときだった。
 外で子供のはしゃぐ声がしたようなの。私はついと顔を上げ、窓の方へ目を向けた。

 気のせいかしら?
 不審に思って、私は窓に近づいて見下ろした。すると、本当に子供がいたわ。小さな女の子と犬が空き地で走り回ってるの。

 女の子は元気いっぱい。鞠をぽーんと放り投げては犬と一緒に追いかけ、拾ってはまた投げて追いかけ、と妙な動作を繰り返してる。
 さらに妙なのは、その少女を数人の大人の男が見守ってること。先ほど顔を出した商館員もいるわ。あの女の子、ずいぶんと大事にされてるみたいね。

 やがて犬が空き地を飛び出してどこかへ行ってしまい、女の子も男たちもわあわあ言いながらその後を追いかけて行った。人の姿が消えたので、私も窓辺を離れたわ。

 ふいにカピタン部屋の扉が叩かれたのは、それを忘れかけた頃のことよ。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み