第5話 紅柄格子

文字数 2,529文字

 確かに彦助さんの売り込みは良かったんだと思う。
 私は寄合町ではそこそこ格式のある、京屋っていう妓楼に籍を置くことで決着した。

 何でも、楼主の茂八さんは入札者の中で一番の金額を提示してくれたんですって。
「ここに入れたとは上々たい。うもうやって、御職ば張ってみろ」
 彦助さんは私との別れ際、肩を叩いて励ましてくれたわ。

 驚いたのは、そんな京屋の大部屋で初めて化粧をした時のこと。
 それまで地味な自分の顔が大嫌いだったのに、信じられないことが起こったの。そんなに白粉を塗りたくらなくても、細い線を一本描き足すだけ、淡いぼかしをふわっと頰に乗せるだけで別人のようになったのよ。

 私、思わず鏡を持ち上げて見入っちゃった。そこに思わず引き込まれるような艶やかな美女がいるんだもん。これ誰?って感じよ。彦助さん、きっとこの化粧映えを見抜いてたのね。

 今まであんな妹ごときに劣等感を抱いてきたのは何だったのかしら。
 同じ部屋では他の並女郎たちが大声でおしゃべりをしたり、客を横取りされたとか何とかで喧嘩をしたりだったけど、うれしくてそんなの耳に入らなかったわ。

 しかも運が良かったのね。私、素敵なお着物を頂いたの。
 京屋の太夫の中に、瓜生野(うりうの)さんっていう人気の遊女がいるんだけど、とある町年寄の方に落籍(ひか)されることになったらしいのよ。
 いいわよねぇ、長崎の町年寄っていったら大富豪よ?

 瓜生野さんは気前の良い人でね、店に残る遊女たちに豪華な衣装を残していってくれた。遊女の衣装はほとんど自前だけど、瓜生野さんの場合はこれまでの馴染み客が買ってくれたものなんだそうで、もういらないんですって。むしろ一刻も早く処分したいって感じで、彼女は大部屋の真ん中に抱えてきた着物をどんと置いたわ。

「早いもん勝ちよ。皆さん、好いとるもんばどうぞ」
 もちろん女の子たち、きゃあきゃあ言いながらその山に群がったわ。

 私は新入りだから遠慮した。遠目に見てただけよ。
 でも、それでも最後の一枚が回ってきたの。古びた着物だったけど、私の目には十分にきれいだった。
 きらきら光る、浅葱の綸子の生地。金銀の花鳥画の縫い取り。もう、ため息ものよ。恐れ多くて、触れるのをためらうほどだった。

 しかも、ね。
 不遜に聞こえるかもしれないけど、思い切って袖を通してみたら、私自身の存在感も決して着物に負けてなかったの。
 後ろ姿を鏡で見てみたら、縫い込まれた蓮池水禽の図が何ともかわいくて。古美術に親しんできたから、私はこの絵に男女の和合とか、君子の高潔性といった寓意があることも知ってる。すごく気に入ったわ。

 彦助さんの言ってた通りかもしれない。
 こうやってきれいにしていられて、毎日食べさせてもらえるなら、少々嫌な客の相手をさせられたって何でもない。だって世の中には、もっと悲惨な暮らしをしてる人もいっぱいいるじゃない?

 私が先輩格の見世(みせ)女郎、並女郎に続いて紅柄(べんがら)格子の中に座ったら、思った通りよ。席も温まらないうちに指名が入ったわ。
 遣り手のおぎんさんが、後ろから私を呼ぶ。他の女の子たちは驚いたように顔を上げたけど、こっちはすまして立ち上がるのみよ。
 
 で、間もなく、私には自分でも驚くほどの人気が出たの。
 客の男たちは、みんな私を褒めてくれた。容姿のことだけじゃない。大人しそうに見えて、言いたいことをはっきり言う意外性が面白いんですって。

 確かに嫉妬して、意地悪をしかけてくる同僚もいないことはなかったわ。
 でもそれより自信が持てて、笑顔が増えたせいかな。私、友達がいっぱいできたの。どんどん身の周りが華やかになっていって、毎日がとても楽しかった。まさか自分が遊女に向いてるなんて思いもよらなかったな。
 
 だけどね。
 恐れてた異人相手の仕事。やっぱり回ってきたわ。
 何でも丸山町、寄合町にまたがるこの遊里は、最初から外国人をもてなすために作られた所なんですって。その昔、平戸にあったポルトガル商人相手の妓楼がすでに丸山と呼ばれてたそうで、その後オランダ商館が平戸から長崎出島に移転される時に、丸山も一緒についてきたっていう話よ。
 だから丸山の遊女は当然のごとく、十禅寺町の唐館、出島のオランダ商館に頻繁に派遣されるの。
 
 異人は自由に外を出歩けないから、私たちは彼らを市中で見かけることはまずないの。だから、彼らがどんな姿格好をしているのかもよく分からない。
 取って食われるんじゃないかって、初めての女の子たちは震え上がったわ。

 旦那様の命令で、並女郎は一列に並ばされた。格の高い遊女は指名制だけど、私たちはこういう時、前から順に人数だけで行き先が決まることもあるのよ。
「……九、十、十一。はい、ここまで、十禅寺」
 
 十一番目に並んでいた私は、ぎりぎり唐人行きだったというわけ。
 ひとまずほっとした。後ろの人は出島、すなわちオランダ行きだから、お気の毒よね。

 そうそう、丸山では客筋によって遊女の格が分かれてるの。高い順に日本行き、唐人行き、オランダ行きよ。
 でも日本人しか相手にしない「日本行き」を置くのが許されているのは、一部の格式高い店だけ。京屋を含め、ほとんどの店には「唐人行き」と「オランダ行き」しかいない。どっちも普段は日本人の相手もするし、実は両者の線引きも曖昧なの。

 だけど問題は、その中でも最下級の遊女「オランダ行き」よ。これだけは誰もがなりたくないと思ってる。
 蘭人は姿かたちが日本人と大きく違ってて、そりゃもう鬼のように恐ろしいんですって。一度でも彼らの手がついてしまうと、取り返しがつかないほど心身が汚されてしまうんですって。

 オランダ行きは、年季が明けても普通の結婚が難しくなるって言われてる。だから一部の気の強い女の子たちは密告まがいのことまでして、自分の嫌いな子をオランダ行きにしてしまったりするのよ。物をわざと隠して、その人が盗んだように見せかけるっていうのも見たわ。
 ひどいいじめよね。私もそれを知ってぞっとした。自分が助かりたいばかりに、そこまでするかしら。

 今回はとりあえず最悪の事態を免れたけど、私もいつそっちに落とされるか分かったもんじゃない。ほんと気を抜けないわ。

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