第24話 打ち首、獄門?

文字数 2,716文字

 小萩さんは、ぽんぽんと言うのよ。自分たちも売られた身だけど、ここは日本だからまだ扱いはましだって。はるか南方のジャガタラで売られたら、どうなるものか分からないって。

「ちょっと……!」
 私は小声で小萩さんの袖を引き、止めに入ったわ。いくら何でも言い過ぎよ。

 少年たちのことがまず気になったわ。彼らは黙々と働いてるけど、日本語だってわかるものはわかるでしょ。ジャガタラから来たあの子たち、どれほど傷つくことか。

 それに、ただでさえ年上の女郎が嫉妬するのは見苦しいものよ。桜野さんはともかくスヒンメルさんのことまで悪く言うなんて、さすがに看過できない。

 桜野さんもそういう点には気づいてるようね。冷ややかに相手を見返しつつ、すかさず言い返したわ。
「ゲルリッツは、そがんことばせんもん」
 すると小萩さんは、袖をつかんだ私の手を邪険にふりほどいて桜野さんに言い返す。
「どがんやろう? 人間はね、金ののうなったら、あっという間に変わるんよ。優しかお人が鬼にもなるんよ」
 確かに、と私も思う。その手のことなら、遊女たちはみんな経験してる。そりゃもう、身に染みて知ってるのよ。

「そいにね」
 と、小萩さんは腕組みしてさらに言ったわ。
「女の出国なんて前例のなかやけん、お奉行所のお許しはまず出んやろうね」

 私もはっとし、やがてぐっと腹に力を込めた。
 やっぱりそこよね。異人相手の遊女たちはみんな、この現実に直面する。
 
 桜野さんはさすがに表情を引き締め、宙を見据えてしばらく考え込んでた。
 でも何か心に決めたものがあったようで、ぽつりとそれを口にしたわ。
「……いざとなったら、積荷に身ぃば潜ませてでも……」
 その決意は思いのほか壮絶で、私は密かに息を飲んだ。だけどその手があったか、と心のどこかで感心してたのも確かよ。

「何ば言っとんね」
 小萩さんは即座に否定した。
「日本の国法ば犯さんてゆう約束で、蘭国は江戸の公方様に交易ば許されとる。違反でもしたら、もう蘭国の長崎に船ば寄せっこと、できんようになる。そがん危険なこと、商館のどなたもなさらんやろ。何より、カピタン様のお許しになるはずのなかよ」

 桜野さんは、はっとしたように私の方を見たわ。
「瓜生野さん、カピタン様に言いつけっと?」
「ああ、いや、そいはせんばってん……」
 私は口ごもっちゃった。いきなりそんなことを言われても困るわよね。

 いっぽう小萩さんは、言葉の矢をつがえては次々に放ってる。
「もしおうちが無理ばして、露見したら、スヒンメルさん、打ち首になるやもしれんよ。そうなったら、誰より悲しか思いばすっのは、桜野さん、おうちじゃなかね?」

 私も血の気が引く思いだった。
 一瞬、処刑場の竹垣が見えた。そこへ目隠しをされたヘンドリックが引きずり出されてくる。
 市中引き廻しの上、獄門。その首は三日間晒される。

 甘い考えはたった今、打ち砕かれた。下手をしたら本当に、そういう事態を招くのよ。
 自分の本音に気づいたわ。私、スヒンメルさんと桜野さんにくっついて欲しかった。彼らがうまくやれば、私もヘンドリックと一緒にいられるんじゃないかと思って。

 だけど小萩さんの方が正しかった。確かに彼女の言う通り。無理しちゃいけないんだわ。
 桜野さんもひたすら青ざめ、うつむいてて、それ以上言い返す気力をなくしたようだった。
 
 小萩さんの方は、彼女をいじめ抜いたことで一応気が済んだみたい。
「じゃあね。うち、もう行かなくちゃ」
 そっけなく言い残し、私たちを置いて行っちゃった。すたすたと、平然と、まるで何にも傷ついていないような足取りで。
 それでもあの後ろ姿、彼女自身がもうすぐ捨てられる運命に泣いてるとしか思えない。
 
 やれやれ、だわ。私はすっと桜野さんの側に寄り、まだ少女の面影を残すこの朋輩をたしなめた。
「なあ、言葉に気ぃばつけんと。おうちのごと、幸せな女子は少なかよ」

 だけど桜野さん、諦め切れるものでもなかったみたい。ねえ、と言って、今度は私に詰め寄ってきたわ。
「瓜生野さんは、カピタン様に付いて行きとぉねえん?」
 まだ言ってる。今度は私がイライラしてきちゃうわ。
「馬鹿言わんで」
「瓜生野さんも、一緒に行こう? カピタン様にお願いしてみんね」
 彼女は袖を強くつかんできて、私が振り払おうとしても離さなかった。
「ねえ、カピタン様は優しかお人なんやろう? きっと考えてくるるばい」

「たいがいにせんね!」
 私はとうとう彼女を怒鳴りつけた。
「おうち、一人でジャガタラに行くのがえすかと? 覚悟のなっとらんね。死にとねえと思うぐらいなら、無鉄砲なことはやめとかんね」

「……」
 桜野さんは暗い顔つきになって、ようやく手を離したわ。
 まったく、こっちまで巻き込まないで欲しいってもんよ。私は深いため息を漏らし、乱れた袖を整えた。
「分かった? もう二度とそん話はせんで」
 冷たく言い放ち、この話を打ち切ったわ。

 結局、小萩さんと同じよ。ムカムカして仕方がなかった。桜野さんと目を合わせる気にもなれず、私は足早に玉突き場を出た。

 二階に駆け上がって、部屋に入って、バタンと背中で扉を締めたわ。
 ああいうのが一番、頭にくる。
 はあっと天井に向かって嘆息した。若いって、視野が狭いってあんなものかしら。
 
 カピタン部屋は静かだった。ヘンドリックはフォールマンさん達と母屋に行ったから、当分帰って来ないでしょ。
 
 机の向こうに貼られた地図を、私は扉に寄りかかったまま、ぼんやりとながめた。
 最初のうち、あれが何の地図だかよく分からなかった。でも今は、日本やバタヴィアを含めた南海のものだって知ってるわ。
 ヘンドリック達にとって大切な地域よ。

 地図に近づいて、めくれ上がった端の部分を手で押さえてみた。
 よく見たら、ヘンドリックの手で長崎からバタヴィアまでの航路が書き加えられてる。

 南へ向かうその線に、自然と目が吸い込まれた。
 いつかヘンドリックも、その洋上の人となるのね。長崎港が遠ざかっていくその時、彼は日本で接した遊女のうち何人かの顔ぐらいは思い出すかしら。

 いいえ。
 私は身じろぎもせずに思う。一人も思い出しなんかしないわ。せいぜい日本での生活も面白かったなあとか、それなりに情緒があったなあとか思うぐらいでしょ。
 
 地図に手をやったまま、目を閉じた。
 なぜか海で溺れかけているような感じがした。
 こういう夢を見たことがある。私はもがき苦しんで、懸命に水面から手を出してるのに、誰にも見つけてもらえないの。そしてただ暗い海の底に沈んでいくの。
 
 私は肩で息をする。なぜこんなにも苦しく感じるのか、自分でもよく分からない。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み