第9話 代償

文字数 2,115文字

 私はこの後、同年代の友人もたくさん失った。

 京屋を去る女たちは、決して借金を完済したわけじゃないの。むしろ借金を増やして、もっと条件の悪い店に転売されていくことが多いのよ。

 病気になって、厄介払いされた子もいた。体を壊して奉公できなくなった女を、妓楼が面倒なんか見るわけないでしょ。私も噂でしか知らないけど、借金は帳消しにする代わりに出て行けって言われるそうよ。帰る家がない人もいるのにね。

 ある時、一人の遊女が首を吊って死んだ。

 騒ぎを聞きつけて私たちが廊下に飛び出したら、その部屋の前にはすでに人だかりができててね。旦那様とおぎんさんがこっちを手で制し、近寄るなって言うの。
 もちろん私たち、何が起きたのか分かってたわ。

 その人は以前から気が強くて、自分より人気のある遊女に何かと嫌がらせをしてくるような性格だったの。だから衝撃はひとしおだった。私も彼女の前では絶対に気を抜けないと思ってたから、何だか拍子抜けしたって感じよ。
 ニヤニヤと笑ってる子を見た時には、さすがに不謹慎だなって思ったけど。
 
 事態の深刻さは、少し経ってからじわじわと感じられたわ。
 店の若い衆が裏口からこっそり亡骸を運び出していくのを、私たちは窓からじっと見送った。何とも言えない、重苦しい雰囲気だったわ。みんな黙り込んでたけど、明日は我が身、と思ってたんじゃないかしら。

 年下の女の子たちのうち、数人はひどく怖がって、今にも泣き出しそうだった。
 だから私、ちょっとでも安心させてやろうと、あえて軽い口調で言い放ってやったわ。
「あん人、客の男にうまかこと乗せられて借金ば増やした挙句、裏切られたとよ」

 そう、事情はちょっとだけ知ってたのよね。暴露するのは仲間への思いやりが半分。もう半分は死んだ彼女への復讐よ。
 ああいう結果を招くのは、あくまで特殊な人だってことにしたかった。よほど踏み外さない限り大丈夫だって、私もそういうことにしたかったの。
 
 一番悲しそうな顔をしてる子の肩をなでて、私は優しく教え諭してやったわ。
「うちらは客に惚れさせるのが仕事やけん、自分が惚れてはいけんよ」
 これはある程度功を奏したみたいでね、みんなようやく不安から解き放たれて、くすっと笑い出したわ。簡単よ。どの女も、自分はそこまで愚かじゃないと思ってるもの。

 私も他の女たちも、その日のうちに笑顔でお客様に会ってたわ。

 ただそんな風に暮らしていると、自分の感覚が麻痺したように死んでいくのが分かった。
 胸が痛むようなことがなくなる代わりに、心からうれしいとか楽しいと感じることもなくなっていくみたい。長くこの稼業をしていれば、何を見聞きしたって驚きも感動もしなくなっていくものなんでしょうね。

 それでも刃物を突きつけられたように、事態の深刻さに目覚めることがあるわ。
 妊娠よ。
「ふん。どうすっとだ?」
 遊女が遠慮がちにその事実を告げると、旦那様は迷惑そうな顔をするに決まってるの。そんなくだらないことを、いちいち報告するなというわけよ。

 旦那様が気にするのは、この点だけだった。
「勤めば休む時は、早めに言え」
 京屋では遊女が父親の分からない子を妊娠した場合、本人の意思で産んでも堕ろしても構わないってことになってる。店によっては無理やり手足を押さえつけられて堕胎させられるっていうから、かなりましな方なんでしょうね。

 だけど実際には、借金を抱えたまま長期間勤めを休むことはありえないし、赤ん坊を産んだところで自分では育てられない。
 ならば、ということで、私も他の遊女と同じく、早いうちに整理する方を選んできたわ。命を奪われる赤ん坊のことを思えば残酷かもしれないけど、その子は生まれてきたって不幸になるだけだもの。その方がいいに決まってる。
 
 私も最初のうちは他の女の手を借り、だんだん慣れてきたら自分で処置できるようになった。
 この稼業がなぜ罪深いと言われるのか、よく分かったわ。金持ち男に優しくしてもらう、その代償がこれよ。

 できてはおろし、できてはおろしするうちに、もはや悲しいとも思わなくなった。心はものすごく強くなった。傷つくことなんてなくなった。

 でも体に傷は残ってるのかしら。何でもない時にお腹の下の方が腫れて、激痛が走ることがあるの。
 これは、自分の罪を忘れるなということかもしれない。だからもう覚悟してるわ。私はたぶん、もう子を産めない体になってる。人生捨てるって、こういうことよ。
 
 何のためにこんな生活をしているのか、わからなくなってくる。
 
 私はだんだん、お酒に頼るようになった。
 身を削って得た金を、お酒に替える。もちろんその愚かさは分かってる。
 でも、わけもなく涙が出てきたり動悸が収まらなくなったりしたら、酔って自分をごまかすのが一番なの。そうすれば、暗いことをいちいち考えずに済むの。
 それにどうせ好きでもない客に身を任せるんだもの。自分も泥酔してた方がましでしょう?

 目を閉じて、私はひたすら念じてる。
 何も考えないように。何も感じないように。
 今日も私、浴びるようにお酒を飲んでる。

 空疎な女たちの笑い声が、今日も庇の下で響き渡ってる。
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