第67話 作戦会議

文字数 2,800文字

 もう何も考えられない。僕は一番に駆け出して行って、勢いよく襖を開け放ち、はだしのまま庭に飛び降りた。
 門の脇に、一人のオランダ人の姿がある。

 ディルクだ。両脇から日本人に支えてもらいながらも、どうにか自力で歩いている。
 僕は息を詰めるようにして駆け寄った。

「ディルク……ディルク! よく生きて戻った。良かった」
 叫びながら、彼を引き取った。ディルクは僕に応えようとしてくれたが、やはり弱っている。半病人のような目をこちらに向けるのがやっとのようだった。

「しょ、商館長……」
「どうした、ディルク。ゲルリッツは?」

 僕は愕然とした。何と、ゲルリッツ・スヒンメルはまだ敵艦に囚われたままだという。
 二人とも戻ったわけじゃなかったんだ。
 
 ディルクに付き添っていた日本人の男が、小脇に抱えていた木箱を差し出してきた。
「カピタン様。こちらが敵の船長からの、言伝ということにござる」
 僕はわけが分からないまま、英語の書かれた木箱を受け取った。どうもこれを持ってくるために、ディルクだけが解放されたらしい。

 半刻後、僕はまたさっきのお座敷で、お奉行様を始め、日本の役人たちと向き合っていた。
 手紙はオランダ語で書かれていた。脅迫状の体裁を取っていたが、注意深く文面に目を通したところ、敵が言いたいのは要するに飲料水と薪、食料をくれ、ということのようだ。

「まるで海賊船じゃな。まったく」
 タキチローの通訳を聞いて、お奉行様は苦々しく顔をしかめた。
「カピタンは、この申し出にどう答えるべきと見るか」
 不本意そうながらも、彼はようやく僕を見て、意見を求めてきた。相手が聞いてくれるのなら、もちろん僕としてはいくらでも言うことがある。

「交渉の余地はありそうですね」
 僕は率直に感想を述べさせてもらった。
「このような要求をしてくるところを見ると、敵も相当に困っているとみるべきでしょう」
 うんうん、とその場の日本人のほぼ全員がうなずいてくれた。お奉行様の態度を見て、今度は同意してくれたわけだ。

 ともあれ、日本人も同じことを感じているんだと思った。
 認識を共有できると、途端にやりやすくなる。さっそく僕は具体的な提案に移らせてもらった。
「水と食料は、少しずつ渡しましょう。向こうの要求に従うふりをして、先に人質を取り戻すのです」

 そう言いつつも、僕はまだ身構えていた。即座に否定されてもおかしくなかった。
 日本人にとっては、特にこのお奉行様にとっては気の進まない申し出だろう。相手を出し抜くような、ずるいやり方を日本人は好まない。たとえ相手の方が卑怯であっても、だ。

 だけど、オランダと日本が再び手を携えることができるか、今がその分かれ目じゃないんだろうか。
 僕はがばりとお奉行様にひれ伏した。
「スヒンメルが無事に戻ってきたら、お奉行様の仰せ通り、敵を攻撃しても構いません。その時は、この私も日本の一兵卒として戦います。ですからどうか、ここはオランダのやり方を受け入れて下さい」

 仲間が取り返せるのなら、本当に何でもやるつもりだった。
 だけど、さすがにお奉行様の方が苦い顔になった。
「……カピタン。そこもとはまだ若い。それでいて責任は重い。気軽に戦場へ出られる身分ではないことをお忘れあるな」

 僕はひれ伏したまま、その言葉の意味をじっと考えた。
 君はサムライじゃないから、どうせ戦えはしないと言われてるような気がした。

 確かに僕は戦争を嫌って、植民地行きを決意した。あんなにもフランス軍の前線に行かされるのを怖がった僕に、偉そうなことを言う資格はないかもしれない。

 だけど、そんな僕にもできることはあるはずだ。そう思い直して、僕は顔を上げた。
「確かに私は軍人ではありません、ですが、海戦に関する多少の知識はありますから」

 まったく、こんなところでVOCの社員教育が役立つとは思わなかったよ。
 僕はオランダ人の座敷から海図を持ってこさせると、それを日本人の前に広げて見せた。
 結構大きなものだ。遠慮して遠巻きに見ていた人々も、袴を引きずって進み出てくる。

 僕は身を乗り出して、あちこち指さした。
「オランダ語で読みにくいかもしれませんが、ここをご覧ください。高鉾島(たかぼこじま)と伊王島の間。このように浅瀬が多く、大型船が通れる部分は限られています」

 むろん、それを知っている日本人もいるだろう。漁師をはじめ、船でここを通行する者は経験的に知っているはずだ。
 だけど武士たちは違う。彼らは簡単な絵図、それも領域支配の許された地域のものしか見たことがないものだ。長崎湾の水面下の形状なんて知るわけがない。

「このように湾口が狭い場合、よく取られるのは封鎖作戦です」
 多数の船を沈めて道を閉ざし、湾内に船を閉じ込める。その内容を、僕は身振り手振りを加えて説明した。
「敵は湾内を逃げ回るか、さもなくば浅瀬を突っ切ろうとして座礁します。動けなくなったところを攻撃すれば、日本側が圧倒的に有利です」
 
 しかし具体的なところが見えてくると、お奉行様はやっぱり難色を示し始めた。
「貴重な船をわざわざ沈める? 船の数が足りるとも思えんが」
「九州諸藩の援軍が海路、長崎に向かっているわけです。船は手に入ります。ですからこれが最善の策かと」
 僕は説明を続けたが、周囲で聞いていた他の日本人も無理だと感じたようだ。

「いかほどの金と時間がかかるんじゃ」
「作業中に、あの大砲で撃たれるやもしれん」
「そうじゃ。大砲が恐ろしいものだと申したのはカピタン。そのほうではないか」
 そうじゃ、そうじゃと、裃姿の武士たちが僕を責めてくる。僕は何と反論すれば良いか、しばし考えた。

 朝になって、日本人も遠眼鏡で船を見て驚いたようだった。あのずらりと外に向けられた砲口を見れば、震え上がるのも無理はない。

 でも違うんだ。僕はさっきから、むやみに恐れる必要はないとも言っている。
「あの大砲はカノン砲といい、射程こそ長いものの、威力は大きくないのです。命中率もさほど高くはありません」

 今後、兵器がより発達すれば話は違ってくるかもしれない。だが今のところは本当にそうなんだ。
 海戦でよく用いられるカノン砲だが、実は威嚇程度の効果しかない。船から陸を攻撃するにはもっと向かない。港を破壊する目的なら、ずんぐりとしたモルティール砲を用いるのが常識だ。

「要するに、敵は比較的大きな船ばかりを狙ってくるでしょう。離れていれば、どうせ当たりません。こちらは小回りの利く舟で近づき、焼き討ちにすれば良いのです」

 唾を飛ばす勢いでしゃべり続けた僕だったけど、その時は、と言いかけてやはり口ごもった。僕は膝の上の拳を握りしめる。
「……その時は、私自身が敵船に近づいて火を放ちましょう」

 タキチローが最後まで訳し終え、同時に苦い顔をうつむけた。
 お奉行様も他の日本人も、いつしか粛然として僕を見つめていた。

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