第46話 布を生み出す仕事

文字数 3,237文字

 僕は、最初から日本に馴染めたわけじゃない。
 日本人との付き合いには、厳しい制限があった。だから疑問を抱くことがあっても、その理由を日本人に問いただすこともできなかったんだ。

 例えば、オランダ人がどうしても長崎市中を歩く必要があるとき。前もって戒厳令が敷かれるから、往来に人の姿はまずない。
 それでもこちらとしては当然、住民の気配を感じる。格子戸の隙間から、息を殺してこちらをうかがっている人々がいるんだ。既婚の女たちが眉を剃り、歯を黒く染めているのなんて、薄気味悪くて仕方がなかったよ。

 犯罪者の処刑は頻繁に行われ、かのエルベルフェルトと同じような晒し首もよく見かける。慣れたら何とも思わなくなったけど、庶民からすれば身も凍るような見せしめに違いない。

 貧しい人間は多く、橋の袂などには必ず物乞いがいる。
 日本の役人は彼らを不都合な存在と見て蹴散らし、なるべく僕たちの目に触れないようにしているけど、見えるものは見えるんだよな。
 苛政が行われているのは確かだ。目を背けたくなるような、厳しい現実がある。

 それでも根気よく日本人の暮らしを見ていくうちに、次第に僕の目に、ほの暗くも美しい、この国の景色が映り込んできた。
 
 山あいの棚田が、鏡のように朝日を映し出す。
 重なる寺院の(いらか)に、鐘の音がこだまする。
 咲き誇る桜。無数の花びらが舞い降りる。

 どれもこれも、神が与えた荘厳な光景としか言いようがなかった。そこかしこに張りつめた意思を感じる。日本の陶磁器、日本の刃物。みなぎる精神性に圧倒される。
 
 だが僕が最も心惹かれたのは、やっぱり着物だった。僕は何度も人々を呼び止めた。その身にまとう生地の素材や織り方。相手が辟易するほど、しつこく尋ねたものだ。

「ツムギ?」
「チリメン?」
 どうしても知りたかったし、知らずには帰国できないほどの価値があると直感したんだ。そして初対面であるはずの布地に、僕はいつも懐かしさを覚えた。

 布地は貴重品だ。端切れのその端切れまで使い切る倹約ぶりなら、オランダ人とて負けてはいない。だが日本人の布に対する姿勢もまた桁違いだった。
 
 日本人の多くは、季節ごとの着物なんか持たない。女たちは家族の健康を気遣い、気候の変化に応じて裏地を付けたり、綿を入れたりしているが、それこそ気の遠くなるような針仕事だ。布の命が尽きるまで、ほどいては縫い直し、ほどいては縫い直す。そうして布というものに自分の魂を吹き込んでいくんだ。

 僕たちが市中に出向く機会はそう多くはなかったが、ワルデナールさんのお使いで役人や大商人の屋敷に行くことがたまにあった。
 その途中で、ある農家に立ち寄った時のことだ。
 僕が通詞と一緒に縁側で出されたお茶を飲んでいると、裏手から物音が聞こえてきた。僕ははっと振り向き、立ち上がった。それが機織りの音だってすぐに分かったんだ。
 懐かしい音。胸が締め付けられるような気がした。

「ああ、あれですか」
 通詞は半分振り向き、別にどうということもなしに言った。
「百姓女は米作りの傍ら、機織りもするんですよ」


 僕は建物を回り、音のする方へと行ってみた。
 織っていたのは、腰の曲がった老婆だった。
 異国の人間が突如目の前に現れたというのに、彼女は驚くこともなく、ちらっとこちらを見ただけだ。あとは憮然とした顔で再び作業に戻っていく。
 
 彼女の産み出す、ざっくりとした木綿生地を見て、僕は粛然とした。
 決して豪華ではないが、素晴らしい布だった。日々の労働に耐える堅牢な生地。たとえ言葉は通じずとも、僕にはその老婆が揺るぎない誇りをもってそれを織っていることが分かった。
 このとき僕は、布を生み出すことほど、尊い仕事はないと思ったんだ。

 布なんて、いつかは朽ちて捨てられてしまうものだ。永遠に残るものじゃない。
 だけどいつか誰かに真実の愛を誓う日が来たとき、僕はやはり布という物に思いを託そうと思う。日々、こつこつ働く布とは、僕自身に他ならなかった。そして人生は永遠ではないからこそ、今ここで輝かせるべきだとも思うんだ。

 これまで僕は貧しい織元に生まれたことを恥ずかしいと思っていた。なるべく出自のことは人に言わずに来たぐらいだ。
 だけどそれは違うって、むしろ誇りに思っていいんだって、日本という国に教えてもらったような気がする。ようやく自分を認めてもらえた。それは奇跡だった。
 
 その時から僕は、この国の水に思い切って身を浸すことにした。
 日本人が勧めてくる物は酒であれ薬であれ、できる限り買い上げた。遊女を呼ぶことにはさすがに抵抗を感じたが、やがてはそのこだわりさえも捨てた。若い女の肌に触れることは、はかないものに永遠の美を見出すこの国独自の価値観だ。
 
 商館での仕事もおおむね順調で、僕は二年目には、荷倉役に昇進を果たした。
 驚くなかれ。荷倉役とは、地位で言えば商館長の次席だ。

 僕をかわいがってくれる日本の役人、商人たちは、一緒に喜んでくれた。ここぞとばかりに僕の頭を撫でまわしたり、髪の毛を引っ張ったりしてくる人もいた。
「おめでとう、ドゥーフさん」
「ようやったなあ」

 だけどこれ以上の出世は望めないはずだった。たまたま上司がワルデナールさんだからこうなっただけだし、商館長には上級商務員が就くという大原則がある。

 ところが、だ。
 来日から三年後、ワルデナールさんが任期を終えてバタヴィアに帰ることになった。彼は僕の知らないうちに、総督府にこう進言してくれていたんだ。

「日本人の信頼を十分に勝ち得ている。ヘンドリック・ドゥーフをおいて、次期商館長にふさわしい人物はない」
 何と、これが認められた。

 この僕が次の商館長だって!
 どれほどのことか、分かってもらえるかな。これまで二百年もの間、連綿と続いてきた慣習を破ってまでの大抜擢だったんだ。

 僕はもちろん、ワルデナールさんに心からの感謝と尊敬を捧げたよ。
 だけど喜んでばかりもいられない現状があった。

 バタヴィアがあっさり僕を認めたのは、他に適任者を送る余裕がなかったからだ。それだけオランダという国が追い詰められているということだ。

 こんなろくでもない時代に責任だけ重い商館長を引き受けるなんて、損な役回りかもしれなかった。それに、僕なんかにごぼう抜きにされた他の商館員の気持ちを考えたら、もうそれだけで頭の痛い問題だよね。一体どうしたら、彼らを味方につけられるだろう。

 もちろん言い訳は一切通用しない。いよいよカピタンとなった僕は、すぐに動かねばならなかった。

 というのも、困った事態が生じていたんだ。
 幕府は僕たちの暦でいうところの1790年から「半減商売」と称し、オランダに厳しい規制をかけている。長崎来航を許す船は年に二隻から一隻に、交易の総額は銀七百貫目以下に減らせっていうんだ。

 これは当時の「寛政のご改革」によるもので、改革の指導者だった大臣「エッチュー様」は、異国の文物を締め出すことで国内の綱紀粛正を図ったとかいう話だ。
 何だか知らないが、オランダにとってはとんだ迷惑だよな。
 
 商館運営を黒字に戻すため、こんな規制は何とか撤廃してもらわねばならない。ワルデナールさんもあの手この手で奉行所と交渉したんだけど、結局実現できなかったんだ。

 ならば自分が、という思いだったよ。
 もちろんワルデナールさんでさえできなかったことが、僕なんかにできるはずはない。そこまでの力は、僕にはない。

 ただね、日本側に協力者を作り、少しでも良い方向へ持っていくぐらいなら、僕にもできるんじゃないかと思った。そしてこれは僕一人でやることじゃない。他の商館員たちが気持ちよく働けるよう心配りをして、みんなが遠慮なく意見を出し合える環境を作って、まずはオランダ側の団結を図る。その上でなら、長崎の日本人も一緒に対策を考えてくれるんじゃないだろうか。

 そう思っていた時、僕は思わぬ頼まれごとをしたんだ。

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