第40話 エルベルフェルトの首

文字数 2,964文字

 それから数日経ったある日、会社から正式発表があった。
 良くも悪くも、ワルデナールさんの見通しは正しかった。

 総督の側近の一人が書類を読み上げてるよ。なになに、VOCは解散し、国家が債権と債務を引き継ぐ? それで今後の植民地経営は、新たに発足する「東インド貿易・領土事務委員会」が当たるって?
 
 淡々と読み終えると、その男は質問を受けるでもなく、黙って去って行った。

 え、これだけ?
 僕は唖然としてこっそり周囲を見回したが、誰も動かないし、何も言おうとしない。世界初の株式会社が、その二百年近い歴史を閉じるという大事件なのに、あまりにあっけない幕引きじゃないか。

 少し遅れて、ようやく社員一同は騒然となった。
「何だ、その委員会ってやつは」
「おれたちの雇用はどうなるんだ」
「まさか、フランス人の上司が来るんじゃねえだろうな」

 解散の理由は特に説明されなかったけど、会社の経営が行き詰まっていることは誰もが知っていたみたいだ。そこを不思議がる者は一人もいなかった。

 僕もこの会社を愛していたわけじゃない。寂しいとは思わなかったよ。
 だいたい本国のバタヴィア共和国は、フランスの傀儡として誕生した国家だ。VOCは旧体制の象徴だから、それが経営破綻したところで新国家が救済なんかするわけがないよな。

 だけど不安なのは、これから自分たちがどうなるのか。まさにそこだよ。社員を守ってくれる会社がなくなったら、僕たちは前より悪い環境に置かれるんじゃないか?

 戦々恐々として待ち構えていると、いよいよその「委員会」がやってきた。

 灼熱の太陽の下、僕たち旧社員は出迎えのために港の桟橋付近に並ばされた。さんざんこちらを待たせた挙句、委員たちはふんぞり返って船から降りてきたよ。

 フランス人ではなさそうだった。
 だが僕たちの間に広がったのは、安堵ではなく落胆のため息だった。委員たちの立派な羽飾り付きの帽子を見て、かつて自分たちが最も憎んだ本国のレヘントだとすぐに分かったんだ。

「……おれたち、何のために本国を飛び出してきたんだろうな」
 誰かがぽつりと本音を漏らした。僕も暗い気持ちになったよ。確かにこれじゃ、本国にいた頃の繰り返しになりそうだ。

 だけど委員に選ばれた貴族たちの方も、何やら異様な緊張に包まれているように見えた。
 少し後に分かったんだが、本国が完全にフランスの影の下に入ってしまい、言うことを聞かないオランダ人の粛清が、このころから少しずつ始まっていたようだ。
 何でもフランス本国の方で、ナポレオン・ボナパルトという男が権力を握りつつあるということだった。末端にこれほどの影響を及ぼすとは、よほど強硬な奴なんだろうな。

 つまり新たにやってきた委員たちとは、本国の中央政界からはじき出された貴族だった。せめて植民地では実権を握ろうと、彼らの間にもすさまじいまでの競争があったんだ。

 その不満と苛立ちは、僕たち旧社員にまっすぐに向けられる。
 貴族の代表者が挨拶に立った時、やはりと言うべきだろうか、オランダの足を引っ張った旧社員を憎んでも憎み切れない、有り余る感情がその口調に現れていた。

「君たちの中には、あれほど禁じられている私貿易で私腹を肥やした者もいるそうだが」
 旧社員をにらみつけてくるその目は、お前らが会社をつぶしたと言わぬばかりだった。
「今後、勝手な行動は許されない。これからは、お国のために忠節を尽くすように」

 あの人は、威圧的に振舞うことでナポレオンに対する不満を発散させたいんだろうか、と僕は思った。
 もちろんレヘントに反論なんて許されない。全員がただ、うつむいて聞いていたよ。

 私貿易は厳重に取り締まるという話は、その後も続いた。
 僕のみならず、みんながっかりしていたよ。
 インドでの金儲けの手段が失われてしまう。この先、希望通りに商館勤務に変われたとしても、僕はやっぱり財産を作れそうになかった。

 おかしい、とは思う。
 商人の国オランダには、ペイラントの自由という考え方がある。個人の私利私欲はほとんど無制限に認められ、誰よりもレヘントがその強引なやり方をもって財を成してきたんじゃないか。
 にもかかわらず、彼らは後から同じことをしようとする者の存在は許せないらしい。とりわけ植民地で付け上がった旧社員なんて、憎悪を向ける対象でしかないんだ。

 だが挨拶を聞き終えた今。
 説教だけで済むかどうかも分からなかった。レヘント達にはピリピリとした、不穏な空気が漂っている。今度はなぜか、総督府の庭に出るように命じられたよ。

 言われるままに旧社員たちが出て行くと、今度はいくつかの集団に分けられ、列を作って並ばせられた。
「このまま城外まで歩け!」
 馬上の貴族が声を荒げる。

 これじゃまるで軍隊だ。いや、軍隊ならまだいい。まさか処刑されるんじゃないだろうな? あるいは奴隷の列に加えられるとか?
 旧社員の列はそんな複雑な胸中を表すかのように、のろのろと動き出した。

 何をさせられるのか、とにかく不安だった。僕は指示を出す貴族を見上げたが、いかつい顔をしたその男とたちまち目が合ってしまい、慌ててうつむくしかなかった。
 
 灰色の空の下、たどり着いたのは、郊外の広い空地だった。

 周囲の密林とは明らかに違うから、人手が入ったことがあるんだろう。
 とはいえ、かなり荒廃している。足元には雑草が生い茂り、枯れかけた芭蕉や蘇鉄の木が茶色い葉をぶら下げている。
 空地の中央に、蔦のからまった石碑がある。よく見ると、そのてっぺんには鑓の穂先のようなものがついており、さらに気味の悪いものが突き刺さっていた。

「見よ。これが処刑された国賊、エルベルフェルトである」
 最も上等な馬車から降りてきた貴族が、いかめしい口調で述べた。
「祖国を裏切った者の末路を、とくと見るがいい」

 ああこれが、と僕は思った。噂だけは聞いたことがあったけど、今も残っているとは知らなかった。植民地に来たばかりの貴族がよく知ってたもんだな。

 見たいものでもなかったけど、それでも物珍しさが先に立って、僕らはおずおずと進み出、石碑のまわりに群がった。
 背後の暗い森から、コウモリが飛び立っていく。

 オランダ語とジャワ語の両方で刻まれた碑文によると、昔エルベルフェルトという名の男がこのジャワで反乱を企てたらしい。原住民らと結んでオランダ人を皆殺しにし、植民地を乗っ取り、自分も王族に加わるという恐ろしい計画だったという。

 彼の野望は、密告によって未然に防がれた。ここはそのエルベルフェルトの自宅跡地なのだ。
 
 苛烈な呪詛の言葉が刻まれたその石碑の上部には、まさにそのエルベルフェルトの首が掲げられていた。
 首はもう変色して真っ黒だし、鑓も錆びついて首と一体化している。よく見ないと人間の首だということもわからないほどだ。
 だけど、脳天から金属の突端が突き出ているし、やっぱり生々しかった。

「我が国の栄光は揺るがない。オランダ人として、よく覚えておくがいい」
 頭上から叩きつけるように言われ、僕たちは無言で目を伏せた。

 そうか、怪しげな行動を取れば、僕もこうなるんだ。貴族の奴らに目を付けられないよう、大人しく従うしかないんだ。

 枯れた芭蕉の葉が、風にさわさわと揺れている。

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