第49話 中立

文字数 3,481文字

 そこは僕も熟考の上、自分の取るべき態度を決めてきた。

 他のオランダ人にも意見を出してもらった上でのことだ。
「ただでさえイギリス相手に苦戦しているオランダが、大国ロシアにまで睨まれることになってはならない」
 という意見を出したのはディルクだったか。
 もっともだよな。ここでロシアがイギリスを支援する、なんてことになったら目も当てられない。

「だけど、長年の付き合いのある日本に疑念を持たれるのは、まずいんじゃないか?」
 という意見にも、うなずけた。実はこっちの方が多数派だった。
「オランダがロシアの味方だと思われたら最後、おれたちは良くて追放。下手すりゃ処刑ってこともあるでしょ? 日本人はすぐに罪人の首を落とすんだから」
 まさかとは思うが、否定はできない。僕は眉間を揉みこんだ。
「う~ん……」

 会議室が重苦しい沈黙に支配される。

「分かった。ありがとう、みんな」
 僕は顔を上げた。出した結論は「中立」だった。
「オランダは、両国の代表が話し合いの席につくまでの援助はするが、ロシアの通商をお膳立てまではしてやらない。そこを徹底してくるよ」
 みんなもそれで良いと、うなずいてくれた。ま、当たり前といえば当たり前の内容だよな。

 だが今、ちっとも歩み寄りを見せない僕に、レザノフたちは厳しい目を向けてきている。
 彼らも皇帝の勅命を受けてここに来ている。オランダの言い分は理解できても、引くに引けないんだろう。

 レザノフはこれ見よがしに短い嘆息を漏らす。
「我々は呆れている。なぜペイバは、そこまでジャポンに低姿勢をとっているのか」

「私はただ、ジャポンのやり方をご説明申し上げているのです」 
 僕も譲るわけにはいかなかった。これは会議の結果だからというだけじゃない。
 オランダが苦労に苦労を重ねて日本との関係を築き上げてきた過去を思うんだ。ロシアも日本との付き合いを望むならば、相応の努力をしろって言いたいよ。

「おい、お前、いい加減にしろ!」
 ついに僕を怒鳴りつけてきたのは、レザノフじゃない。脇でふんぞり返ってた船長のクルーゼンシュテルンだ。
「さっきから聞いてりゃ、のらりくらりと、ふざけたことを言いやがって」

 僕は身を固くして、相手を見返した。
 この男はロシア海軍の提督だそうだが、先ほどの紹介によると、元はエストニアの特権階級たるバルト・ドイツ人で、スウェーデン貴族の血も引いているということだった。
 高貴な生まれと言って良いだろう。それでいて冒険家の気性の荒さも持ち合わせているのかもしれない。いきなり言語をドイツ語に変えて、僕をののしってきたよ。

「Obwohl Sie ein europäischer Mensch sind, schmeicheln Sie diesen kleinen, gelben Affen?(お前は欧州の人間なのに、この小さく黄色い猿どもに媚びへつらっているのか)」
 レザノフが慌てて彼を制したところを見ると、この男はいつもこんな調子なんだろう。

 僕は別に怒りなど感じない。ただ悲しくなった。
 今の言葉、どうせ日本人には分からないと思ってのことだろうが、いま横に座っているタキチロー達は理解しただろう。背後にロシア皇帝がいると思えば誰もこの船長を否定できないが、ヨーロッパ人の意識がこんなものだと思われては迷惑千万である。

 ともあれ、その場の雰囲気は険悪になりかけた。怪しげな黒雲が湧いてきて、一気に頭上を覆うかのようだった。
 しかしその時、レザノフが満面の笑みで立ち上がったんだ。

「ペイバのご協力に感謝いたします」
 爽やかな所作で、僕に手を差し出してきた。
「我々も、日本人と直接対話してみるとしましょう」
 どうやら船長の発言はなかったことにし、ここで強引にでも終わらせるつもりのようだった。彼にしてみれば、僕が説得に応じないことが分かったら、それ以上話しても仕方がないと思ったのだろう。

 僕は解放されてほっとした。オランダとは対立をはっきりさせないまま終わりにした方が良い、というレザノフの判断は賢明だ。日本人の前でオランダと喧嘩したところで、ロシアを利することにはならない。

 別室で待たされていた幕府役人がようやく引き入れられ、タキチロー達は彼らのために立ち上がった。今後は日本が、通商を受け入れるかどうかにかかっている。
 彼らの通訳はやはり心もとなかったが、僕はここで退場だ。

 船内の廊下を歩きながら、僕は一連のやり取りを思い返した。
 僕なりに、ロシアに対し、言うべきことは言ったつもりだ。日本側とのつなぎ役に徹したんだから、狙い通りにいったと考えて良いだろう。

 だが一人で佐賀藩の関船に戻ったとき、僕は一気に力が抜け、その場にへなへなと座り込んでしまった。情けない話だけど、よっぽど緊張してたんだな。ここで自分が誤った行動を取れば、ロシアと戦争になってしまうんじゃないかって思ったんだ。

「カピタン様、大丈夫でござるか!」
 鍋島藩士たちが駆け寄ってきて、争うように僕を介抱してくれた。
「おい誰か、水もってこい、水!」
 近くにいた佐賀藩の男に、僕は子供のように寄り掛かって水を飲んだ。やっぱり僕、ロシア人よりも日本人と一緒の方が気楽にしていられるみたいだ。

 だけどレザノフは、なかなかいい奴だったな。
 僕は会見の場を反芻して、そう思った。
 彼だけは、僕の微妙な立場を理解してくれたようだ。ああいう男は好きだな。他のロシア人、とりわけ船長は「クソオランダ人死ね」ぐらいに思ってるだろうが。

 でもあの船長のお陰で、ロシアの前途多難が見えた。あれで日本人に好かれるわけがないんだから、オランダとしてはむしろありがたいと思うべきだった。
 レザノフもタキチロー達もこれから苦労するだろう。ちょっと気の毒かもしれない。

 だけど僕が驚いたのは、出島に帰ってきて一段落した後、タキチロー達が追いかけるようにカピタン部屋にやってきて、僕に頭を下げたからだった。

「カピタン。我々は、泣き叫びたいほどの感動に包まれているのです」
 タミファチローは声を震わせ、目の縁を赤くしていた。
「あんなにヤパンの肩を持って下さって、何とお礼を申し上げたら良いか……」
 
 その大げさな態度に、僕は絶句した。
 ロシア船では二人ともずっと無表情で、自分の意思なんかないみたいな態度だったんだ。日本人って感情を表に出さないから、やっぱりわけがわからない。

「よせよ。僕たち友達じゃないか」
 僕は笑いだした。
「僕も、君たちがいてくれて心強かったんだ。ここまで下地を作っておけば、大丈夫。あとは幕府の役人が、うまいことルスラントを追い払ってくれるよ」

 その場はなごやかな雰囲気に包まれたが、一つだけ、僕を居心地悪くするものがあった。

 それは、僕の机の上に置かれたままの木箱。
 レザノフが土産として持たせてくれたんだ。中にはヌエバ・エスパーニャ(メキシコ)の葉巻が入っているらしいが、今二人にそれとなく確認したら、日本人には渡されなかったらしい。希少品だからだろう。

 日本人と入れ替わるあの時、レザノフが自ら立ち上がって僕を扉のところまで送ってくれて、ちょっとだけ二人で雑談をした。
 ロシア船の一行は、南米周りでやってきたそうだ。新大陸のあちこちにも立ち寄ってきたらしい。

 僕はおお、と声を上げた。それはオランダ人として、感慨深い内容だった。
「……ということは、奇しくもリーフデ号と同じ航路だったんですね!」
 まさに今から約二百年前、初めて日本にやって来たオランダ船も、太平洋を横断する道筋でこの国にたどり着いたんだ。

 レザノフもリーフデ号のことは知っていたらしく、にっこりと笑ってうなずいた。
「我々は共通するものが多いようですね」

 聞きようによっては、オランダに引き続いてロシアも日本に乗り込むぞ、という宣戦布告と受け取れないこともない。だけどレザノフの態度は最後まで友好的だった。
 むしろ僕、彼には魅力を感じたよ。敵対する立場にさえなければ、僕とレザノフとはすごくいい友達になれたと思う。

 しかしレザノフは、僕にだけこんな土産を持たせた。
 ここで開封してタキチロー達に中身を配ってもいいんだけど、二人は遠慮して受け取らないだろうな。

 レザノフとまたやり取りする機会があったら、日本人にも同等の配慮をしろって言ってやるよ。それが友情であり、心からの忠告だと思うから。
 でも当然だと思うよ? レザノフだって日本に対して通商を求めに来てるんだから、日本人に頭を下げることを覚えるべきだ。

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