第11話 とうとうオランダ行き

文字数 3,653文字

 旦那様が自らやってきたのは、それから間もなくよ。
「いやいや、助かるばい、太夫」
 
 旦那様は私の部屋の入り口で正座し、ニコニコしてる。私が稼ぎ頭の太夫だから、一応気を遣ってくれているのよ。
 もちろん立場は向こうがはるかに上だから、遠慮しなければならないのは私の方。すぐに床の間の前を開け、私はその前にひれ伏したわ。
「どうぞ、入ってくれん」

 旦那様は衣擦れの音とともに上席に付き、私は全身で身構えた。
 機嫌が良さそうに見えるけど、こんな時こそ要注意よ。ここの女たちはみんな、旦那様が鬼のように冷酷な男だって知ってる。私もこの人から過去に受けた折檻を思うと、まともに目を見られなかった。

 だけど今日は、本当に殴られるようなことはないみたいだった。
「今日のお客様について、話しておきたか」
 時間がないのか、旦那様はそう前置きしてさっさと語り出したわ。
「何せ今のカピタン様は変わったお人なんや。元々は身分の低かお人じゃったそうばってん、二十六の若さでカピタンになられたげな」

 私は全力で耳を傾けたわ。こんな風にわざわざ説明がなされるのは、失敗の許されない相手だからよ。しかも自分では相手とお話ができないんだから、事前に情報収集しておくしかない。
「本来、商館長の任期は一年じゃばってん、ここしばらくはオランダ本国の戦ばしとってな。新しか人の日本に来られんけん、どのお方も数年に延びとるそうじゃ。今のカピタン様も就任からすでに四年の経ったけん、御年三十じゃ」

 その人、カピタン就任の前には一般の商館員として働いていた期間もあるから、日本滞在は六年目なんですって。
 意外と長いのね。

 そしてこの国はオランダ本国から遠く離れているだけに、商館長には身分の高くない人が昇進することもままあるそうだけど、それにしても当代のカピタン様は異色の成り上がり者だということだった。

「庶民の出だけあって、気さくなお人柄じゃけん」  
 旦那様はそう言って、珍しく親しみを込めた表情を見せたわ。
 でもその気さくさとは、ちょっと特殊なものだった。
「蘭人には宗教上の理由で女郎買いば渋る者も少なくなかばってん、今のカピタン様はそがん気取った態度とは無縁でな。女好きば隠そうともせず、配下の者にもせっせと勧めて下さる」
 まあ呆れた。
 私はこっそり肩をすくめた。野獣のような、成り上がりの男ってやつね。

 しかもそのカピタン様は以前、園生(そのよ)という名の遊女を身請けし、夫婦として商館内で一緒に暮らしてたんですって。二人には子供も生まれたそうだけど、園生は年上で、勝気な性格だったこともあり、次第に関係が悪化して破局。以後、商館長に決まった女はなく、その日の気分次第でいろいろな遊女を呼んでるんですって。

「まあ、いろはも、そん中の一人というわけじゃ」
 旦那様はほくほく顔だった。
「カピタン様の派手なお方やと、こっちは助かるばい。蘭人は出島から出ることば許されとらんばってん、カピタン様はお奉行所から何かと外出の許しば得て、憂さ晴らしに熱心やけんね。特に茂木(もぎ)の浦の豪遊。太夫、わいは聞いたことあるか?」

 そんなの知るわけないじゃない。
 私はちょっと不愉快になりかけてて、小さく首を振った。でも旦那様はむしろその反応に満足したみたいで、教えてやるとばかりに得意げに語り出したわ。
「ヘンドリック・ドゥーフ様の御名が、丸山に知れ渡った一件じゃけん」

 その日、カピタン様は配下の商館員のほか、丸山の座頭(ざとう)や遊女二十人ばかりを連れて砂浜へ行き、どんちゃん騒ぎを繰り広げた挙句、最後は全員が裸になって海水浴をしたんですって。商館員たちは大喜びだったし、カピタン様は莫大な額に上った揚げ代の全額を自分が持ち、ぽんと支払ったんですって。

「いやあ、あん時は儲かった。カピタン様、様じゃ」
 文字通りの左団扇(ひだりうちわ)って感じ。旦那様にとって、儲けさせてくれるカピタン様は最高よね。
 だけど私の方は、聞いていてすっかり嫌になっちゃった。

 これは最悪の日となりそうよ。
 日本人にしろ唐人にしろ、これまで私の客になった人は比較的育ちの良い、優男ばかりだったように思う。蘭人の気質がどんなものかなんて知らないけど、そのカピタン様に関しては上品さとはほど遠そうだった。

 旦那様が話し終えて出ていった後も、私はなかなか化粧をする気になれず、しばらくぼんやりしてたわ。今さらそのカピタン様は嫌だなんて言えないけど、代役を引き受けたことについては完全に後悔してた。

 とうとう私もオランダ行きか。堕ちるところまで堕ちたな。

 だけど、と私は我に返って考えた。
 いくら落ち目だって、いろはのような女に負けるのは嫌よ。
 それに彼女の言葉もそう馬鹿にはできなかった。日本人や唐人に好かれる容姿だからといって、蘭人にもそれが通用するとは限らない。ここは精一杯、美しく飾って行かなくちゃ。

 私は大急ぎで着物の襟を広げ、思い切り胸をはだけさせた。刷毛にたっぷり白粉(おしろい)を含ませ、塗り込めていくの。
 そうよ、私はオランダ人の相手をしに行くの。カピタンなんか骨抜きにしてやる。


「道中ば行う」
 と、寄合から戻ってきた旦那様はおっしゃった。
 何でも今日は蘭人たちによる宴が行われてて、その場を盛り上げるために遊女を呼んだんですって。ならば彼らの度肝を抜くほど華やかにしていくのが、丸山、いや日本側の礼儀というものだった。

 行列は遣り手や禿(かむろ)を従え、盛大に丸山の門を出た。
 並女郎、見世女郎は徒歩だけど、私たち太夫には駕籠が用意されてる。
 ここでは旦那様だって家来のように横に付くのよ。太夫の駕籠は店の宣伝を兼ねてるから、派手に装飾され、中の(おんな)の姿がよく見えるようになってる。

 長崎の町人の熱い視線を浴びながら、行列は華々しく進んでいく。
「うわあ。オランダ行きだあ」
 子供たちが道端で歓声を上げながらついて来てるわ。親たちの方はあんなものを見るんじゃないって追い払ってるけど、一方で私を指差し、ひそひそ言ってるのも聞こえる。

「あれは瓜生野?」
「まさか、別人やなかと。瓜生野はオランダ行きのごたっと、やらんやろ」
 だけど緋色の着物に関羽周倉の縫取りとくれば、それは瓜生野だってみんな知ってる。
 私、今さら顔をうつむけたりはしないわよ。そんなに見たいんなら、どうぞ見れば?

 江戸町は海に面したところ。そこの仲宿(なかじゅく)と呼ばれている建物に入るのは初めてだった。
 オランダ行きは、ここで人別(にんべつ)改めを受けるんですって。せっかく着飾って出て来たのに、一度は襦袢(じゅばん)一枚にならなきゃいけない。禁制品の持ち込みなどをしていないかの確認だそうよ。

 唐人行きでも同じような改めはあったから私は驚かないけど、慣れてない名附女郎たちは男の番士たちに体のあちこちを探られて、もう泣き出しそうになってるわ。

 番士を取りまとめる頭の男が私に気づき、旦那様に近づくと戸惑ったように声をかけてきた。
「京屋さん。こがん売れっ()ば、差し出してよかのね?」
 旦那様は店の女たちが熱を出して寝込んでいるとは言えず、苦笑してごまかしてる。
「……まあ、ここで京屋のことば、がつんと売り込んでもらいますけん」
 なるほどね、と腕組みしつつ、男はニヤニヤしながら私を眺めた。たぶんこの人、私が問題を起こしてオランダ行きに降格させられたと思ったのね。

 その後、女たちは一か所に集められ、別の番士から諸注意を受けた。オランダ人から贈り物をもらわないこと、もし強いて何か持たされることがあったら正直に申告することといった感じで、ほとんどは抜け荷に関する内容だった。

 唐人行きも格の高い女郎はそうだったけど、今回も現地で張り見世みたいなことはしないそうよ。だから末端の並女郎に至るまで誰が誰の敵娼(あいかた)になるのか、あらかじめ決められてる。

 お役人様が書付けをめくって確認しながら、お前は決算役、お前は医師、などと女たち一人一人に相手の役職名を告げていく。女をめぐって出島でオランダ人同士が決闘騒ぎを起こすなどしては困るので、こんな仕組みになってるんですって。
 たかが遊女の派遣なんだけど、手続きは慎重よ。出島乙名(でじまおとな)などの地役人と丸山の楼主たちとが会議を開いて遊女の人選を行い、その上でオランダ通詞(つうじ)が本人に対しお伺いを立て、了承が得られたら初めて女を送り込む。
 仰々しくて笑っちゃうわよね。
 
 つまり私のことについても、通詞の誰かが聞いたんでしょうね。いろはは来られないが同じ京屋に瓜生野という女がいる、それで良いですかって。
 もちろん容姿と値段を含めて、ね。
 それをおっしゃったのは名村様かしら? 

 いいえ、そんなことはどうでもいいわよね。どちらにしろ、うまい言い方をしてくれたのは確かよ。太夫の揚代は並女郎の三倍にもなるのに、カピタンは是と答えたんだから。
 
 身支度を再び整えた遊女たちは、それぞれの楼主、遣り手、禿の少女に囲まれて再び行列を組んだ。それから出島橋を通じ、私たちは海上に突き出る扇型の島に渡っていく。


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