第12話 羅紗を着た人々

文字数 2,163文字

 薄曇りの午後の空だった。
 高札場(こうさつば)の向こうに木造の倉庫が点在して、海鳥が飛び交ってる。
 もちろんここに足を踏み入れるのは初めてのことよ。ずいぶん荒涼とした風景だな、というのが第一印象。頭上には三色の旗がなびいてるわ。

 そういえば九年前だったかしら。出島が大火に見舞われたことがあったわ。あのとき長崎は大騒ぎだった。商館長の居宅であるカピタン部屋も含め、大半の建物が焼失したって聞いたけど、それを今になって思い出した。

「屋敷の再建は蘭人の負担なんじゃろう?」
 同じことを感じたのか、地役人たちがまさにそれを話題にしてるわ。
「まだ焼け残りの倉で、身ぃば寄せ合うて暮らしとるけんね。あ奴らもけっこう吝嗇じゃけん」

 よく分からないけど、商館の建て直しもままならないということなら、今日のお客様はあまり裕福じゃないってことかしら。だとしたら私たち、これからひどいあばら家に連れて行かれるのかも。

 と思ったら、着いたのは案外に立派な建物だったわ。内装も目の覚めるような美しさだったから、驚いちゃった。
 見て、この壁に貼られた金唐革(きんからかわ)。植物文様かしら。私、この素材で作られた煙草入れを見たことがあるけど、壁紙だったとは知らなかった。

 履物を脱がずに上がれ、と指示されたわ。何だか落ち着かないけど、確かに廊下の敷物はすでに汚れてる。ここの住人が土足で上がってるのは分かったわ。
 それと、お杉戸の向こうから妙に軽快な音楽が漏れ聞こえてる。笛と弦楽器の音色かしら?
 
 他の女が先に広間へ入って行く。
 すると中で待ちかねていたらしい人々の叫ぶような声が聞こえた。
「ケーシェー、ケーシェー!」

 傾城って言ってるのかしら? 私たちを歓迎してくれてるのかしら?

 前の人に続いて入口に立つと、私は急にむせかえりそうになった。
 何よこの、お酒と肉料理の濃厚な匂い。

 部屋の中央に白い布をかけた長卓があって、たくさんの銀食器が並んでる。褐色の肌の少年たちが少しずつ片付けているところを見ると、すでに食事はあらかた終わったのね。

 そして食欲の満たされた蘭人たちが、今度は性欲を充足させんと、大きな眼をらんらんと光らせてこちらを見てる。私はああ、これねって思ったわ。彼らのくっきりとした顔立ちは迫力があって、鬼とか化物と呼んで忌み嫌う者がいるのも分かる気がする。

 いいえ、私、怖くなんかないわ。
 蘭人を見るのは初めてじゃないもの。子供の頃、妹のおことと一緒に諏訪神社の「おくんち」のお祭りに出かけたんだけど、そのとき出島商館の一行も見物に来てたのよね。彼らが桟敷席に案内されてるのを見たんだから。もちろん彼らは大勢の日本の役人に警護されてて、私たち町人は近づけなかったけど。

 それによく見たら、ここは普通の日本のお座敷だった。確かに天井からはびいどろ製の瑠璃灯が吊り下げられてるし、足元には異国の敷物が置かれて畳を隠してる。しかもその上に、猫足の椅子がずらりと並んでる。
 でも、ここは異国というわけじゃない。いつもと同じ調子でやればいいんだって分かったの。

 それに、オランダ風をうたっているお茶屋は丸山にもあって、私もこんな風に飾られた部屋を見たことがあるのよ。
 もちろん今、生身のオランダの男たちが白い靴下と革の靴を履いてそこに腰掛けているのを見ると、やはりこっちが本物、丸山のはただの作り物だったんだって思うけど。

 そんな部屋の隅に、日本人のオランダ通詞たちがいたわ。
 どうやら今しがたまで蘭人と宴を共にしていたようだった。酔って赤い顔をしてたり、足元がふらついてたり。今は遊女と交代して帰るべく、預けていた佩刀(はいとう)を受け取るなどして帰り支度をしてる様子よ。

 名村様はそこにいらっしゃる? いるはずよね?
 私は視線をあちこちに巡らせた。
 あら、どうしてかしら。見当たらないわ。
 
 やがて通詞の一人が長卓に向き直り、日本人を代表するかのように挨拶を始めたわ。
 騒いでた蘭人は水を打ったように静かになって、その男に注目してる。

 まったく言葉はわからないというのに、私、だいたいの内容を理解できちゃった。
 たぶんあの人、まず饗応に対するお礼を述べて、今度は日本側が用意した心尽くしを楽しんでくれ、みたいなことを言ったのよ。それって私たちのことよ。
 
 長崎の遊女って、献上品みたいなものよ。私たちもよくよく、この派遣の意味を聞かされてる。異国船の誘致から、貿易摩擦の解消、風説書で外国の動きを知らせてもらうことへの返礼。
 この長崎という町は女で回ってるんだから頑張れ、とか何とか持ち上げられることもある。

 とはいえ、揚げ代その他の費用はもちろん異人の負担よ。だから私たちは笑顔を振りまくの。この国でいっぱいお金を落としてもらうのが仕事だもん。
 
 日本人の姿が減っていくとともに、蘭人同士の歓談が再び始まったわ。
 私はもう一度、居並ぶ商館員たちをざっと見渡した。
 さて、一番偉いカピタン様はどのお方かしら?

 あら、と思った。
 全然見当がつかないの。
 蘭人の年齢って見た目では分からないし、そもそもカピタン様が一番年長というわけでもないみたい。それに向こうの流行なのか、全員が示し合わせたように黒っぽい羅紗(らしゃ)の上着を羽織って、白い襟飾りを付けてるの。これじゃ見分けがつかないわよ。


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