09 因縁の対決

文字数 3,657文字

 もうずいぶん疼くこともなかった左肩の傷が、ぞわぞわと疼く。
 このひりつく感覚は

以外にない。
 ロムは大きく息を吐くと、感覚を研ぎ澄ます。

「こ、こいつは……!?

 現れたのはやはりネズミであった。
 あの時と同じドブネズミだ。
 個体としてはあの時のものより一回り小さいがそれでもそこに倒れているミノタウロスよりも大きい。

「クロさん!」

 ロムはクロを呼んでドブネズミの注意を引く。
 ドブネズミは攻撃的な気配を彼に向けてきた。

「俺がやります。三人でレイナを守ってください」

「無茶だよ!」

 ヒビキが言う。

「大丈夫」

 腰にジュリーから預かったショートソードを吊るし、棍を構えながらうっすらと笑みを浮かべる。
 クロはコーに指示を出し、ヒビキとレイナを一箇所に集める。

「それじゃあ、リターンマッチと行こうぜ」

「リターンマッチ?」

 コーがその言葉を聞きとがめる。

「私がさらわれた事件、知ってますよね?」

「ゲームエクスポミクロンダンジョン崩壊事故のこと?」

 ヒビキの問いにこくりと頷く。

「最上階手前の部屋で『実質ラスボス』としてドブネズミが配置されていたそうです」

 と、ジュリーの言葉をそのままに答える。

「直接戦った彼と、最上階に上がる途中だったゼンさんとお兄ちゃんが目撃しただけで私は実際に見てないんですけど、その時左肩を大きく噛まれて生死の境を彷徨(さまよ)ったそうです」

「あの左肩の傷はその時の……」

 コーはわずか数日ではあったがロムと同居していたのでその傷は見ていた。

「……それは一人で戦いたいだろうな」

 クロは結果がどうなろうと見守ると決めた。
 棍の状態は決して良くない。
 こんなに戦闘続きになるとは正直思っていなかった。

(本気で戦闘に使うとこんなに損耗するものなんだな)

 などとこの切羽詰まった状況でなんとなく思ってしまう自分の心持ちに自然と笑みがこみ上げてくる。

(大丈夫。冷静だ。あの時とは違う。一方的に勝たせてもらうからな)

 そう決意すると、キッとドブネズミを睨みつけて殺気を向ける。
 一気に警戒レベルを上げた雰囲気に変わったドブネズミは、姿勢を低くしてロムの様子を窺い出す。

(あの時もそんな感じだったか?)

 後手に回るのは得策ではないと思ったロムは先手必勝とばかりに間合いを詰めて突きを繰り出す。

「に、二段突き?」

「いや、三段だ」

 クロとて視覚情報はコー同様二段突きに見えた。
 しかし、聴覚がドドドと確かに聞こえた。
 もっともそれもかなり重なった音で、ともすれば一つに聞こえたかもしれないほどの間隔だ。
 それは達人の域だった。
 その狙いも寸分違わず眉間に繰り出されていた。
 ネズミがざっと距離を取る。
 しかし、逃げる気配はなく逆にこちらを攻撃しようと身構える。
 そこに追い討ちの突きが繰り出された。
 先ほどのような神速の三段突きではないが、かわりに間断なく繰り出し続ける突きは、狙いを定めずネズミの体を打ち続ける。
 それを嫌って距離を取ろうとするネズミを追撃し、どんどん壁際に追い込んでいくロムだったが、その破壊力はネズミを倒す前に棍自体の寿命を縮めたようで、ついに途中で折れてしまう。
 攻撃の止んだ隙をついたというのか、ドブネズミが反撃に出る。
 後足で立ち上がると、そのミノタウロスより大きな体で覆いかぶさるように噛み付いてきたのだ。
 その直前、ロムの左肩がゾワゾワと疼き、彼は握っていた棍の残骸を顔へとめがけて投げつけると、さっとネズミの間合いから飛び退る。
 棍が当たったことで一瞬動きが止まったのを幸いに退がった先で剣を抜くと、取って返して剣を横一線、腹をめがけて叩き込む。
 しかし、傷にはなったが致命傷には程遠く、逆にショートソードが曲がってしまう。

「なんじゃこれ」

 思わず普段使うことのない表現が口をついて出てきた。
 剣が曲がるのも無理もない。ここは十分の一に縮小された世界だ。
 しかし、無機物はミクロンシステムの適用範囲外。
 実際には6センチほどの金属板に過ぎないものであり、そんなものでいく十度となく戦闘を重ね幾百と振り続けられてきたものなのだ。
 当然金属疲労も出てこよう。
 それがたまたまここで重なったに過ぎない。
 だが、これで手持ちの武器がなくなった。

(これはまずいぞ)

 ネズミの執拗な攻撃をかわしながら、ロムは打開策を考えようとするが、目の前の脅威が思考をまとめさせようとしない。

「まずいな……」

 クロもいう。

「オレの剣も状態は良くありません」

「三節棍が残ってるけど、これでネズミを倒せるかな?」

「クロさんの刀は?」

「ダメダメ、クロさんの刀まで失ったらもう……」

「いや」

 ヒビキの言葉を遮ってクロは腰から鞘ごと刀を抜く。

「クロさん!?

「コー。金属はミクロンシステムで縮小拡大できない。……だったな?」

「え、ええ」

「今すぐ、サスケの刀を取りに行ってくれ」

 半ば絶望しかけていた三人は、希望の光を見出しパッと表情を明るくする。

「はいっ!」

「コーちゃん、短刀も一緒だよ」

「判った!」

 走る背中にヒビキが声をかけ、クロがロムに刀を投げてよこす。

「ロム! これを使え」

 くるくると回転しながら彼の元へ飛んでくる刀。
 それを攻撃してきたネズミを足場に飛び上がり、空中で受け取ると素早く鞘から引き抜いて撃ち下ろす。
 深々と斬り込まれたネズミが一声鳴いて体を振り、ロムは振り飛ばされた。

「ロム!」

「……大丈夫」

 レイナの声に失いかけた意識をつなぎとめられ、ロムは再びドブネズミと対峙する。
 構えは青眼。
 刀の腰が伸びているのに気がついた。

(雑な振り方してるとこうなるか……)

 だが、反省は後回しだ。
 今はこの腰の伸びた刀だけが唯一の武器である。
 「(きゅう)()猫を()む」とはこの場合どちらのための慣用句なのか。
 そんなことを考えている自分にまだ余裕があると考えていいのか、切羽詰まっての現実逃避なのかとちらりと悩みかけ、どっでもいいかとその件に関して考えることを放棄する。
 襲い来るネズミの噛み付き攻撃を見切りでかわし、爪は刀の刃を当てるように弾き、少しずつではあるが前脚に傷をつけていく。
 しかしこれでは致命傷にはなり得ない。
 ダメージを数値化できるならこちらのダメージなどないも等しく、相手のダメージはそれなりだ。
 しかし、どちらが()しているかと言われれば素人目にはロムと言うかもしれないが、心得のあるものはまずネドブズミの方が有利と答えるだろう。
 それほど紙一重の戦いをしている。

(いつまで持つか)

 とロムが考えるのは刀のことかこの戦いの均衡か?
 今のままならば均衡が崩れるとはすなわち彼の敗北を意味している。
 その命運は刀の寿命が握っていると言っていい。

「クロさん!」

 ミクロンシステムから大小の刀を抱えて戻ってきたコーが手に汗握っているクロを呼ぶ。
 コーからその大小を受け取ると、クロは小刀の方を抜くと、神速とも言える摺り足でドブネズミの後ろに回り込み、横一文字に一閃する。
 突然の痛みに振り向いたドブネズミの頭の上をサスケの刀が通される。

「最後の武器だ。突け!」

 受け取ったロムは前の刀を打ち捨てて、鍔の広いその忍者刀を青眼に構えて腹から裂帛の雄叫びをあげ、再びドブネズミの注意を自分に引きつける。

(突きは確かに得意技だけど、棍と違って二段三段と突ける気はしないし、一突きで倒せる自信もないぞ……参ったねぇ、下手を打ったらまた刀が折れるし…………さて、どうしたもんかね?)

 一撃で命を断てる。
 そんな急所はいくつもない。
 ロムはゆっくりと構えを下段に下げていく。
 それを消極姿勢と受け取ったのか?
 ドブネズミはガバと立ち上がりあの時同様覆いかぶさるように噛み付いてきた。
 ロムはその動きに合わせるように踏み込んで、切っ先を上に向けて心臓めがけて突き入れる。
 ロムの膂力と刀の切れ味に、覆いかぶさってくるドブネズミの自重と勢いが合わさって刀は深く深く胸に突き刺さる。
 ドブネズミの全体重を受け止めてなお、ロムが握る手に力を込めると刀は一気にドブネズミの体を突き抜け、鍔元まで突き刺さった。

「くぁ!」

 漏れるような声をあげのしかかってくるネズミを横倒しにすると、腹に足をかけて一気に刀を引き抜いた。
 血が吹き出し、ピクリピクリと痙攣したドブネズミは絶命した。
 戦い終わって天を仰いだロムにレイナが駆け寄り、返り血もかまわず抱きついた。
 それはロムたちの長い、長い戦いの終焉であった。
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