06 冒険者、猛獣に狙われる

文字数 2,786文字

 かなりの距離を走ってきた。
三人はもとよりロムも心持ち息が弾んでいた。
ゼンに至っては手をつき膝をついて荒い息に喘いでいる。

「息が整ったら先に進もう」

「ロム! それはちょっと酷だろ。ゼンの状態が判らないわけじゃないよな?」

 確かに感情を殺した言い方で冷酷に聞こえたかもしれない。
 食ってかかるジュリーをそのゼンが手を引いて止める。

「ロムの考えは理解できます。いえ、理に適っています。我々は汗でびしょ濡れです。ここで汗が引くまで休息をとっていては体温を奪われて余計な体力を使ってしまいかねません」

「しかし……」

「大丈夫……私は大丈夫です。先を急ぎましょう。朝になる前に辿り着かなければなりません」

 朝が明ければ月曜日。
 当然通りには人が溢れて、どんなに隠れようとも見つかってしまう可能性が高いのだ。
 タイムリミットは通勤ラッシュの始まる前、できれば始発電車が動き出す前に辿り着きたい。
 事故現場から下町の迷宮亭までは本来のサイズで歩いて三、四十分ほどだった。
 このサイズでもなんの支障もなければ八時間までかからない。
 すでに四時間以上かけて移動してきた。
 途中で何度か休憩を挟んでいるが半分近い距離は稼いているはずだ。
 まだ六時間以上は猶予がある。

「問題は……」

「何か問題があるのか?」

 思考が無意識に音になったらしい。
 ジュリーが聞き咎めて来る。

「水と食料だろ?」

 どうやらロムはただ先を急がせていたわけではなかったらしい。
 ロムは彼らと合流する前に持っていた非常食で腹を満たしているが、彼らはダンジョンアタック前にとった軽めの昼食が最後だった。
 すでに十時間近く何も食べていないことになる。

「主要幹線道路の一本奥に公園があった。あそこなら水が飲める」

 その主要幹線道路というのがこの冒険最大の難所なのだが、今はとにかく進むしかない。

「行きましょう」

 ゼンは疲労で重くなった体に(むち)打つように立ち上がると先頭切って歩き出した。
 すでに主要幹線道路は見えている。
 そこに出るまでに十五分とかからないだろう。
 都道であり、交通量は夜でも途切れることはない。
 特に夜は物流を担う大型輸送車が昼より()いた道をかなりの速度で行き交っている。
 街灯の間隔も狭く、物陰に隠れるというのも容易ではない。
 みんなこの道をどう超えるかを考えあぐねてか、ひたすら黙って歩を進めるだけだ。
 いや、一人だけしっかり周囲を警戒していた男がいた。

「隠れて!」

 圧し殺した、しかし鋭い声が飛ぶ。
 喫茶店だろうか?
 店先の手入れされた生垣に四人が飛び込み生垣の外の様子を伺うと、鋭い目つきの三毛猫がこちらを見ている。

「狙われてたのか?」

「獲物と見られていたかどうかは判りませんが、興味は引いてしまっているらしいですね」

「野良猫でござるか?」

「首輪がついていないから、その可能性が高いな」

「どうするでござる?」

「とりあえず生垣が切れるまでは生垣の中を進みましょう」

「その先はどうするんだ?」

「その先はその先で考えるしかない。さ、行こう」

 こういう時、ロムの行動は早い。
 ゼンもそれ以外にはないと思ったが、決断を実行に移すのになかなか踏ん切りがつかない。
 四人は密度の高い生垣の枝の中を苦労しながら進む。
 それは思った以上に大変な行軍だった。
 まず枝が細くて移る枝を選ぶのに苦労した。
 ジュリーは幾度となく枝を折り落ちかけたため、顔や手など肌の露出している場所が傷だらけになった。
 枝と枝の距離は短く、運動神経の決して良くないゼンでも危なげなく飛び移ることはできたが、その分自分の体を収める空間が確保しづらい。
 もっともその密度が彼らを三毛猫から守ってくれているので、文句も言いにくい。
 猫は生垣の中には手を出してこないが、追跡を諦める様子もない。
 一体何が目的なのか?
 野生動物の行動は全く読めない。
 普段のサイズなら気にもしないが、この大きさで見る猫は猛獣以上の脅威に映る。
 やがて冒険者は生垣の終わりに辿り着いてしまった。
 三毛猫はまだこちらを解放してくれそうにない。

「さて、どうする?」

 ジュリーの問いに答えられるものは今のところいない。
 戦って勝てるとは到底思えなかった。
 ドブネズミでさえ命を賭けた戦いになった。
 今は武器もない。
 サイズ感で言ってもとても戦う気になる大きさではない。

「こうして見ると物語の主人公というのは、いかに常人離れした胆力の持ち主かと思わされるでござるな」

 ドラゴンやサイクロプスなど空想世界の巨大な怪物に挑む戦士たち。
 RPG好きの彼らにとって自身を勇者に(なぞら)えて、その戦いを想像したことは一度や二度ではない。
 想像世界での彼らは何者をも恐れぬまさに勇者で何度打ちのめされても(この辺りが想像の醍醐味なのだろうか?)不屈の闘志で立ち上がり、ついには怪物を打ち倒して英雄になるわけだが、現実世界は残酷なほど現実(リアル)だ。
 ビル崩壊で負った傷も生垣の中を進む中で受けた傷もなかなかに痛い。
 これで戦闘で噛み付かれたの爪で裂かれただのとなった場合、どれほどの痛みが彼らを襲うか。
 それを想像しただけで彼らの身はすくむ。

「感慨にふけっていてもいい案は浮かばないだろ? 考えろよ」

「そういうジュリーに案はないのでござるか?」

 そう返されて、ジュリーは「うっ」と言葉を詰まらせた。

「ず、頭脳労働は俺の仕事じゃねぇんだよ」

「都合のいい解釈でござなる、戦士殿」

 言い合いに割って入ったのはゼンである。
 彼は二人の言い合いを制して、ロムに問いかける。

「どうも私は考え方が慎重に過ぎるようでなかなか名案が浮かばないのですが、あなたなら何か浮かんでいるのではないですか? ロム」

 三人の視線がロムに集まる。
 長い沈黙ののち、ロムは枝から降りてソフトボール大の石を拾ってくる。

「猫にぶつける気か?」

「このサイズじゃ、撃退するなんて無理だよ」

「じゃあ、それでどうする気なんだ?」

「通行人に当ててみようかと……」

「え?」

 思わず声を出したのはゼンだ。

「歩いている人が猫に興味を持って寄ってきてくれたら、猫が逃げるんじゃないかと……どうだろう?」

「リスクを取るのですね。……判りました。私は賛成します」

「他に代替案もない。拙者も賛成しよう」

「ジュリーの意見は?」

 ゼンに問われたジュリーは、ふてくされた表情で枝を降りて行く。

「……石を拾ってくる。一回で成功するとは限らないからな」
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