11 それぞれの抱えるトラウマ
文字数 3,345文字
少女は同居の女性と三人連れだって午下りの街を歩いていた。
「レイナちゃん、最近雰囲気が明るくなったよね」
唐突にマユに言われて少女は戸惑った。
一緒に歩いていたヒビキがレイナに代わってマユに問う。
「レイナはいつも笑顔でいるでしょ? どこが違うの?」
「スズちゃんはこういうことにはホント鈍感よねー、レイナちゃん」
そういうマユもこのところだいぶ落ち着いてきたようで、以前のような穏やかな微笑みを浮かべるようになっていた。
今日は自分から出かけたいというので三人で歩いている。
「そうだ。行ってみよう」
とマユが言う。
「どこへ?」とは二人も聞かない。
互いに顔を見合わせた後ヒビキは顔を上げて視線をそらし、レイナは俯いてやはり顔を赤くする。
どこへ行こうと誘っているか察しがついているからだ。
「いいのか?」
とヒビキが訊く。
「もちろん」
とマユは少々意地悪く微笑んで見せる。
おそらくヒビキの問いとマユの返答は意味が違う。
レイナはそれを苦笑いで受け流した。
サイクロプスが三体現れた最後の戦闘から五日が経っていた。
街は大幅に再編されて三日がかりの引っ越しが行われた。
さながら民族大移動といった様相だったが、その作業はあらかた落ち着いている。
それまでその事実に半ば目をそらして普通の生活を装ってきたこの街は、完全な戦時体制に移行した。
南門東に作られていた畑はそのまま残されたが、畑に隣接する形で医療区が設けられ医療班のメンバーが家を割り振られた。
町の西側は職工区とされ、職人たちの住居が工房の近くに充てがわれた。
西側には他に中央広場沿いに市場を作り、食材だけでなくパンなどの加工品も製造する工房を隣接している。
北門側 の東側が自警団の居住区であり、西側のスラム地区は手付かず で決着している。
女性陣は人数が少ないことと安全のため引き続き集団で住むことを原則としていたが、希望があれば自由に住む場所を選ぶ権利も保障されており、アリカはネバルと同居することを選択していた。
「スズちゃんもコーちゃんと一緒に暮らせばよかったのに」
「なっ……」
耳まで赤らめ絶句するヒビキを楽しそうにからかいながら、マユは目的地へと軽い足取りで歩く。
その手を不意にヒビキがつかんだ。
マユが危うくぶつかりそうになったのは通りの角から姿を現したシュウトである。
彼は短く舌打ちをすると三人を睨む。
途端にマユの表情が曇り小刻みに震えだしたのが握った手を通して感じられた。
この辺りを彼が歩いているなど想定外のことだった。
普段の彼はスラムから滅多に出てこない。
訝しそうにヒビキが様子を伺うと、彼の後ろからヒロノブが現れたので事情を察する事が出来た。
おそらくクロかイサミに呼び出されたのだろう。
「どうした? 喧嘩売ってないで先を急げよ」
ヒロノブに促されて歩き出したシュウトは、すれ違う際に下卑た視線でレイナの体を眺めて行った。
その様子にマユの記憶がフラッシュバックしたのか、膝から力が抜けて崩れるように座り込んでしまう。
「大丈夫か?」
「……大丈夫。大丈夫……」
言葉とは裏腹に顔は蒼白となり呼吸が早く浅くなる。
「家 に戻ろうか?」
「ここからならコーちゃん家 の方が近いから……」
マユの言う通り、確かに家に戻る道のりの半分に満たない距離だ。
ヒビキはともすればしゃがみこんで動けなくなってしまいそうなマユを支えてコーとロムの家に急ぐ。
ドアノッカーが三度叩かれたのに気付き、コーが玄関を開けると具合の悪そうなマユを抱きかかえたヒビキとレイナがいた。
「どうしたんだ?」
「あとで説明する。まずは家に上げてくれないか?」
「あ、ああ……」
レイナと代わろうとしたコーは彼が触れた瞬間ビクリとマユの体が強張ったのを感じ、一瞬躊躇したがすぐに何事もなかったように彼女を抱えてリビングに運び入れた。
「レイナ、ロムを呼んできてくれるか? 二階の奥の部屋だから」
「判った」
ソファにマユを横たえるとコーは台所へと消える。
レイナは階段をのぼり奥の部屋のドアをノックする。
「どうぞ」
声に促されてドアを開けると、そこには上半身むき出しの格好で腕立て伏せをしているロムがいた。
頭をこちらに向けているが視線を落としているため彼女に気づいていないようだ。
やがて二百と短く呟いてロムが顔を上げる。
そこにはスラリとした白い女性の足があり、彼は誰だろうかとさらに視線を上げ期せずして健康的な太ももを見上げてしまうことになった。
「あ」
ラッキースケベの直前、その状況に気づいたレイナが小さな悲鳴をあげてスカートを抑える。
「ごめん」
魅力的な太ももから強引に視線を剥がすと、ロムは立ち上がって改めてレイナを見る。
レイナの方でも羞恥に顔を赤らめつつロムを見るが、今度はその鍛え抜かれた上半身が視界に入ってまた顔を上気させることになる。
「ああ、悪い。今上着着るよ」
言って彼が背を向けたことでこちらも期せずして左肩の傷痕を見ることになった。
齧 歯 類 に噛まれた傷である。
兄達からここに来るまでの経緯は聞いた。
その中に生死をさまよったドブネズミとの死闘の話は、あの日のハイライトのひとつとして強くレイナの感情を刺激している。
彼自身からは具体的な戦闘経過は語られていないものの、実際にその傷を見ればいかに深く噛みつかれていたかが想像できる。
「その傷……」
「ん?」
着かけた手を止め、レイナが左肩の傷痕に手を触れるのをされるがままにしてくれる。
「あの日」
言いかけたロムが口をつぐむ。
長い沈黙が二人を支配し、ようやくロムは続きを紡ぎ出した。
「助けられなくてごめん」
レイナの目から涙がこぼれる。
こんな大怪我を押して彼は最上階に上がってきた。
赤 龍 に攫われたレイナを助けようと力を振り絞って手を伸ばしてくれた。
あの日の指先に触れたロムの指先の感触は今も思い出せる。
レイナは今、この瞬間はっきりと自分がこの目の前の青年に恋心を抱いていることを自覚した。
二人で階下に降りて来ると、コーとヒビキがマユを落ち着かせていた。
「何があったんですか?」
事情を知らないロムがコーに訊ねる。
「ん? ああ……」
「ちょっと過呼吸でここに運ばせてもらった」
事情を説明しそうなコーを遮るようにヒビキが現状だけを語る。
そのちょっとした機微を察したロムは、それ以上立ち入ることなく様子を見守ることを決めた。
ヒビキはありがたい反応だと好意的に捉える。
ようやく落ち着いたマユはみんなに礼を言うと目を閉じ小さく微笑んだ。
「顔色が悪いからもう少し休んでいくといいよ。使ってない寝室があるから一眠りするといい」
ロムが言うと、「そうさせてもらう」とコーに先導される形で二階へ向かう。
「いい男だな、君は」
「なんですか? いきなり」
「いや、そう思っただけだ。コーちゃんも君くらい配慮できる男ならあたしも……」
と言いかけて慌てて顔を赤くしながら話題を変えた。
「ところで先日の試合の怪我はもういいのか?」
「おかげさまで」
怪我といっても大袈裟なものではない。
打ち身と打撲で二、三日腫れて熱を持った程度だ。
ヒビキの方も負っている。
五日前の会議の後、クロたちの立会いのもとで二人は拳法家として試合をした。
結果だけを言えばヒビキが勝利を収めている。
実力自体は拮抗していた。
勝敗を左右したのは実戦経験の豊富さだったと言えるだろう。
ヒビキはアクション女優として仲間内では天才と呼ばれていたが、天稟 なら彼のほうがひと回りもふた回りも上だとあの試合で知らされた。
まだまだ強くなる。
そのことに軽い嫉妬をしている自覚もあった。
「レイナちゃん、最近雰囲気が明るくなったよね」
唐突にマユに言われて少女は戸惑った。
一緒に歩いていたヒビキがレイナに代わってマユに問う。
「レイナはいつも笑顔でいるでしょ? どこが違うの?」
「スズちゃんはこういうことにはホント鈍感よねー、レイナちゃん」
そういうマユもこのところだいぶ落ち着いてきたようで、以前のような穏やかな微笑みを浮かべるようになっていた。
今日は自分から出かけたいというので三人で歩いている。
「そうだ。行ってみよう」
とマユが言う。
「どこへ?」とは二人も聞かない。
互いに顔を見合わせた後ヒビキは顔を上げて視線をそらし、レイナは俯いてやはり顔を赤くする。
どこへ行こうと誘っているか察しがついているからだ。
「いいのか?」
とヒビキが訊く。
「もちろん」
とマユは少々意地悪く微笑んで見せる。
おそらくヒビキの問いとマユの返答は意味が違う。
レイナはそれを苦笑いで受け流した。
サイクロプスが三体現れた最後の戦闘から五日が経っていた。
街は大幅に再編されて三日がかりの引っ越しが行われた。
さながら民族大移動といった様相だったが、その作業はあらかた落ち着いている。
それまでその事実に半ば目をそらして普通の生活を装ってきたこの街は、完全な戦時体制に移行した。
南門東に作られていた畑はそのまま残されたが、畑に隣接する形で医療区が設けられ医療班のメンバーが家を割り振られた。
町の西側は職工区とされ、職人たちの住居が工房の近くに充てがわれた。
西側には他に中央広場沿いに市場を作り、食材だけでなくパンなどの加工品も製造する工房を隣接している。
北門
女性陣は人数が少ないことと安全のため引き続き集団で住むことを原則としていたが、希望があれば自由に住む場所を選ぶ権利も保障されており、アリカはネバルと同居することを選択していた。
「スズちゃんもコーちゃんと一緒に暮らせばよかったのに」
「なっ……」
耳まで赤らめ絶句するヒビキを楽しそうにからかいながら、マユは目的地へと軽い足取りで歩く。
その手を不意にヒビキがつかんだ。
マユが危うくぶつかりそうになったのは通りの角から姿を現したシュウトである。
彼は短く舌打ちをすると三人を睨む。
途端にマユの表情が曇り小刻みに震えだしたのが握った手を通して感じられた。
この辺りを彼が歩いているなど想定外のことだった。
普段の彼はスラムから滅多に出てこない。
訝しそうにヒビキが様子を伺うと、彼の後ろからヒロノブが現れたので事情を察する事が出来た。
おそらくクロかイサミに呼び出されたのだろう。
「どうした? 喧嘩売ってないで先を急げよ」
ヒロノブに促されて歩き出したシュウトは、すれ違う際に下卑た視線でレイナの体を眺めて行った。
その様子にマユの記憶がフラッシュバックしたのか、膝から力が抜けて崩れるように座り込んでしまう。
「大丈夫か?」
「……大丈夫。大丈夫……」
言葉とは裏腹に顔は蒼白となり呼吸が早く浅くなる。
「
「ここからならコーちゃん
マユの言う通り、確かに家に戻る道のりの半分に満たない距離だ。
ヒビキはともすればしゃがみこんで動けなくなってしまいそうなマユを支えてコーとロムの家に急ぐ。
ドアノッカーが三度叩かれたのに気付き、コーが玄関を開けると具合の悪そうなマユを抱きかかえたヒビキとレイナがいた。
「どうしたんだ?」
「あとで説明する。まずは家に上げてくれないか?」
「あ、ああ……」
レイナと代わろうとしたコーは彼が触れた瞬間ビクリとマユの体が強張ったのを感じ、一瞬躊躇したがすぐに何事もなかったように彼女を抱えてリビングに運び入れた。
「レイナ、ロムを呼んできてくれるか? 二階の奥の部屋だから」
「判った」
ソファにマユを横たえるとコーは台所へと消える。
レイナは階段をのぼり奥の部屋のドアをノックする。
「どうぞ」
声に促されてドアを開けると、そこには上半身むき出しの格好で腕立て伏せをしているロムがいた。
頭をこちらに向けているが視線を落としているため彼女に気づいていないようだ。
やがて二百と短く呟いてロムが顔を上げる。
そこにはスラリとした白い女性の足があり、彼は誰だろうかとさらに視線を上げ期せずして健康的な太ももを見上げてしまうことになった。
「あ」
ラッキースケベの直前、その状況に気づいたレイナが小さな悲鳴をあげてスカートを抑える。
「ごめん」
魅力的な太ももから強引に視線を剥がすと、ロムは立ち上がって改めてレイナを見る。
レイナの方でも羞恥に顔を赤らめつつロムを見るが、今度はその鍛え抜かれた上半身が視界に入ってまた顔を上気させることになる。
「ああ、悪い。今上着着るよ」
言って彼が背を向けたことでこちらも期せずして左肩の傷痕を見ることになった。
兄達からここに来るまでの経緯は聞いた。
その中に生死をさまよったドブネズミとの死闘の話は、あの日のハイライトのひとつとして強くレイナの感情を刺激している。
彼自身からは具体的な戦闘経過は語られていないものの、実際にその傷を見ればいかに深く噛みつかれていたかが想像できる。
「その傷……」
「ん?」
着かけた手を止め、レイナが左肩の傷痕に手を触れるのをされるがままにしてくれる。
「あの日」
言いかけたロムが口をつぐむ。
長い沈黙が二人を支配し、ようやくロムは続きを紡ぎ出した。
「助けられなくてごめん」
レイナの目から涙がこぼれる。
こんな大怪我を押して彼は最上階に上がってきた。
あの日の指先に触れたロムの指先の感触は今も思い出せる。
レイナは今、この瞬間はっきりと自分がこの目の前の青年に恋心を抱いていることを自覚した。
二人で階下に降りて来ると、コーとヒビキがマユを落ち着かせていた。
「何があったんですか?」
事情を知らないロムがコーに訊ねる。
「ん? ああ……」
「ちょっと過呼吸でここに運ばせてもらった」
事情を説明しそうなコーを遮るようにヒビキが現状だけを語る。
そのちょっとした機微を察したロムは、それ以上立ち入ることなく様子を見守ることを決めた。
ヒビキはありがたい反応だと好意的に捉える。
ようやく落ち着いたマユはみんなに礼を言うと目を閉じ小さく微笑んだ。
「顔色が悪いからもう少し休んでいくといいよ。使ってない寝室があるから一眠りするといい」
ロムが言うと、「そうさせてもらう」とコーに先導される形で二階へ向かう。
「いい男だな、君は」
「なんですか? いきなり」
「いや、そう思っただけだ。コーちゃんも君くらい配慮できる男ならあたしも……」
と言いかけて慌てて顔を赤くしながら話題を変えた。
「ところで先日の試合の怪我はもういいのか?」
「おかげさまで」
怪我といっても大袈裟なものではない。
打ち身と打撲で二、三日腫れて熱を持った程度だ。
ヒビキの方も負っている。
五日前の会議の後、クロたちの立会いのもとで二人は拳法家として試合をした。
結果だけを言えばヒビキが勝利を収めている。
実力自体は拮抗していた。
勝敗を左右したのは実戦経験の豊富さだったと言えるだろう。
ヒビキはアクション女優として仲間内では天才と呼ばれていたが、
まだまだ強くなる。
そのことに軽い嫉妬をしている自覚もあった。