雑なダンジョン篇 02 慎重ならいいというわけじゃない

文字数 3,739文字

 ジュリーが自分の不甲斐なさに歯噛みをしている間、ロムはカマキリを威嚇しながらじりじりと壁際を移動し続けようやく出口の扉にたどり着こうとしていた。
 時折繰り出される鎌腕は杖で弾き、フェイントの攻撃はしても有効打は当てない。
 あくまでも安全にこの部屋を抜け出すことを最優先に考えていた。
 それは決して見た目ほど楽な戦いではなかった。
 ここが最終決戦というのであれば、多少の怪我を覚悟することで目の前の敵を倒すことも可能だろう。
 大きさもロムの半分以下、繰り出される攻撃も速さはあるが重さはない。
 そもそもカマキリの前脚(鎌腕)は獲物を捕まえて逃さないためのものであって相手に致命的ダメージを与えるためのものではない。
 ここまでの攻防を彼なりに分析した限りにおいては、むしろ負ける要素こそ少ない。
 一連の攻防から考えると現状獲物として狙われているかどうかも疑わしい。
 しかし、万が一捕獲された場合「脱出できるか?」と問われれば、気軽に「うん」とは言いかねる。
 喰われるようなリスクは(おか)したくない。
 相手はここに閉じ込められるまで野生に生きていたと思われる。
 決して隙を見せるわけにはいかないのだ。
 たどり着いた出口には、ドアノブに手をかけたジュリーが眉間にしわを寄せた真剣な目でロムとカマキリを見つめている。
 ここがこの戦いの正念場。
 ロムは八畳ほどの部屋の中、カマキリの間合いで対峙している。
 扉の正面に立った彼は、カマキリを睨みつけその背を仲間に向けたまま言った。

「三つ数えたら部屋を出るからすぐに閉めてくれ」

「判った」

 ジュリーの返事を聞いたロムは一際(ひときわ)大きく杖を回し一度大きく退かせると足を止めて斜に構え、杖の先をピタリと相手に向ける。
 体重は後ろに引いた右足の親指の付け根に乗せ、心持ち膝を曲げ力をためる。
 呼応するようにカマキリもまた動きを止め、こちらの様子を伺う。
 静寂が空間に満ちた。

「一……二……」

 数えながら左足に徐々に重心を移動する。
 廊下で待っている中の様子が見えないサスケとゼンにも部屋の中の緊張感が伝わってくる。

「三っ!」

 弾けるように廊下に跳び退(しさ)るロム。
 半拍遅れてジュリーが力いっぱい扉を閉める。
 ランタンの明かりが照らす廊下に安堵が広がった。

「悪趣味です」

 ゼンが呟く。

「野生の昆虫を捕まえて安易にダンジョンに配置するなんて、やっていいことと悪いことの区別がつかなくなっているとしか思えません」

 憤るゼンに「でもよ」とジュリーが問いかける。

「ここが

のダンジョンだとしたら……」

「残念ですが、ここは

のダンジョンではありません」

 被せられた言葉にジュリーは黙ってしまう。

「このダンジョンにはあの時のような巧妙さがありません。おそらくこの先も思いつきに過ぎない危険な罠が仕掛けられているでしょうが、あの時のダンジョンのように冒険者に慎重さがあれば対策が打てるというようなものではないでしょう」

「この先にもカマキリのような罠があると見てるのでござるか?」

 四人は再び歩き出す。
 地図を書きながらサスケは隣りを歩くゼンに問いかけた。

「ええ、きっとモンスターとして配置されてます」

 ゼンの言葉には確信が込められている。

「なら、隊列を組み直そう」

「ロム?」

 言って、ジュリーは立ち止まり後列を歩いていたロムを振り返った。
 見るといつもの飄々(ひょうひょう)としたものとは違う渋い表情が浮かんでいた。

「私も賛成しますよ。このダンジョンに後ろから襲われる心配はありません。先頭の攻撃力を上げて一気に正面突破しましょう」

「……判った」

 ロムがジュリーの隣に並びその後ろにゼンとサスケ。
 隊列を組み直した四人は周囲の警戒を最小限に先を急ぐ。
 その歩みは街路を行くような気安さで、サスケがマッピングが追いつかないからと幾度となく立ち止まらせたほどである。
 幾つかの角を曲がり、やがて冒険者は扉の前にたどり着いた。
 急造で立て付けの悪い木製の扉。
 先ほどのものと一緒だ。誰もが一様に同じような罠があるとそう思うほどに安易な構造だった。
 ロムが扉に耳を当てるが特に中の様子が(うかが)い知れるわけでもなかった。

「でも、気配はある。集団の気配だ」

「それだけわかれば覚悟ができる」

 言ってジュリーは腰の鞘から細身ながら厚みのある片手剣を抜き、フッと短く息を吐いた。

「確認だ。明らかな敵意がない限り部屋を突っ切る。それでいいんだな?」

「ええ。各自自分の身は自分で守る。私も頑張りますよ」

「じゃ、遭遇戦(エンカウント)だ」

 ジュリーの宣言と同時にロムが扉を開け、四人は部屋に踊り込んだ。
 そこには不快な羽音が充満していた。

「うわっ!」

 ジュリーが思わず声に出したのも無理はない。
 十センチ級の蚊の群れが廊下のような細長い部屋の中を飛び回っていたのだ。

「あんなのに喰われたらたまったものではござらんぞ」

「かといってあの大きさではパンと手でつぶすのも嫌ですね」

「部屋から出るまで刺されなきゃいいんだろ?」

 こともなげにロムが言う。
 確かに本来の蚊ならちょっと手を振って追い払うことも造作ない。
 四人は互いに目配せをすると頷きあい、固まって手を振り武器を振り回しながら部屋を横切って行く。
 頭の上には蚊柱が立ち昇り、耳に(さわ)る羽音が彼らを包む。

「今晩うなされるぞ、これ」

 ジュリーの軽口はしかし、余裕の表れでもあった。
 倒すとなれば苦労するだろう。
 少なくとも二十匹以上は飛んでいる。
 けれどこの部屋を出ていければいいのだ。
 肌へ着地させないよう体を動かし続けていればダメージもない。
 そんな風に考えていたことが慢心に繫がったのか、不意に首筋にぞわわと寒気が走るような感覚を感じた。

「わわっ!」

 反射的に首をすくめ首筋を手で払おうとするジュリーだったのだが、左腕には盾を装着し右手には剣を握っている。
 異変に気付いたロムが味方への配慮を欠いた剣の軌道をかいくぐり、ジュリーの首に取り付いた蚊を払いのける。

「悪りぃ」

「慎重に行くのはやめよう。それだけリスクが高まる」

 ロムの提言を聞き入れたゼンは、サスケと一瞬視線を合わせる。
 サスケも小さく頷いた。

「ここはロムの意見に従いましょう。一気に走るんです」

 言うと同時に走り出すゼンを追いかけるようにサスケとジュリーが後に続く。
 ロムはスナップを効かせたジャブで彼の周りを飛んていた四、五匹の蚊を弾き飛ばしてから仲間の元へ駆けてゆく。
 出口の前で待っていた三人は、彼がたどり着くと同時に扉を開けて外へ出る。
 間髪入れずにロムが飛び出すと、扉を開けたジュリーが壊れよとばかりに力任せに扉を閉めた。
 一瞬の静寂。
 全員があの耳障りな羽音がしないかと耳をすませて身構える。

「大丈夫の、ようだな」

 静寂を破ったのはジュリーだった。

「うむ誰の体にも取り付いておらぬし、羽音もせん」

 それを聞いてこわばっていた全身の力を抜いたジュリーにロムが心持ち鋭く言い放つ。

「いちいち気を抜いちゃだめだ」

「え?」

 見るとロムはいつもの自然体に見える姿で立っていた。

「悪い癖だ。無駄な力は強張りを生み反応を遅らせるからなるべく抜いたほうがいい。けど、気は抜いちゃだめだ。不測の事態に対応できなくなる。体の反応のことじゃない」

 と言いながら自分のこめかみを二度三度と軽く人差し指で叩く。

「ここが働かなくなる。反応どころか思考が止まる」

 そこで一度言葉を区切り、ジュリーの思考が追いつくのを待って改めてこう繰り返す。

「気を抜いちゃだめだ」

 言っていることの意味が理解できると彼はうつむき、ぐっと奥歯を嚙みしめる。
 身に覚えがある。
 いや、あるどころではない。
 ジュリーは剣士の(なり)こそしているが、その本質は文学青年である。
 幼い頃から決して運動系の活動で目立った活躍をしたことがない。
 むしろどちらかと言えば足手まといの部類だったという自覚がある。
 しかし、だからこそというべきか、彼はヒーローに憧れた。
 英雄譚(えいゆうたん)を読み(あさ)り物語の主人公に自身を重ねては夢想に時を過ごしてきた。
 こんな冒険に出るようになったのもその憧れの延長である。
 初めの頃の冒険では何度となく油断を突かれて罠に引っかかった。
 あの忌まわしい事件がなければ仲間を危険上等のこんなダンジョンアタックになんか巻き込んでいない。
 もっとも仲間の側でも危険は承知で積極的に関わってくれている。
 特にロムは他の二人と違い

が出会いの日だったにもかかわらず、このいつ果たされるともしれない人探しに付き合ってくれているのだ。
 それも重要な主戦力として……。
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