#8. 停滞文明、その操作
文字数 3,438文字
「剣も、魔法も、通用しなかった?」
「そうだ。大陸最強の呼び声高いクラリス・ベルリオーズでさえ、手も足も出ず、全く歯が立たなかった」
黒騎士は最後まで抵抗したクラリスが意識不明になると、国王には目もくれず、煙のように消え去ったという。これは比喩ではなく、本当に蒸発するかのように消えたのだ、と。現れた時と同じく。
「ふむ。出没方法についてはここでどれだけ話そうとも推論の域を出ませんね。しかし、目的については明らかです」
「そうね〜」
マーリンが頷いた。
「黒騎士の目的は、シールド騎士団だった、という事になりますね」
言ってみて強烈な違和感に襲われた。馬鹿な。大陸最強の騎士団に、なぜわざわざこれも大陸一厳重な城に潜り込んでまで挑むのか。
「解せません。エルンスト教本教会と、アヴァロン皇国国王塔の並ぶツインタワーは、監視魔法や感知魔法により、かつて侵入者を許した事はありません。黒騎士は、動態感知も生体感知も潜り抜けた事になりますが、そんな事はあり得ません。どちらも精度を上げれば昆虫さえ完璧に識別可能な魔法です。現実的に考えれば、手引した者がいる、となるのが自然です」
「やっぱり、ゼルタちゃんもその結論になるわよね〜。だからあたし、みんなには悪いと思ったんだけど〜、全員の記憶をチェックさせてもらったの〜」
マーリンはいたずらを告白する子どものように上目遣いで私を見た。これまで非道非情な決断を幾度もしてきた彼女だが、どうしてもこうした事には慣れないようだ。そう考えて、ずきりと胸が痛んだ。
マーリンは、もう何度もこの世界が滅ぶのを見てきたのだ。それも、自らの手により滅ぼしてきた。それは、どれほどの痛みを伴う行為だっただろう。そして、どれほど自分を責めれば気が済む行為なのだろう。永遠に誰にも、自分自身にも赦されない辛さとは、いかに付き合って来たのだろう。だから私が赦すのだ。マーリンの心を赦すのだ。例えそれが、何の慰めにもならないとしても。
「正しい判断だと思います、マーリン。ツインタワーに出入りする人間は、思想まで厳しく管理するべきです」
「……そう? ありがとう、ゼルタちゃん……」
マーリンは悲しそうに笑った。
「で、結果は?」
「それらしい人はいなかったわ〜。当然と言えば当然なんだけど〜」
「だけど?」
「いや、穴がある。マーリンよ、おぬしは大事な人を忘れておる」
すかさず国王が横槍を入れてきた。代々の国王を教育してきた私だが、この国王はなかなかに優れている。まあ、初代に並ぶ者はまだ現れていないが、あれはまた特別だ。
「四公爵だ。特に北。デューク・エルノースは警戒しなければならぬ」
「デューク・エルノース、ですか……」
北の大公爵、エイブラハム・エインズワース。環状六島の1つ、バスクランド王国の王でもある。バクスランドは、アヴァロン皇国初代国王、オズワルド・アヴァロンの故郷である。2000年前、バクスランドの公爵であったエインズワースのお抱え騎士団団長が、オズワルドの父、アドルファスだった。エインズワースは当時のバクスランド国王パスカビルを裏切り、邪魔者だったアドルファスを死に追いやった。以来、国王の位に就いている。
「わしの偉大なる先祖、オズワルドの仇敵だ。第二次天界戦役後、アヴァロンに屈して属国となってはいるが、エルノースは野望を捨ててはおらんだろう」
「そうだ。なぜあんな男を軍務省大臣に選んだのですか? 私がアヴァロンを留守にしていたたった15年の間に、あれほど警戒していた銃器も導入されてしまいましたが」
「他の三人の公爵の推薦だ。正当な協議による決定には、わしでも逆らう事は出来ん」
「あれは、あたしも寝耳に水だったわ〜。エルノースちゃんたら、凄いやり手なのよね〜」
ごめんねと手を合わせるマーリンに、私は絶句した。信じられない。この大魔女の情報網を掻い潜り、そんな決定を認めさせるとは。
「年二回行われる四賢公会議の結果は、実務議会で発表され、それがそのまま皇国の方針として周知されるのは知っておるだろう? この時、四賢公会議は実務議会開催ギリギリまで遅れ、内容のチェックが行き届かなかった。これもエルノースの策だったのだろう」
「あ、ちなみに、エルノースちゃんも黒騎士の事は知らなかったわ〜。はー、もうあんな人の精神を覗くのは御免だわね〜。もー、お腹真っ黒なんだもの〜」
国王は歯軋りをして机を叩いた。そうしたいのは私の方だ。私が皇国を留守にしなければ、こんな事にはさせなかった。最悪、エルノースに取り憑いて撤回させる事も出来たのだ。
銃や大砲を始めとする兵器は、マテリア連邦から購入したのだろう。そこまで科学技術が発達しているのはあの国だけだ。そして、魔導炉の開発にも成功し、飛空船まで完成させてしまった。進歩が速い。これはまずい事になる。科学技術の発達を嫌うアトゥムが、これ以上の進化を見過ごすとは思えない。4000年もの間、慎重に文明の停滞をコントロールしてきたというのに、これでは全て無駄になりかねない。
この為に、どれだけの天才を葬ってきたことか。彼らを放置していたなら、今頃はきっと、人類は宇宙にまで進出し、遠くの星々まで支配していたのかも知れない。まあ、その前に、アトゥムに滅ぼされているだろうが。
「分かりました。問題は、全て私が何とかします。任せていただけますか、国王?」
どうせ好き勝手にやるつもりだが、形式上は臣下になる為、一応国王の顔を立ててみた。私が帰って来たとなれば、皇国の中枢は恐怖に陥り大混乱となるだろう。気に入らない者、使えない者、疑わしい者は容赦なく粛清してきた私は、悪魔の宮宰とまで呼ばれていたのだ。宮宰である私の権限は、国王に次ぐ。そして、教皇であるマーリンには、国政に介入する権限が無い。だから、私がどうにでも出来るのだ。
「うむ。それは頼もしい限りだが……黒騎士は何とする?」
「黒騎士、ですか? ははは。次に現れた時には、私が始末していますよ。この地上において私が敵わないのは、マーリンだけですから」
「そうか。そうだ。そうだったそうだった。わはははは」
国王の顔が明るくなる。笑いながら私の肩をばんばんと叩く国王に、子どもの頃の無邪気さが思い出された。長い髭をたくわえようと、私にとってはずっと子どもなのだろう。などと、まるで父親のような気分になった。
「さて。では、私の方からの話に移りたいのですが……ん?」
「どうしたの〜、ゼルタちゃん? 窓の外に、何かいた〜?」
「いえ……気のせいです」
微量な魔力の波動を感じたが、気のせいか? 一瞬、頭に浮かんだ蝶のイメージは何だろう? しかし、ここは王城最上階。セキュリティは万全だ。自分自身の脳が突発的に描いたものなど、気にする必要は無い。
「わはははは。なんだ、話すのが照れるのか、ゼルタ? あれだろ、倭のプリンセスの事だろう? すでに城内では噂になっておるが、随分と可愛いお嬢さんらしいではないか。そんな娘と15年も一緒にいたとなれば、なんやかやあったのだろう? なあ、ゼルタ? なあ、なあ?」
国王は「ぐふふふふ」と下卑た笑いを浮かべ、肘で私の小腹を突付く。まんまおっさんの所業ではないか。国王の威厳はどこに行った? 私はこういうからかいが嫌いだ。
「馬鹿なのですか? 操魂潜法!」
「うぎゃああああ!」
「ちょっとゼルタちゃん! 国王ちゃんに魔法攻撃しちゃダメよ〜!」
私は魔力回路ネクロマンサーだけが持つエクストラスキル、操魂潜法を国王にお見舞いした。私の手から放たれた翡翠色の蛇が、対象の体に潜り込み、激痛を与えるのだ。そして体の自由を全て奪い、私の意のままに操れるようになる。最後は魂を食らい尽くし、死に至らしめる魔法である。あ。そうだ、これ使うと死ぬな。
「も〜、ゼルタちゃんたら。でも、愛ちゃん。東条、愛、か。やっぱりアイちゃん、なのね……」
愛の名を呟き、懐かしそうに微笑んだマーリンが、何を思い出しているのか。
私はそれを知っている。