#7. 代弁者、クラリス
文字数 3,304文字
愛とアリス、ついでにエスメラルダへと無言で拳骨をお見舞いし、風呂に入れと指示したクラリスは、バンクシーに向き直り、その隻眼でぎろりと睨んだ。
今、私は大浴場にいるわけだが、透視に千里眼、超聴力の魔力回路を生成し、この様子を観察している。横ではうら若き少女たちが、キャッキャウフフと入浴中だが、そちらは全く見ていない。本当に本当だ。
「おい、バンクシー。お前、そんなカビ臭い甲冑を持ち出して来て王城前でうろうろしているとは、一体どういう了見なのだ? テロでも起こすつもりではあるまいな?」
「なに? ふざけるなよ、クラリス」
「ディム・クラリスだ。敬称を忘れるとは無礼なやつめ。お前に呼び捨てにされる謂れは無い。ついでに言えば、お前に劣る要素も無い」
「うぐっ」
クラリスとバンクシーとでは、格が違いすぎるようだ。バンクシーとやら、歳はベルトランに近いように見えるので、クラリスよりは歳上のはずだが、実力主義のシールド騎士団において、そんなものは意味を成さない。
「少し聞こえたが、お前は私の人選に納得がいかないようだな。そう思うのは勝手だが、公に言いふらされては、見過ごすわけにいかん。私にも、立場というものがあるのでな」
「ふ、ふふん。見過ごせなければ、どうする? 俺を殺すか?」
「いいや。私にとって、お前は斬る価値も無い男だ。発言の撤回は求めんが、謝罪だけはしてもらう。断るとあらば、後はベルトランに託す事となるだろう」
「はっ。告げ口か?」
「まあ、やる事としてはそれで合っている。だが、意味は全く違っている。報告も告げ口も、やっている事としては変わらんからな」
意外だ。クラリスは、さして怒っていないと見える。それどころか、むしろ憐れみさえ感じる。この少女、性は直情傾向だと思っていたが、思慮深い一面も持っている、か。配下の命を預かる団長ともなれば、そうでなくては困るので、当然と言えば当然だ。
「報告? ははっ、ベルトラン団長は、俺たちを捨てたのだ! 俺たちに興味が無いと言う事だ! そんな団長にそんな報告をして、一体何の意味がある! 紅蓮剣を抜け、クラリス! そして、俺と戦え! 俺に、最期の花道を与えてくれえ!」
バンクシーは兜を脱ぎ捨て、その華美な剣をクラリスに突き付けた。シールド騎士団メンバーで無くなったバンクシーは、すでに神器をマーリンに返還しているはずだ。魔力回路の反応も見られない、ただの剣士であるバンクシーが、紅蓮剣を持つクラリスに挑めば結果は明らか。これは自殺と変わらない。
「断る。私の紅蓮剣は、お前を斬る為にあるのでは無い。死にたいならば、一人で勝手に死ぬ事だ」
そんな申し出を受ける騎士などいない。当然、クラリスも冷酷非情に断った。私の目には、そう映った。
「ははっ。はははは。そうか、俺はもう、そんなに価値の無い騎士になったのか。クズか。クズだ。俺は、クズなんだな。はははははは」
「きゃああああ!」
「うわあっ! あの騎士、死ぬ気だ!」
「止めてあげろよ、ディム・クラリス! 気絶させるなりすればいいだけの話じゃないか!」
バンクシーは抜き放った剣を自らの首にあてがった。斬れ味鋭かろう匠の刃が、ぎらりと光る。野次馬たちはいよいよ危うくなったバンクシーに悲鳴を上げ、クラリスを非難した。
しかし、クラリスは微動だにしない。じっとバンクシーを睨んでいる。そして「はあ」と溜め息すると、その可憐な唇を小さく開いた。
「バンクシー。お前はクズだ」
「うぬ。ぬう、ううう」
そして、更にバンクシーを追い詰めた。
クラリスは、言葉でバンクシーを殺す気か? 斬りたくないからと、言葉で自死を選ばせるのか? これはなかなか酷い子だ。が、そう思った私は早計だった。
「私には分からんよ。そんなクズであるお前を、なぜベルトランはここまで大切に思うのか」
クラリスは目を閉じて、ゆっくりと首を振る。呆れ果てているようだ。
「……何? それは、どういう意味だ?」
剣が首に食い込み、血が滲んだところで、バンクシーは手を止めた。
「そのままの意味だ。お前、なぜ分からんのだ? お前は、ずっとベルトランの元にいたのだろう? 私よりベルトランに詳しいはずのお前が、なぜ分からん? 言っておくが、私はベルトランが嫌いだ。何かにつけて突っかかり、私に張り合うあのハゲは、はっきり言って鬱陶しいとしか思えない。だが、それでもベルトランが隊を解散した理由と、その気持ちだけは、不本意ながら理解出来る。お前より、ずっと」
バンクシーは途中怒りを表したが、黙ってクラリスの言葉に耳を貸した。
「しかし、ベルトランは絶対に間違っている。私は、ベルトランのこの解散という措置を、完全に否定する。なぜか? 言っていいのかどうか分からんが、ベルトランは、お前たち団員が大切だからこそ隊を解散したのだろう。見ろ、この私の姿を。これを見て、お前はどう思うのだ?」
「ク、クラリスッ」
クラリスはマントで隠した左半身をバンクシーに晒した。中身の無い礼服の左袖が、ゆらゆらと揺れている。あまり見られたく無いもののはずなのは、バンクシーとて察したのだろう。バンクシーはクラリスに駆け寄ると、慌ててマントを元に戻した。
「私は、強い。全騎士中、最強であると自認している。だが、そんな私ですら、ここまでやられる相手がいる。それも、完全防備を誇るはずの、王城内に現れた。今度は、いつ、どこで、誰が私と同じ目に遭うのか、誰にも予想出来ないだろう」
そこまでクラリスが言い至ると、バンクシーがはっと何かに気がついた。こういう表情を、目から鱗が落ちた、と表現するのだろう。
「では、では……ベルトラン団長はっ……」
クラリスはこくりと頷いた。
「そうだ。お前たちを、危険から遠ざける為に隊を解散したのだろう。全く、ふざけた話だ。王を守るべきキングス・シールドが、命惜しさに解散するとは。おそらくベルトランは、お前たちがもっと強くなるまで、一人で王を護るつもりなのだろう。しかし、これは完全に自己満足でしかなく、先人たちが築き、守り抜いて来た、誇り高い職務への冒涜ですらあると私は思う。だから私は、ベルトランを許さない。こんなクズの命でも、一秒でも長く王を守れるのであれば使うべきだ。そんな覚悟も無くキングス・シールド団長を務められるのは許せんのだ」
「あ……ああっ……」
バンクシーは剣を取り落とし、ふらふらと後退った。顔面は蒼白で、手は震えている。とてつもないショックを受けているのが分かる。
「ベルトランめ。あいつは、あんな顔のくせに優し過ぎる。どうだ分かったか、このクズめ。解散を恨むのであれば、同時に自らの未熟と無力を恨むがいい。そして勝手に死んで、ベルトランを失望させればいいだろう。やつは、多分期待して待っている。成長したお前をな。お前のような、クズでもだ!」
「うわ、っああ、あああああーーーっ!」
バンクシーは崩れ落ちて泣き喚いた。地を叩き、頭を打ち付けて悔しがった。打ち付けた額からは血が噴き出し、涙と混ざって石畳に吸われてゆく。
「ちっ。これだけ言っても分からんとは、誠のクズめ。そんな傷を作る暇があれば、さっさと鍛錬に励め。そして、もっと強くなれ」
クラリスは舌打ちすると、白いマントを翻して王城のエントランスへ足を向けた。
「くそっ。私とした事が、ベルトランの想いを代弁してしまうとは。ちっ。その上、強くなれ、だと? お前は何様なのだ、クラリス」
かつかつとブーツを鳴らすクラリスは、激しい怒りに燃えている。
「私も、弱い。弱過ぎる。もっと強く。私も、もっと強くなる!」
クラリスは聳え立つツインタワー、王城側に、黒騎士の姿を重ね見ているのか。
噴水広場では、バンクシーを悔い改めさせたクラリスの背中へ向けて、詳細を知らずとも感銘受けた観衆たちから、温かい拍手が送られていた。