#8. 繋ぐ心
文字数 3,810文字
「や、やっつけちゃえばって、ああああ愛、あなたは」
アリスが口を金魚よろしくパクパクさせた。
「は、はは。俺たち、さっきからそうしたくて頑張ってたんだけどね」
ジャン=ジャックは更に何か言いかけたが、「はは、はあ」と肩を落とし、口を噤んだ。
「そうなの? なんだ、なら愛に言ってくれれば良かったのに」
愛はそう言うとにかっと笑った。そして、とことことどこかへ歩き始め、きょろきょろと何かを探し始めた。
「愛?」
「愛ちゃん?」
「あ。これなら良さそう。ねえ、それ、ちょっと貸して」
そこへ通り掛かったのは、無骨な滑車で主砲へと砲弾を運ぼうとしていたクルーだった。台車には人間くらいの大きさの砲弾が、20ほど積まれている。派手に撃っていたので、とうとう弾薬庫の物を使い始めたのだろう。愛はその砲弾を指差し、貸してとねだる。
「は? 馬鹿を言うな。これは40センチ砲の砲弾だ。重量はこれ一つで1トンはあるのだから、はいどうぞと渡せるような物じゃない。いいか、下手な取り扱いをすれば爆発する、って、うおわあああ!」
「そうなの? 分かった」
愛は説明を受けている途中で、砲弾の先っちょを、片手でひょいと掴みあげた。装填手であろうクルーは、まるで大根でも持つかのような愛の姿に仰天している。
「なにいいい!」
ジャン=ジャックも驚きを隠せない。ジャン=ジャックは愛の魔力回路を知らなかったのだ。
「うーん、ちょっと投げにくいけど、硬さとか重さとか、これくらいは無いとダメだよね」
愛は自分の胴体よりも太い、先の尖った筒状の砲弾の持ち方をいろいろ試している。結果、胴を支え、お尻を持って押すように投げる事にしたようだ。愛の脳内イメージを読み取るに、それが結論らしい。
「なななな、投げるって、愛」
「あ。ちょっと離れてて、アリスちゃん。助走もつけたほうがいいもんね」
愛はワイバーンに正対したまま後ろ向きに歩き、甲板柵に背中をつけた。そして、砲弾をさっきのイメージ通りに捧げ持つ。
「行くよ!」
「きゃあっ!」
愛が甲板を力強く蹴り出した。余波でアリスがくるくる回り、吹き飛んだ。
「は! 速え!」
ジャン=ジャックが目を見開く間に、愛はもう反対側の甲板柵、つまりワイバーンのいる側に到達寸前だ。すでに愛は上体をしならせ、砲弾を後ろに引いている。
「いっけえええー!」
愛は引き絞られた弓が放たれるように腕を振り抜き、砲弾を投げ放った。砲弾は未だ誰も聞いたことが無いような甲高い風切り音を発して、ワイバーンへと飛んでゆく。発射に火薬を使ったわけでも無いのに、砲弾は赤く焼けていた。はっきり見えたわけでは無いが、暗闇に引かれた赤い残像はそのせいだとしか思えない。砲弾は空気との摩擦により焼けたのだ。
「なんだあ! 主砲より速いぞ!」
ジャン=ジャックが叫んだ。大量の炸薬を用いて発射される主砲より、人間の投げた砲弾の方が圧倒的に速いのだ。それは驚きもするだろう。
「ギュウ、エエエエエ!」
砲弾がワイバーンに直撃した。首の根本辺りだ。砲弾はワイバーンの鱗を難なく粉砕し貫通した。愛にかかれば、ワイバーンの堅牢な鱗も紙屑同然だ。
「当ったりーっ!」
愛が腕を突き上げた。
「マジかよ!」
「凄いですわ、愛!」
「ワー、当タッタ、当タッター」
ジャン=ジャックが魔法を解除し、エルザ=マリアのくまさんに抱き着いた。アリスはジャン=ジャックの側頭部に張り付いた。くまさんは筒のような両腕を高く掲げて喜んだ、のか?
「ギュウ、ウオオアオ……」
ワイバーンは千切れかけた首から炎のような体液を撒き散らし、枯れ葉が舞うように闇へと落ちてゆく。
「どんなもんだい」
愛はえへんと胸を反らし、ガッツポーズを決めた。直後、
「うおおおおお!」
「凄い凄い!」
「やったあああー!」
「勝った! 勝ったぞ!」
「俺たちは生きてる! 生きてるぞー!」
艦橋の方から船内から、あちこちの甲板通用口から、飛空船のクルーが飛び出した。それらが皆、愛を目指して走っている。
「うえ? えええ? えええええー!」
何が起きたのか把握出来ず戸惑う愛を、飛空船のクルーたちが胴上げした。まるで何かに優勝したかのような有様だ。ワイバーン一匹倒しただけで、この喜びようは無いだろう。
「あ。魔法、解除しちまったんだ。やべ、制御出来ねえ」
ジャン=ジャックは再びコンダクターを使おうとしたが、あまりの興奮状態で効かないらしい。強制力の無い魔法だが、それはそれで美しい。私はジャン=ジャックの魔法が気に入った。
「ま、いいじゃありませんの」
「アリス? 珍しいな、頭の堅いお前にしては」
「失礼な。わたくしだって、人の気持ちに寄り添う時くらいありますわ」
「気持ち?」
「皆、きっと死を覚悟していたのですわ。そんな経験、今までした事ないはずですもの。この平和なアヴァロンでは、軍人だってそんな人たちばかりでしょう?」
「まあ、な。俺も含めて、だけど」
「初めての実戦、初めての勝利、初めての、命拾い……」
「そだな。無理もねえ、か」
ジャン=ジャックとアリスは、優しい目で愛と喜びを分かち合うクルーたちの姿を見守った。が。
「はー、めっちゃ喜ばれたー。アヴァロンの人たちって、意外とお祭り好きなのかなー」
愛が満面の笑顔でアリスたちの元へ戻ってきた。髪はぐちゃぐちゃで着物ははだけ、胸は丸出しになっている。これ乱暴された後だろ。
「うっほー! 控え目だけどいい形ー!」
興奮するジャン=ジャック。こいつの記憶は、後で私の魔法で消去してやらねばならない。危険な魔法だが、死んでも構わん。
「ちょちょ、ちょっと、愛! 胸! 胸! 見えてますわよ!」
アリスが慌てて愛の着物の前を引っ張った。小鳥サイズのアリスでは、着物の前を合わせるだけでも結構な労働だ。翅が忙しなく震えている。
「あ。あはは、ありがと、アリスちゃん」
「全く、もう。あなた、本当に女の子なんですの? もう少し恥じらいを知りなさいな」
いい雰囲気だ。やはり愛は、誰とでも仲良くなれる。それが異民族でも、敵国でも。そう思っていた刹那、ジャン=ジャックが余計な一言を発してしまった。
「お? いい顔になったな、愛ちゃん。この飛空船に乗った時は、泣き過ぎで死人みたいだったけど」
「え?」
「あ。馬鹿、ジャン!」
愛の表情が一瞬で強張った。一気に喜びが冷めてゆく。アリスは愛の気持ちに気がついた。
「……〜〜、う、うあああー」
「やっぱり……」
「え? え? 俺、なんか悪い事言った?」
愛が子どものように泣き出した。アリスは額を押さえ、ジャン=ジャックはおろおろと動揺している。
「ジイ、死んじゃったああああ〜、愛、寂しいよお〜、ジイに、愛の作った蒲焼きを、今度の土用丑の日に食べてもらおうって、こっそり練習してたのにい〜、あああ〜、うああああ〜」
「愛!」
アリスが愛の頭を抱き締めた。小さなアリスでは、体一杯を使っても、愛の頭の半分も抱き締められない。だが、アリスは出来るだけ手を広げ、たくさん抱き締めた。
「ありがとう、ありがとう、愛。あなたの大切な人を奪ったわたくしたちを助けてくれて、ありがとう。ごめんなさい、ごめんなさい」
「いいのー。だって、アリスちゃんが死んじゃったら嫌だもんー。愛、アリスちゃんだけは助けたかったんだもんー」
「えっ? わ、わたくし?」
「なんか、アリスちゃんとジャンが、このままだとアリスちゃんが犠牲になるみたいな話してたからー、だから、愛、頑張らなくちゃ、やらなくちゃっ、て、思ってえー、ふぐうう」
アリスは驚いた。ジャン=ジャックも意外そうな顔だ。アリスとジャン=ジャックは泣きじゃくる愛をよそに、しばらく顔を見合わせた。
「……なあ、愛ちゃん。なぜ、そんなにアリスを助けたかったんだ?」
ジャン=ジャックが恐る恐る尋ねた。その答えは明快だった。
「ふぐええ、だって、ジイが死んだ時、アリスちゃんは泣いてくれてたもんー。他のアヴァロンの人たちは、泣いてくれなかったのにい。だから、愛はアリスちゃんが大好きになったんだよう。助けたいって思ったんだよううえぐえぐ」
素直で、正直。愛の心は、真っ直ぐだ。愛は敵や味方という立場では無く、心を見る。好きな心を持つ人は、敵だろうと好きになる。だから私は迷うのだ。だから私は悩むのだ。私は、愛に好かれるべき者では無いのに、と。
「そう。見て、ましたのね……」
アリスは優しく微笑んだ。それは、心が通じた瞬間だった。
小さな小さな妖精アリスの、その小さな小さな涙の一雫も、愛の目はちゃんと見ている。
そうだ。心を、繋ぐのだ。君が大切な人を作り増やすほどに、私は――。
――私は、いつか、それを切り刻む。君が、もっともっと強くなるように――。
〜 第2章、完 〜