#4. 精霊溜り

文字数 3,041文字

「感心している場合ではありませんわよ、ジャン。至急、艦橋に戻って戦闘指揮を執って下さいな。愛、あなたも来るの。艦橋にはエルザ=マリアもいますし、一番安全ですわ」
「おう。ワイバーンのやつ、どうやらヤル気みたいだし、俺が行かないと始まらねえな」
「うえ? 愛も? 愛なら心配いらないよ。それより、お腹減っちゃった。3日も寝てたって事は、3日も食べてないってことだもん」
「ああ、はいはい。艦橋まで来れば、何かありますわ。とにかく来るの。あなたはまだ倭の国のゲストという立場なのですから、こんな所で死なれては困るのですわ」
 
 アリスは二人の髪を交互に引っ張り、早く連れて行こうと躍起だった。愛はぐーぐー鳴り出したお腹をさすりつつ、渋々アリスに従った。

「良し、行こうか愛ちゃん。俺がエスコートするからね」
「はふ? うん」

 ジャン=ジャックはニヤけて愛の手を握る。この女好きは、非常事態だろうとお構いなしのようだ。こんなのが良くメイジャー(少佐)になれたものだ。海軍で艦長をするには最低限の階級だが、誰でもなれるものではない。当然、それなりの能力が無ければなれないのだ。

「いちいち手を握るのはおやめなさいな! あと、肩まで抱く必要も無いですわ!」
「いて、いててて。やめろよ、アリス。いいだろ、別に。お前には関係ないだろうが」

 貴賓室を出てふかふかとした真紅のカーペットが敷かれた廊下に出た。舷側のカーブに沿った通路なだけに、見通しは悪い。通路に並べられた有名な絵画や彫刻が、等間隔に設置された壁のランプに照らされて、何か得体の知れない独特な雰囲気を醸し出している。

「かかか、関係ない、ですってえ! このこのこの! お馬鹿お馬鹿お馬鹿!」
「痛えって言ってんだろ。後頭部をぽかぽか叩くのはやめてくださーい」

 ワイバーンの火炎が再び飛空船を揺らした。衝撃で、ランプが不気味な明滅を繰り返す。魔導炉から魔法障壁への魔力供給が一気に増加したせいだろう。このランプも、魔導炉によって光を作り出しているのだ。

「今の発言を撤回しないとやめませんわよ! このこのこの!」
「いてて。なんだよ、関係ないもんは関係ないんだから、しょうがないだろ」
「もー、二人ともうるさいー。空きっ腹に響くからやめてー」

 これは緊急事態だ。魔導炉に過負荷が掛かっていると言う事は、魔力消費も想定外のものになっているだろう。最悪、飛空船は浮力を失い、墜落する可能性すらある。魔導炉に蓄えられた魔力がこの飛空船の生命線だが、ワイバーンの高火力は、それをゼロに出来るのだ。

「あ。アリス、甲板に出た方が近道だぜ。このタラップを上がれ」
「このこのこの! まだ叩き足りませんけど、少し中断ですわ」
「愛、お腹空いて力が出ないよー」

 この三人、今がどれほどの危機なのか、分かっているのか? もっと急げよ。なんで私だけハラハラしなければならないのだ。私はまだ力を使いたく無いのだ。ああイライラする。なんとかしろよこの野郎。

「ささ、アリスの次は愛ちゃんだよ。レディファーストだからね」
「この梯子? 昇るの? だるいー」

 愛はだらだらと梯子に足をかけて昇り出した。アリスはぷんぷんと怒りながら先に上昇して行った。……あの妖精、何をあんなに怒っているのだ?

「さて、最後は俺が。でゅふふふふ」

 ジャン=ジャックは鼻の下を伸ばして梯子に手をかけ、上を見ようとした。そこには先行する愛のスカートの中がある。狙いはこれか。危機だっつってんだろ。もう出ちゃおうかな、私。

「あー! ジャンがレディファーストだなんて、おかしいと思いましたわ! このスケベ! 変態! お姉様に言いつけてやりますわ!」
「うわわわ! こらアリス、顔にへばりつくな! 前が見えねえ! 梯子が昇れなくなるだろ!」
「こんなの、見えなくても昇れますわ! さあ、愛! わたくしがジャンの目を隠している間に、早くタラップを昇り切って下さいな!」
「何やってんの? アリスちゃんが言うなら昇るけど……ジャンは愛のパンツが見たいのかな? 変なの。ただの服なのに」

 愛は首を捻りながらタラップを昇った。倭でパンツを履いているのは愛だけなので、それが見られると恥ずかしい物であるという意識は無い。着物やスカートと同じく、ただの服だ。なので、愛は見せてと言われれば躊躇なく見せるだろう。

 ジャン=ジャックは、見たければ素直に頼むべきだった。が、そんな事はこの私が許さない。頼んだ瞬間、その者の目は永遠に光を失うだろう。

「あ。これ、扉?」
「ああ、それはハッチだよ愛ちゃん。ハンドルって言って、丸い鉄があるの分かるかな? それを回して開けるんだ。アリス、お前説明して来いよ」
「ダメですわ。ジャンの目を塞いでおかないとなりませんもの」
「あ、分かったよー。開いたー」

 愛はハンドルをくるくると回してロックを外すと、ハッチを押し開け甲板に出た。

「うわ、寒っ」

 愛は両腕で自分を抱き締め、ぶるると震えた。ここは上空3000メートル。夏なので、気温は零度前後だろう。着物一枚スカート一枚パンツ一枚の薄着では、寒くて当然だ。だが、本来ならもっと寒いはずだ。体感気温を著しく低下させる、もう一つの要因が無い。馬鹿な。これはおかしい。私はこの空の異常さに気がついた。

「くっそ、結局見えなかったじゃねえかアリス。弁償しろ弁償。損害賠償を請求するぞ俺は」
「どうぞどうぞ。パンツ覗くのを妨害されました、と法廷で証言した瞬間が楽しみですわ。ただの痴漢の自白ですもの」

 アリスとジャン=ジャックもハッチから這い出してきた。まだ下らない話をしているが、いい加減にして欲しい。本当にそれどころではないのだ。

「……ん? なんだ、この空? ……おいおい、まさか、これは!」

 私が呆れかけた直後、ジャック=ジャックは異変に気付いた。

「ギュエエエエエ!」

 ワイバーンが奇声を発して悠々と飛び回る空には、星が無かった。現在、夜の8時頃。地上にも家々の明かりがあるはずだが、それも見えない。飛空船は、まるで何も無い暗闇の中に浮いているようだ。いや、良く見れば、闇が斑になっている。どちらかと言えば、インクを混ぜた水の中にいるようだ。

 最悪だ。私はこの現象を知っている。飛空船の帆は巨大な枯れ葉のようになり、まるで風を受けていない。飛空船は完全に停止している。これではワイバーンから逃げる事も不可能だ。

「これは! 【精霊溜り】か!」

 ジャン=ジャックがその現象の名を叫んだ。ジャン=ジャックも危機的状況を把握したのだ。

 精霊溜りとは、魔力の元となるエレメンタル濃度が異常に高くなる事を言う。これに入れば、風も光も届かない。剥き出しの魔力たるエレメンタルは制御が利かず、下手をすれば暴走する。つまり、迂闊に魔法を使えば、油に引火するように爆発するのだ。

「なんて濃度、なんですの……これは、エレメンタル暴走なんて起きようものなら、飛空船の魔法障壁でも防ぎ切れないですわよ!」

 アリスの言う通りだ。これは攻撃魔法はおろか、魔法障壁のような防御魔法でも暴走するかも知れない。

(今、ここにある戦力では、打つ手が無い。私なら、簡単にどうにでも出来るのだが……)

 私は魔力回路に力を注ぐ準備に入った。

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登場人物紹介

 東条愛。15歳。倭の国の姫。魔力回路【モンスター】の保有者。

 王族専属護衛騎士団【プリンセス・シールド】に入隊した後、エルンスト教教皇マーリンより神器【クレイモア・ギガース】を賜る。

 愛の成長が、この世界を滅亡から救う鍵となる。

 木霊。4000歳以上。愛の左手薬指にはまる、白金の指輪。

 最強の魔力回路【ネクロマンサー】を持つ不死者。

 愛に残酷な試練を与えるべく寄生している。

 クラリス・ベルリオーズ。17歳。隻眼隻腕のプリンセス・シールド団長。

 仲間の仇である【黒騎士】打倒に執念を燃やす。

 魔力回路は【ファイア・スターター】。神器【アンフラム・ファルシオン】を自在に操るクラリスは、大陸最強の騎士との呼び声が高い。

 

 アリス・ベルリオーズ。?歳。自称クラリスの妹を名乗る妖精。

 魔力回路【オールマイティ】を駆使し、クラリスを補佐するプリンセス・シールド騎士団副団長。

 自らに定められた「消滅の時」を受け入れ、それまで必死に生きると決めた。

 エスメラルダ・サンターナ。16歳。ユースフロウ大陸南部地方エルサウス出身。

 クラリスにその強大な能力を見出され、プリンセス・シールドにスカウトされた。

 精神感応系魔力回路【アナライザー】の保有者。

 その能力ゆえ人々に疎まれたエスメラルダは、滅多にその力を使わない。

 エルザ=マリア・フェルンバッハ。14歳。エルグラン出身の大魔術師。

 特定危険人物に指定され、アヴァロン皇国首都エールにある城塞牢獄ダイアモンド・プリズンに収監されている。

 両親を殺害し、フェルンバッハ家を滅亡寸前にまで追い込んだ者への復讐を胸に秘め、プリンセス・シールドに加入した。本人は牢獄にあるため、くまのぬいぐるみを遠隔操作して戦う。

 ジャン=ジャック・ドラクロワ。20歳。軍務省所属。階級は少佐。正式呼称はメイジャー・ドラクロワ。魔力回路【コンダクター】により、飛空船を意のままに操る天才艦長。四大公爵の一人、デューク・エールストンと、対等に話せる友人関係にある。クラリスの許嫁だが、父親であるドラクロワ伯爵からは反対されている。

 プリンセス・アヴァロン。15歳。本名秘匿。アヴァロン皇国2000年の歴史の中で、初めて生まれた女児。王家が二児以上もうけたことはかつて無く、その為「不吉姫」などと揶揄する勢力もある。

 愛と同様、この世界を救う鍵を持つ姫だが、その力に気づく者はまだいない。

 黒騎士と呼称される謎の騎士。当時キングス・シールド騎士団を率いていたクラリスの仲間を、その圧倒的な戦闘力で惨殺した犯人。この戦いでクラリスは左腕と左目を失った。神出鬼没、正体不明、目的不明。剣も魔法も一切通用しない無敵の騎士。

 ベルトラン・ケ・デルヴロワ。23歳。キングス・シールド騎士団団長。

 人類であるかも疑わしい面貌を持つ巨漢騎士。魔力回路を持たない為、神器【ウイングド・ハルバート】のみを頼りにのし上がった剣技の実力派。

 顔も口も悪いが、正義の為、仲間の為なら血を流すことを躊躇わない熱血漢。

 ただ、少女のドレスを収集する趣味があり、性癖的には危険。

 オメガ。年齢不詳、能力不明の敵魔導師。木霊に深い恨みを持つ。

 獣人王ウィンザレオ、竜王ゲオルギウス、妖精王オベロン、魔王ディアボロと盟約を結び、世界を混沌へと導く。

 プリンセス・シールドは、この少年の掌の上で踊らされることとなる。

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