#3. 幽体、木霊
文字数 2,701文字
時は深夜だ。国王への拝謁は明日という事になり、愛は王城内の部屋へ、恭しい衛士によって案内された。これは普段、泊まりがけの公務で四公爵が使用している部屋だ。国賓とはいえ身分は騎士となる愛への配慮としては最大限のものだろう。手配はフェリシアーノによるものらしいが、なかなか細かな気遣いの出来る男だ。
エンヤは着艦すると煙のようにすぐにどこかへ消えていた。フェリシアーノは「猛獣を解き放ったような気分だ」と言って顔を青くしていたが、私も全く同感だ。
慣れない空旅の疲れからか、愛は部屋の浴室でひとっ風呂浴びると、すぐに寝てしまった。いや疲れは関係無いか。これは普段通りの愛だ。熟睡している愛を確認した私は、指輪から抜け出る事にした。
「……ふう。やはり、自分の動きたいように動けるのは、いいものです」
肉体の無い私だが、なんとなく伸びをしてしまうのは気分的なものだろう。精神と魂だけの存在に、凝りなど発生しないのだ。
「うーむ。やはり、器が無いと、どうしてもこの形になりますか」
部屋にある大きな姿見で、自分の姿を確認した。ハネる金色の髪、白い顔、灰色の修道服……どれも、私が16歳の時、肉体を捨てた時のものだ。魂が元々の姿を記憶しているからなのだろう。4000年経っても、私の姿は変わらない。多少透けているし淡い光を発してはいるが、昼ならば普通の人間と見分けはつくまい。夜だと幽霊そのものだが。
「ふふ。しかし、教皇猊下にお会いするのならば、この方が分かりやすい」
なにしろ、常であれば、必ず誰かの肉体を乗っ取って行動していた私だ。毎度違う姿で現れるのは、多少気が引けていた。だが、これならばひと目で私だと分かる。
2000年前は、私がこの【幽体】として活動するのは不可能に近かった。大気中のエレメンタル濃度が低過ぎたからだ。器を離れれば、エレメンタルの塊である私は、すぐに拡散、消滅してしまう。それほど濃度が低かった。
しかし、今は違う。第二次天界戦役後、魔法が公のものとなってからは、エレメンタルが満ちている。これは、主神アトゥムがエレメンタルの搾取を取り止めたせいだ。おかげで、私は本体のみでの行動が可能になっている。
「では、行きましょうか」
誰に言うともなくひとり言した私は、金色のドアノブに手をかけた。精神と魂だけの私であれば壁などすり抜けられるので、別にドアから出なくとも良いのだが、どうもそういうのは横着に思えてしまう。
「ここからだと、こっちから行った方が近いか」
勝手知る王城内だ。私はここに2000年間勤めて来たのだから、近道はおろか、隠し通路に至るまで、全て把握している。この城は2000年間、一度も攻められた事が無い。管理も隅々まで行き届き、非常にいい状態を保っている。
「あれを曲がれば、教皇猊下の執務室だ」
近道、とは言え、教皇猊下の座すエルンスト教本教会教皇執務室は、王城と対を成すツインタワーの片割れの、最上階に位置している。途中の連絡通路はどうしても通らねばならず、何度か登り下りは繰り返す。その為、結構な時間はかかる。逸る気持ちを抑えつつ辿り着いたその角で、私は胸の高鳴りを覚えていた。
「ふふっ。こんな事、教皇猊下には絶対に言えないですけど」
久しぶりに会うので胸がドキドキしてました、などと言おうものなら、犬猫のごとく撫で回されるに違いない。4000歳にもなって、そんな子供扱いはご遠慮したい。照れ臭いし恥ずかしいしで悶えるのはもう嫌なのだ。
「む? どちら様ですかな?」
「ん?」
角を曲がると、柱の陰からのそりと出てきた者がいた。背の高いジャン=ジャックより、さらに大きく幅もある巨大な男だ。男、か? と言うより、人間なのか?
「失礼。私の名は、ベルトラン・ケ・デルヴロワ。キングス・シールドの団長をしております」
なるほど、この男? 人間? は、確かにシールド騎士団の制服と、団長専用マントを着けている。だが。
「ほう。シールド騎士団団長は、近頃では猛獣じみた者でもなれるのですね。いや、猛獣より、魔物でしょうか。とにかく人間には見えませんが、本当に騎士なのですか?」
一応確認はとらねばならない。私はアヴァロン皇国宮宰でもあるのだ。不審者は糺さねば。
「ふはは。ずけずけと言う。俺はもちろん人間で、騎士である。そう言う貴様も人間とは思えぬが、何者か? 心して返答せよ」
ベルトランと名乗る騎士のこめかみには、太い血管が浮き出ている。つるつるの頭に飛び出た眉骨に頬、真っ二つに割れてしゃくれた顎、制服を弾け破りそうな、盛り上がった筋肉。およそ人類とは思えない風貌が、怒りの為か赤く染まり、ますます魔界の住人らしくなっていた。
さて、どう答えたものか。私が本来の名を名乗れば、それであっさりと通されそうではある。が、せっかくだ。少し、試してみるとしようか。
「ふふふふふ。お察しの通り、私は普通の人間ではありません」
「ほう? 正直なやつだ。では、何者か?」
ベルトランが身構えた。武器は持っていないようだが、どう戦う?
「そうですね。ああ、そうそう。クラリス、と、言いましたか? あの女騎士をあんな目に遭わせた者、の、仲間、とでも言えば、分かっていただけるでしょうか」
これも教皇に尋ねるつもりだった懸案の一つだが、騎士、それもキングス・シールド団長となれば、詳しい事情も知っているはず。クラリスは強かった。あれほどの騎士に、あそこまでの重傷を負わせた者は何なのか? このベルトランからの反応で、探れる事もあるはずだ。
この試みは大成功だった。
「なあああにいいい? 貴様あ、クラリスを! あんなにしたヤツの! 【黒騎士】の! 仲間! かあああああ!!」
「う、お? おお、おおおおお?」
怒りを露わにしたベルトランは、茹で上がったタコのようだ。吊り上がる目、口、全身から放たれる濃密な闘気、膨張した筋肉により張り裂けそうな制服。これは子どもが見たら夢にまで出てきて泣かされるに違いない。まんま悪魔のようだ。
「黒騎士め、次は教皇猊下か! 通さぬ! ここはこのベルトラン・ケ・デルヴロワの命に懸けて通さぬぞ!」
ベルトランが丸太のような腕を横に振り払った。