#16. 魂魄の護牢
文字数 3,665文字
しかし、マーリン? 何をしに来たのだ? 教皇にあるのは位だけ。何の実権も持っていないマーリンは、この場で何も出来ることが無いはずだ。
「どうなさいましたかな、教皇猊下。これから行われるは、正規の槍試合で御座います。正当な理由無くお止めされても、従う事は難しいと申し上げねばなりませんが」
席を立ち、観覧のデッキへと進み出たエインズワースが恭しく礼をとった。マーリンの先を取るとは、流石の対応だ。実権を持たないとはいえ、アヴァロン最高位の存在に何か言われてからでは、断るにしても神経を使う。先を制した方が効率的だと判断したのだろう。
「あれ、誰? なんか、凄い人みたい。若そうだけど、見かけ通りの歳じゃないよね、あの人?」
闘技場からマーリンを見上げた愛は、アリスをちょいと突いた。愛はマーリンの本質を、初見で感じ取っている。例え、ヴェールで顔が隠されていようとも、愛は本能で見破る。そんな事例が、愛にはこれまでもよくあった。
「あのお方は、エルンスト教教皇猊下。マーリン様ですわ、愛。このアヴァロン皇国における最上位。国王陛下よりも偉く、全国民が慕う存在なんですのよ」
「へえー。なんか、愛の国の、神皇陛下みたいだねー」
アリスは背筋を正し、胸を張ってそう答えた。アヴァロンの民は、教皇猊下の事を語る時、皆こうした誇り高い気持ちになる。
「ふえええ。ききき、教皇猊下様を直接見られるなんてえええ。ひゃああああ」
エスメラルダは震えながらジャンプして土下座した。速い! なんというスピードだ! こんな土下座、見た事が無い!
「デューク・エルノースの言う通り、私に止める力はありません。私は待って欲しいと言ったのです」
マーリンの落ち着いた、良く通る声音がアリーナに響き渡った。うむ。これも、私の進言通りだ。普段の話し方では教皇の威厳が失墜する。キャラ作りも大事な国政の一環なのだ。まあ、マーリンは嫌々やっているのだが。「偉そうだから嫌〜。こんなの、あたしじゃない〜」とか言っていたが、ガン無視して強制した。
「左様でしたか。それくらいであれば構いませぬが、して、その意義とは?」
エインズワースは跪いたまま顔を上げた。許しも得ず面を上げるとは無作法な。これはエインズワースらしくない。と、この違和感の元を、私はもっと掘り下げて調べるべきだった。私は、後にそう思う事になる。それも、これから起こる、大戦の末期に、だ。
「ええ。意義はと問われれば、それは愛姫についての事。愛姫は、いまだ叙任前の他国の姫。槍試合とはいえ、命を落とす事になるといけません。ですので私は、これを闘技場のフィールドに設置します」
「むっ! それは!」
マーリンが振り払った手から、光と共に神器が姿を現した。あれは、籠? 青銅らしき物で出来た鳥籠が、闘技場の上空で静止した。
「これは【ソウル・サブステチュート(魂魄の護牢)】という神器です。中には、八つの鳥に似た光が収められている」
エインズワースはそれを見た瞬間、確かに「ち」と小さく舌打ちした。あれが何か、分かったのか? 私も知らない神器だが?
マーリンの体内には、鍛冶神ヘパイストスの手による神器が数多収納されており、さらにはそれを自在に取り出し、使う事が出来るのだ。普通の人間では、神器を一つ宿すのが限度だ。それが通常の魂の器。それが普通の許容量。これが神であるマーリンと、我々人間との差だ。
「今、この籠の鳥たちは、愛姫たちと繋がることで、分身となりました。これからの槍試合で受けるダメージは、全てこの鳥たちが肩代わりしてくれます。そして、対応する者のダメージの限界を超えると、鳥は消滅するのです」
アリーナのそこかしこから「おおおお」と、どよめきの声が上がった。なるほど。それならば、誰も傷付かないし死んだりもしない。
「つまり、鳥を消滅させてしまった者は、そこで退場、というわけですな?」
「そうです。この槍試合の目的は、シールド騎士団に相応しいかどうかの試練であるはず。無為に怪我を負う必要も、ましてや死ぬ必要もありません。デューク・エルノースは、彼女らの本気を見定めたいという狙いがあって黒騎士もどきを用意したとの事ですが……私は、そうは思いません。黒騎士の姿をしていようとも、同じアヴァロンの騎士同士。味方なのです。優しいアリスなどには、返って本気が出せなくなる事でしょう」
「うむう……」
マーリンの理路整然とした説明に、エインズワースは沈黙した。これは認めたという事だ。流石はマーリン。エインズワースですら、簡単にやり込めてしまうとは。
「なるほど。流石は教皇猊下。素晴らしいお心遣いに、感謝の言葉もございません」
エインズワースは素直に折れた。ここで反発しても何の利も無いのは、私から見ても明白だ。戦略が頓挫したと判断すれば、すぐさま撤退か。その切り換えの速度、恐ろしいものがある。
「教皇猊下が、わたくしを、ご存知だなんて……わたくしを、優しい、だなんて……」
アリスは呼吸を早めてそうひとり言した。上気した顔は、眩しいくらいきらきらと輝いている。余程嬉しかったのだろう。
「だ、そうだ。どう思う?」
「つまらんな」
「槍試合の緊張感が失われたのではないか?」
「まあな。だが、教皇猊下の仰せだ。やむを得まい」
黒騎士たちは不服そうだ。軍部の騎士たちは、誇り高さや騎士としての高潔さなどに欠けている傾向がある。当然だ。騎士と呼ばれてはいるが、彼らの本質は兵士であり軍人だ。敵を制圧する事を至上の任務と捉えており、手段などは二の次なのだ。勝つ事こそが、彼らの誇り。名を惜しむ事は無い。
そして今、私も黒騎士たち寄りの思いを抱えていた。あんな神器を出されては、私が手を出す余地が無い。今回は、私もこっそり魔力を振るい、愛たちを助けるつもりだったのに。ああ、つまらん。
「良し、行きますわよ、あなたたたち! 誰も死なない、殺せない。これならば、安心して全力を出せますわ!」
アリスがくるくると回りながら上昇し、きらきらと鱗粉を飛ばした。やはりアリスは、軍部の騎士とはいえ、味方である相手に魔力を向けるのが嫌だったのだ。そして、これが開戦の合図となった。
「ブラボー、正面から切り込め。デルタ、チャーリーは左から側面援護。まずはアリスを仕留める。その間、俺は右から他を食い止める」
「了解」
「了解」
「了解」
黒騎士たちが駆け出した。先頭の一人が剣を抜き、アリスを目指す。他は左右に散開した。
念話で指示した? これが軍の戦い方か。各人の呼び名は、コードネーム? これは、旧世界の戦い方だ! 自然にこうなったとは思えない。なぜだ? どこから、こんな知識を得たのだ!?
「来たよ、アリスちゃん!」
愛はアリスの横で刀を構えた。待ち受けるつもりだ。愛はアリスの左手側。指示を出した黒騎士側だ。
「エルザ=マリア! 愛を守って下さいな!」
「ヘーイ」
エルザ=マリアがだるそうに愛へと向かった。
「ふええええ!」
エスメラルダは頭を抱えて蹲る。これは戦力に数えてはいけない子だ。エインズワースの言う通りではないのか?
しかし、なるほど。指示を出した黒騎士は、これを読んでいたのだ。これで第一目標のアリスに対しては2対1。エスメラルダを無視するのなら、3対1だ。敵は数的有利を作り出せた。自身は愛とエルザ=マリアに数的不利となるが、アリスを仕留めるまで守りに徹し、足止めさえ出来ればいいという戦略か。つまり、こいつが4人中最強という事だ。
「愛には、一人? 舐められてるのかな、愛」
愛は敵を見定めた。少しかちんときているようだ。愛の内に魔力が迸り、魔力回路が発動する。おお? これは凄い。今までより、魔力が効率的に流れている。ジイの死により、魔力回路が強化された結果だろう。愛は、強くなっている!
「解析開始。敵、魔力回路特定。属性、水。【ガバナンス・ミスト】。ランクS。注意、注意」
愛のフォローに回ったエルザ=マリアは、黒曜石の瞳を怪しく光らせてそう告げた。
エルザ=マリア、解析魔法も可能か。エルザ=マリアの魔力回路は、アリスと同じく【オールマイティ】ばりに万能らしい。ぬいぐるみの中、複数の魔力回路が複雑に絡み合っているので、私にも完全な分析は出来ていないが、発揮する能力としては同じのようだ。
それにしても、相手はガバナンス・ミストの使い手か。
……愛とは、相性が悪そうだ……。