#19. 最期の願い
文字数 3,192文字
「やめて! エンヤ、そんな事したら、愛はエンヤを嫌いになるよ! それでもいいのっ!」
エンヤは応えなかったが、愛は叫び続ける。理屈など愛には通じない。愛は人が死ぬのを極度に嫌う。ましてや殺すなどとても出来ない。二年ほど前から戦にはしょっちゅう参加している愛だが、実はまだ敵を斬った事が無いのだ。その馬鹿力で敵軍近くに岩でも放り投げれば、いつもそれで終わっていたのだから。
しかし、今回、愛は故意では無かったとはいえ、飛空船のクルーを殺した。それも、まだ実習生でしかない、いわば非戦闘員を殺してしまったのだ。これが、まだ兵士であったならば自己を納得させる事も出来ただろうが、愛にとって、これはとても堪えられるミスでは無い。
いいぞ、いいぞ。愛の精神への負荷が極度に高まっている。苦しみ、悲しみ、絶望。それらを乗り越えた先に、魔力回路の成長がある。魂、あるいは肉体に刻まれる魔力回路は、精神の影響を多大に受ける。私が目指すのは、究極の魔力回路の育成だ。
それは、魔力回路【デサイダ】。これが唯一、神殺しを成せる力なのだ。救世主エルンスト、そしてアヴァロン皇国初代国王、オズワルド・アヴァロンも生成した魔力回路が、この世界を滅亡から救うのだ。だから愛。その生まれ変わりたるキミにも、同じ苦しみと悲しみを与えなければならない。ふふふふふ。ふふふふふふふふふふふふ。
「しばし待てい、若武者ども! エンヤ、おぬしも振り上げた刀を一旦下ろせい!」
「むっ、ジイ?」
「ひょっ?」
「ジイ?」
ジイがとんでもない大声を張り上げ、手を広げた。これは将軍の下知に逆らう行為だ。将軍、エンヤ、愛は、常に忠臣として仕えて来たジイの行為に驚いていた。
「なんだ、ジイ? 何を言おうが取り止めはせぬぞ」
「上等じゃ! じゃが、あたら若い侍を三人も死の淵へ追いやるとは、とんでもない愚行じゃぞ!」
「なにい?」
他者の腹を底から揺する将軍の怒声にも、ジイは引かなかった。普段は思慮深さが仇となり、迷い過ぎて決断の遅れるジイらしくない姿だ。
「なにい、ではござらん! そもそも、手斧を投げ渡せと命じたは、このジイじゃ! 首ならば、わしのを取れば良いじゃろう! どうせ老い先短い年寄りじゃ! これより子を成し倭の発展を支える若者を身代わりになどすれば、子々孫々まで笑い話の種にされるわ! 倭の為、若者の為、さらにはこのジイの為! わしの首を捧げさせてもらいたい!」
そこまで一気にまくし立てると、ジイは返事も聞かずにどっかと座り、皮のたるんだ腹を出した。
「な、ならぬ!」
将軍は却下したが、それだけだ。ジイの意を受け容れられない理由は説明出来なかった。将軍にとって、ジイは父親同然の存在だ。無くしたくない存在なのだ。
「ならぬ理由がどこにあるのじゃ! 説明して見せよ、将軍!」
「ぐ、ぐぬぬ」
やはり将軍は答えに窮した。将軍はただジイを死なせたくないだけだ。
「おい、アヴァロンの眼鏡男! 平侍の首三つと、家老であるわしの首! どちらがより使えるか! 老いぼれの首では不服があるかっ!」
「いいえ。こちらとしては、御家老様の首であれば、なんの不足もありません。十分過ぎるくらいです」
フェリシアーノは正直に答えた。暗に家老の首を差し出すまででは無いと示しているのは、将軍の気持ちを察したからなのだろう。意外と甘い男だ。私はフェリシアーノに失望した。
「嫌だ! 愛はジイが死んだら生きていけないよ! ジイが死ぬなら愛も死ぬ!」
将軍は愛の暴論を咎めなかった。実際にそんな事はさせないが、将軍も愛の言葉に淡い期待を託したのだ。
これは思わぬ展開だ。愛の精神負荷は、さらに大きく膨らんだ。胸が張り裂けそうになる感覚を私も共有しているが、これならかなりの効果が見込めるだろう。ふふ。ふふふふふ。
「勿体無いお言葉。ジイはそのお気持ちだけで幸せに御座いまする。ああ、この老いぼれも、ようやくお役に立てまする」
「ジイッ……!」
いつの間にか、街道沿いの倭の民たちも、愛や将軍やジイを取り囲み、遠巻きにやり取りを見守っていた。民たちの中からは、すすり泣く声も無数に聞こえる。
国のトップとは、どれほど善政を施行しようが、批判を免れないものだ。しかし、ここは違う。倭の民は、自分たちのリーダーを誇りに思い、また常に大事に思っている。将軍家や皇王に、汗水垂らして仕えることを至上の喜びとしている。だからこれほど泣けるのだ。家族の事のように悲しむのだ。
「将軍。長い間、お世話になり申した。お先にご無礼致しまする」
ジイは刀の切っ先を腹に押し当てた。切れ味鋭い倭の刀は、柔らかい腹を裂くのに力など不要だ。
「……うむ。大義であった」
ぎりりと将軍の歯が鳴った。
「……ダメ。やめて、ジイ。ねえ、お願い。愛の一生のお願いだから。もう、愛は我儘言わないからっ……」
愛はまだ諦めない。将軍の腕の中、必死に足掻く。しかし、魔力回路が発動しない。今の愛は、ただの無力な女の子に過ぎない。
「すまぬな、エンヤ。よろしく頼むぞい」
「……御意……」
エンヤがジイの後ろに立って刀を振りかぶった。直後、ジイは「ふん!」と掛け声して腹に刀を突き立てた。
「ぐっ、ふっ、……、ふふ、姫様。ジイの願いは、一つだけで御座いまする。姫様、どうか、幸せになりなされ。世界で一番、幸せな女の子になりなされ。これがジイの、最期の願いに御座いまする」
ジイは、笑った。とても腹に刃を突き立てているとは思えない笑顔だ。それは胸に染み入るような、優しい優しい笑顔だった。その笑顔を映す愛の瞳から、涙が一気に溢れ出た。
「さらばじゃ、ジイ!」
エンヤが刀を振り下ろした。
「ジイーーーーーーッ!!」
ジイの首が、ごろりと地面に転がった。胴は首から血を噴水のようにしばらく飛ばすと、やがて前のめりに倒れた。
「放してえっ!」
「うぐっ」
愛は柔らかい体を活かし、背後で羽交い締めする将軍の顔面に、つま先を叩き込んだ。不意を突かれた将軍の力が一瞬緩み、愛はするりと羽交い締めから抜け出した。そしてジイの方へと駆け出そうとしたが、慌て過ぎて転び、そのまま動物のように四つん這いで進んだ。
こんなにはしたない姫など、私は初めて目にする。まるきり品性の欠片も無い、無様な姿だ。私は呆れた。
「ジイッ! ジイーッ! うわあ、うわああああ、うわああああああーーーーん!!」
愛はジイの血だらけの首を抱え、愛おしそうに頬ずりし、泣いた。いつまでも、いつまでも泣いていた。
エンヤの皺も、川のようになっていた。若い侍たちは号泣していた。倭の民も皆、泣いていた。レオパルディは胸に手を当て、瞑目していた。フェリシアーノも同様に敬意を表していた。将軍は歯を食いしばって堪えていた。
少し離れた所から事の次第を見守っていたアリスの側に、トコトコとエルザ=マリアのくまさんが歩み寄って来ていた。
「……? アリス、泣イテル?」
「な、泣いてなんかいませんわ」
アリスはくまさんの頭の上に、ひらりと降り立った。
「……ねえ、エルザ=マリア」
「ナーニ?」
「わたくしも、消えたらこんなに泣いてもらえるのかしら? いつか、わたくしが消え去っても……」
「ナーニ? 聞コエナーイ」
アリスのか細い呟きは、夏空の下の泣き声に掻き消された。蝉の合唱すらも打ち消す、悲しみの空の下に――。
〜 第一章、完 〜