#1. アイリーン①
文字数 3,301文字
「キミ。女王陛下に取り次ぎをしてくれたまえ」
裏門で眠そうにしていた番兵に、私はそう呼び掛けた。
「ああん? 誰だ、こんな時間に……、って、ゼ、ゼゼゼ、ゼルタ大司教様! これは大変失礼致しました! すぐにお取り次ぎ致しますので、しばしお待ちを!」
私を見止めた番兵は、血相を変えて監視用の格子窓をがんがん叩いた。そこは番兵の詰所だ。
大司教を示す聖帽と法衣を纏い、長く白い髭を蓄えたこの頃の私は、ひと目で高位の僧侶だと分かってもらえた。真の姿は16歳の小僧なので、これには何かと重宝した記憶がある。
「お待たせ致しました。確認が取れましたので、どうぞこちらへ」
「ああ、どうもありがとう」
老体を住処としていると、心まで老けてゆく。私は素直にお礼を述べると、のんびり裏門を潜った。覚醒前のオズワルド・アヴァロンが、魔力を抑える為に年寄りじみた言葉遣いをしていたが、なるほど効果が実感出来る。
彼が逝ったのは、もう3年も前になる、か。早いものだ。あの安らかな死に顔は、死を全く怖れていなかった。本当に、最期まで強い男だった。
「女王陛下。エルンスト教大司教、二十二神官の一、ゼルタにございます」
などと想いを馳せながら王城の長い階段を登るうち、気づけば女王陛下の寝室前に着いていた。人払いをしたのだろう、寝室前には警護の者の姿は無かった。私の老いた体を、不吉な予感が貫いた。
「ご苦労。入るがよい」
女王陛下自身による澄み切った声での応答は、昔とほぼ変わりが無い。思いの外元気そうなその声に、私の予感は杞憂に過ぎなかったのだと安堵した。
「では、失礼」
私は自らドアを開け、入り口で手を胸に当て跪いた。警護もなければドアマンもいないのだから、全て自分でやるより無い。そもそも、夜分遅く女王の閨に入室するなど無礼極まる。
カーテンの開け放たれた広い寝室には、微かな月光だけに照らされた大きな天蓋ベッドが一つ、ぽつんと置かれている。オズワルド亡き後はずっと、女王陛下は一人、ここで眠りについていたのだ。毎夜、そのベッドで何を思い、眠るのか。想像して、胸に何かが突き刺さった。
「良く来てくれたな、ゼルタ。それはいいが、ここには誰もおらんのだから、わらわに下らん礼などとるでない。すぐに顔を上げるのだ、ゼルタ」
「礼などいらんとは滅相もないお言葉。お立場を弁えますように」
「思ってもおらん事を言うでない。にやにやしおって、相変わらず人を小馬鹿にしておるな」
天蓋ベッドのヘッドボードの枕にもたれて上半身を起こしている女王陛下は、そう言いつつも笑顔を作った。灯を落とした室内では良く見えないが、それは空気で伝わった。
それにしても、ベッドから出ていないとは。そんな姿を私に見せてでも呼び寄せた、という事は……いや、考えまい。
「それにしても老けたな、ゼルタ。なんだ、その長い髭は。偉そうになったものよな」
「偉そう、と言うより、本当に偉いのです。私はエルンスト教の位階二位、アヴァロン政府に於いては宮宰の身なのですから」
「知っておるわ、それくらい。だから、と言うわけでもないが、そんなおぬしに頼みがあって呼んだのだ」
「頼み、ですか? 私に?」
女王陛下の毒舌が、急に弱々しく、寂しげな口調となった。瞬間、私は覚悟した。
「うむ。おぬしに、わらわの葬儀を一任したい」
「お断りです」
私は即座に辞退した。
「ははは……、まあ、そう来るだろうとは思っていたのだ。が、聞いてはくれぬか、ゼルタよ。わらわが、こうして話せる時間は、もう、そんなに、長く、無い、のだ……」
女王陛下は、少し前より昏睡状態が続いていた。意識を取り戻す時間が、だんだん短くなっているとの報告は、私とて受けている。
「弱気な事を。キミらしくもないですね」
「お。昔の話し方に戻ったな、ゼルタ。ああ、なんと懐かしい。おぬしは、わらわが女王となってからというもの、いつも形式張った言葉遣いばかりして、わらわは、わらわは」
「やめて下さい、そういうのは。大体、私はキミに懐かしがられるような事をしていません。表面上は敵として、嫌がらせばかりして来たでしょう、私は」
「はははは。確かにな」
くそっ。何なんだ、これは。なぜこんなに腹が立つのだ。これがあの高飛車で小生意気で上から目線全開だった全能の女神か? いや、【全能の女神シリーズ】の1体か? プライドばかり高い意地っ張りで、泣き虫で自己中でアホでバカで何も考えていなくて、
「大体、なぜ私がキミの死後の面倒など見なければならないのですか? キミ、女王なんですよ? 国葬になるのは確実ですし、そうなると、本当に面倒くさいんですからね」
ただ、明るくて、楽しそうで、いつも笑っていて、自由に生きていたのが、眩しかった。
「すまんな。しかし、オズワルドの時も派手にやってくれるなと言われたので出来るだけ質素な葬儀にしたはずが、気づけば国民総出で、各地で勝手に弔われたからな。全員が喪に服し、本当に悲しまれ、惜しまれた……あの時は、涙が止まらなかったのだ……」
だが、その笑顔も泣き顔も、全てはいつもオズワルドくんに向けられていた。キミは、知らない。それが、私にとって、どれほど羨ましいものであったかを。そして、これからも、キミが知る事は無い。
「……だから。だから、魔力回路をマーリンに返還などしなければ……」
「うん? なんだ、ゼルタ?」
「……っ、魔力回路を、マーリンに返さなければ! キミは! 今でも! オズワルドくんと一緒に、幸せに暮らしていたはずなのに!」
「!!」
突然の私の大声に、女王陛下は体をびくりと震わせた。
「アイリーンくん! キミは、死ななくても良かった! オズワルドくんも、死ななくて良かったのに!」
ダメだ。言ってはいけない。ずっと、ずっと堪えてきた言葉だ。なのに、ここで言っては意味が無くなる! なのに!
「……はは。泣くでないよ、ゼルタ」
アイリーンは困ったように小さく笑う。
「泣いている? 私が?」
言われて頬を触ると、指が濡れた。何という事だ。この私が、涙を流すとは!
「あれは、オズワルドと話し合った結果なのだ。おぬしも知っての通り、わらわとオズワルドは、人とは呼べぬ生き方をしてきたのだ。分かってもらえないかも知れぬが、わらわやオズワルドにとって、こうして普通に死ねるのは、本当に幸せなことなのだ……」
知っている。分かっている。そんな事は、もう100年も考えて自分を納得させてきた。しかし、じゃあ、残される者はどうなるんだ? 私は? キミたちがいなくなった世界で、ずっと生きていかなければならない私はどうなるんだ?
「すまんな、ゼルタ……」
「謝らないで、下さい」
アイリーンの謝罪に、全てが込められている気がした。アイリーンは、多分、私の気持ちを知っている。この時初めて私はそれを確信した。
――それだけで、全てが報われた気がした。
「とにかく、キミが死んだらどうせ国民が勝手に葬儀を行いますよ。私が指揮するまでもありません。だから、安心して下さい」
「そうだろうか? わらわに、そんな資格や価値があっただろうか?」
「さあ? ですが、もしそうならなかったとしても、私がちゃあんと弔って差し上げますよ」
私はからかうようにウィンクした。今際の際にこんなじじいのウィンクを見せられては、やすやすと死ねまい。
私は、アイリーンに死んで欲しくなかった。生きていて欲しかった。例え、その身が年老い、朽ち果てていたとしても――。