#3. 飛竜襲来
文字数 2,502文字
「たまたまですわよ。それとも、悪戯しようとしたジャンの悪意に防衛本能が働いたのですかしら? もしそうであれば、報奨は手錠になりますわね。これが欲しいかしら、ジャン?」
「うぐ。そ、そうだな。たまたま。たまたまだな。ははははは」
「えっ? 愛、3日も寝てたの?」
そう。愛はあまりの精神的ダメージからか、3日も寝込む事になった。15年愛を見てきたが、こんな事は初めてだ。ジイの存在がどれほど大きかったのかが窺える。超回復の能力は、肉体は修復出来ても、精神は治癒出来ないのだ。
「ああ、そうだぜ。全くよー、艦内は倭の姫が美少女だって噂でもちきりだったから、俺も一刻も早く見たかったんだがな。後任の艦長の面倒見てたらこんなに遅くなっちまって」
「そう! その新艦長がお呼びですわよ、ジャン! 大変な事態が起こりそうなんですの!」
「んだよ? まーた風の読み方間違えたのか? ちゃんと方位は見てたけど」
ジャンは丸窓から夜空を覗き、星を探した。船の指針を確認するのに星を見るのは、洋上船と同じだ。
「違いますわ! ほら、ジャン! そこからも見えて来るはず!」
「見えて、来る? 何が?」
ここは空だ。見えるものなど、鳥か雲か星か地上しか無い。雲には慌てなければならなくなるが、その他にこれほどアリスが慌てる理由があるのだろうか?
「ん? んん? なんだ、ありゃ?」
ジャンが何かに気がついた。私もそれに気がついた。夜空をゆっくりと旋回する、巨大な黒い影がある。どんなに大きな鳥でも、あんなサイズのものはいない。つまり、あれは。
「見えましたか? あれは、あれは!」
「あっ……、マジ、かよっ……!」
ジャンは窓から後退って慄いた。それは絶対に出会ってはいけないものだったからだ。出会えば悲惨な末路が待つものだからだ。大昔から、人はあれに散々苦汁を飲まされてきた。空にあるあれに、人が有効な対策を打てないからだ。人はただやられるのみだ。その名は。
「ワイバーン……!」
竜族飛竜種の一つ、その中でも最強の種である、ワイバーンだ。蝙蝠のような翼を広げた全幅、鰐のごとき銅と蛇に似た首、そして尾までの全長は、ともに30メートルくらいはある。鉄をも溶かす火炎を吐き、砲弾すら弾き返す強靭な鱗を持つ空飛ぶ怪物。それが、ワイバーンだ。
「新艦長のグレッグ様は、まだ操艦で手一杯! とてもじゃありませんが、砲撃指揮まで出来ませんのよ! あのワイバーンがこの飛空船を攻撃して来るかは不明ですけど、反撃と防衛の準備はしておかなければなりませんわ!」
「それでお前が俺を探しに来たのか。なんだよあのグレッグっておっさん。洋上艦ではベテランなのに……って、あ。そういや俺、この船の戦闘能力とか何も説明して無かったわ。どうせ戦う事なんかねーしとか思って。ははははは」
「テキトーだ、この人!」
朗らかに笑うジャン=ジャックに、愛が突っ込みを入れた。倭にはあんまりいないタイプだからか。倭人はクソがつくほど真面目だと、私は常々思っていたが、そんな中で育った愛の目には、この男がとんでもない者に映るだろう。アヴァロンには結構いるが、愛は対応出来るだろうか。……て、良く考えたら愛も倭の中ではかなりテキトーな方だった。大丈夫だ。
「笑ってる場合ではありませんわよ! わたくしもお姉様があの状態では、戦力になりません! ここは王都から遠すぎですから、エルザ=マリアの魔力出力も、あんまりあてに出来ませんわよ!」
アリスの焦る理由を探し、私は船内に魔力探査をかけた。ああ、なるほど。ワイバーンを相手に戦える魔法騎士はいないようだ。クラリスは重傷、アリスはそのせいでなぜか動けず、エルザ=マリアも何らかの理由であまり役に立たないらしい。飛空船を運用するには随分と不安な戦力で来たものだ。これにも何か理由がなければおかしいが……? アヴァロンは今、一体どうなっているのだろうか?
「うるせえなあ、アリス。耳元でギャーギャー言うなって。なあに、平気だろ。ワイバーンってのは、あれでなかなか知性があるって話だぜ。きっと飛空船が珍しくて見てるだけさ。あいつに飛空船を攻撃する理由なんて無いって、多分」
「多分って……。わたくしも、そうは思いましたけれど。それでも、何か嫌な予感がするんですのよ」
「ははははは。心配性だな、アリスは。良し良し、ほれ、俺が頭を撫でてやるから安心しろ」
「あ。……え、ええ」
「あれ? アリスちゃん、愛から撫でられるのは嫌がるのにい」
ジャン=ジャックに素直に頭を差し出し、照れ臭そうに笑うアリスが、愛には釈然としない。愛は凄く悔しそうだ。
直後、眩い閃光が船室内を真っ赤に染めた。
「きゃあああああ!」
「な、なんだとお!」
「わあ! 何これえ!」
それはワイバーンが口から放った火炎だった。火炎は舷側を赤い舌のごとく舐め回し、飛空船を大きく傾斜させた。さらに飛空船は押し流され、船首の向きを無理矢理変えさせられている。自分の10倍は大きな相手を、火炎のひと吐きで飛ばしてしまった。このワイバーン、よりにもよって、かなり強い個体のようだ。
これはピンチだ。ワイバーンには砲弾も通用しない。魔法騎士勢が戦えないとなると、ワイバーンに勝つ術は無い。やれやれ、仕方が無い。いよいよとなれば、私が出るしかないだろう。
「ひゃー。飛空船の自動防御障壁があったから良かったものの、普通なら今の一発で真っ黒になってるとこだな。へへへ。さすがはワイバーン、強えなあ」
私がした決意が不要とでも言うかのように、ジャン=ジャックは不敵に笑う。ほう。諦めたようにも見えない。この男には、あのワイバーンに勝てる策があるのだろうか。これはなかなか面白い。
私はジャン=ジャックに興味を抱いた。