#1. 変態と添い寝

文字数 1,696文字

 びゅうびゅうと風鳴りが聞こえる。ここは上空3000メートル、といったところか。巨大な帆一杯に風を受けた飛空船は、星の瞬く漆黒の空を、粛々と走っている。

「すう……すう……」

 耳を澄ませば時折、愛の寝息も聞こえてくる。泣き疲れたのだろう。夢さえ無い眠りの中に、愛は深く深く沈みこんでいた。

 ここは、アヴァロン皇国国王専用飛空船の客室だ。高価な調度品の揃えられた、貴賓用の船室をあてがわれた愛は、今、豪奢な天蓋付きの柔らかいベッドにいる。愛は今、アヴァロン皇国行きの船の中なのだ。

 いつまでもジイの首を抱いて泣き叫んでいた愛は、将軍に張り倒され、エンヤに血だらけとなった体を洗われ、いつもの着物を着せられ、姫用の服や小道具の納められた箱を押し付けられ、無理矢理に飛空船に乗せられていた。いつもの愛であれば、自慢の怪力で目一杯抵抗していたところだが、そんな気力は残っていなかったのか、されるがままとなり、ここにこうしているわけだ。

 私の計画としては、ほぼ予定通りだ。愛にはアヴァロンに来てもらうつもりでいた。どうしても会わせたい人物があるからだ。それは、エルンスト教の最高位にある教皇猊下である。彼女には、なんとしても会ってもらわねばならない。

「にっひひひひ。かあわゆいなあー、愛ちゃんはー。にゅふふふふ」

 ところで、この無粋な台詞を吐いたのは誰なのか? 私も知らない男なのだが、30分ほど前、この部屋に勝手に入り、おまけに愛の眠るベッドにも迷わず潜り込み、にやけた顔で添い寝を始めると、たまにこうして情欲的な言葉を呟いている。

 私が分析するに、この男、おそらく変態である。ただ、この男の着用しているジャケットは、船務員の中でも、艦長などの限られた上級職が着る物だ。袖には4本のゴールドラインがある。これは船長、あるいは艦長である事を示している。が、私はそれが何かの間違いだとしか思えない。なぜならば、私が今までに見てきた艦長に、こんな軽薄な輩はいなかったからだ。これも正常性バイアスと言うのだろうか? 認めたくないものである。

「はー、どうしようかなー。ぐっすり眠ってるなー。なでなでくらいなら、しても平気かなー? 平気だよねー?」

 変態の手が怪しい動きをし始めた。ジャケットのボタンは上二つ留められていないし、後ろで一つに纏められた長い黒髪はぼさぼさだ。顎には無精髭が蔓延り、口からは涎が垂れている。どう見ても変態であり、変質者だ。結論、私はこの男の手がどう動くのか注視し、必要とあらば殺すしか無いだろう。あと、私的に、なでなでは平気では無い。やったら殺す。

 とは言え、ここで騒ぎを起こすのは宜しくない。ここは、愛自身の手でなんとかしてもらうとしよう。

(愛。愛、起きて下さい、愛)

 私は思念で愛に呼び掛けた。思念は脳に直接作用するので、聞き逃しも気付かない事も絶対に無い。しかし、愛は一度眠ると滅多な事では目覚めない。地震でも雷でも起きた事が無いので、若干不安ではある。起きるかな? 起きるだろ?

「……にゃ、むにゃ、むー、なーに、木霊ちゃん……愛、まだ眠いよう……」

 お。気付いた。思念レベル最大だからな。常人であれば脳が破壊される出力なので、起きない方がどうかしている。

「んー、ふふふ? 木霊ちゃんって誰かなー? ここには、だあれもいないよおー?」

 変質者は愛の寝言と思ったのか、普通に話しかけている。いい度胸をした変質者だ。寝込みに悪戯しようとしている少女が起きそうになれば、普通は逃げると思うのだが。この男は危険だ。やはり殺さなければならない。それも、とびきり残酷に。生まれて来た事を後悔するほどに。

「いるよおー、木霊ちゃん、またそんな意味の分かんないこと言ってえ……」

 愛はむにゃむにゃと寝返りをうち、変質者の男の袖をつまんだ。

「ひゃっふうー! かあわいいー! こういうの、俺、大好きなんだよねえー!」

 男は感極まったのか、尖らせた唇を愛の頬へと近寄せた。

 良し、殺す。私は魔力解放の準備を始めた。
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登場人物紹介

 東条愛。15歳。倭の国の姫。魔力回路【モンスター】の保有者。

 王族専属護衛騎士団【プリンセス・シールド】に入隊した後、エルンスト教教皇マーリンより神器【クレイモア・ギガース】を賜る。

 愛の成長が、この世界を滅亡から救う鍵となる。

 木霊。4000歳以上。愛の左手薬指にはまる、白金の指輪。

 最強の魔力回路【ネクロマンサー】を持つ不死者。

 愛に残酷な試練を与えるべく寄生している。

 クラリス・ベルリオーズ。17歳。隻眼隻腕のプリンセス・シールド団長。

 仲間の仇である【黒騎士】打倒に執念を燃やす。

 魔力回路は【ファイア・スターター】。神器【アンフラム・ファルシオン】を自在に操るクラリスは、大陸最強の騎士との呼び声が高い。

 

 アリス・ベルリオーズ。?歳。自称クラリスの妹を名乗る妖精。

 魔力回路【オールマイティ】を駆使し、クラリスを補佐するプリンセス・シールド騎士団副団長。

 自らに定められた「消滅の時」を受け入れ、それまで必死に生きると決めた。

 エスメラルダ・サンターナ。16歳。ユースフロウ大陸南部地方エルサウス出身。

 クラリスにその強大な能力を見出され、プリンセス・シールドにスカウトされた。

 精神感応系魔力回路【アナライザー】の保有者。

 その能力ゆえ人々に疎まれたエスメラルダは、滅多にその力を使わない。

 エルザ=マリア・フェルンバッハ。14歳。エルグラン出身の大魔術師。

 特定危険人物に指定され、アヴァロン皇国首都エールにある城塞牢獄ダイアモンド・プリズンに収監されている。

 両親を殺害し、フェルンバッハ家を滅亡寸前にまで追い込んだ者への復讐を胸に秘め、プリンセス・シールドに加入した。本人は牢獄にあるため、くまのぬいぐるみを遠隔操作して戦う。

 ジャン=ジャック・ドラクロワ。20歳。軍務省所属。階級は少佐。正式呼称はメイジャー・ドラクロワ。魔力回路【コンダクター】により、飛空船を意のままに操る天才艦長。四大公爵の一人、デューク・エールストンと、対等に話せる友人関係にある。クラリスの許嫁だが、父親であるドラクロワ伯爵からは反対されている。

 プリンセス・アヴァロン。15歳。本名秘匿。アヴァロン皇国2000年の歴史の中で、初めて生まれた女児。王家が二児以上もうけたことはかつて無く、その為「不吉姫」などと揶揄する勢力もある。

 愛と同様、この世界を救う鍵を持つ姫だが、その力に気づく者はまだいない。

 黒騎士と呼称される謎の騎士。当時キングス・シールド騎士団を率いていたクラリスの仲間を、その圧倒的な戦闘力で惨殺した犯人。この戦いでクラリスは左腕と左目を失った。神出鬼没、正体不明、目的不明。剣も魔法も一切通用しない無敵の騎士。

 ベルトラン・ケ・デルヴロワ。23歳。キングス・シールド騎士団団長。

 人類であるかも疑わしい面貌を持つ巨漢騎士。魔力回路を持たない為、神器【ウイングド・ハルバート】のみを頼りにのし上がった剣技の実力派。

 顔も口も悪いが、正義の為、仲間の為なら血を流すことを躊躇わない熱血漢。

 ただ、少女のドレスを収集する趣味があり、性癖的には危険。

 オメガ。年齢不詳、能力不明の敵魔導師。木霊に深い恨みを持つ。

 獣人王ウィンザレオ、竜王ゲオルギウス、妖精王オベロン、魔王ディアボロと盟約を結び、世界を混沌へと導く。

 プリンセス・シールドは、この少年の掌の上で踊らされることとなる。

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