#1. 変態と添い寝
文字数 1,696文字
「すう……すう……」
耳を澄ませば時折、愛の寝息も聞こえてくる。泣き疲れたのだろう。夢さえ無い眠りの中に、愛は深く深く沈みこんでいた。
ここは、アヴァロン皇国国王専用飛空船の客室だ。高価な調度品の揃えられた、貴賓用の船室をあてがわれた愛は、今、豪奢な天蓋付きの柔らかいベッドにいる。愛は今、アヴァロン皇国行きの船の中なのだ。
いつまでもジイの首を抱いて泣き叫んでいた愛は、将軍に張り倒され、エンヤに血だらけとなった体を洗われ、いつもの着物を着せられ、姫用の服や小道具の納められた箱を押し付けられ、無理矢理に飛空船に乗せられていた。いつもの愛であれば、自慢の怪力で目一杯抵抗していたところだが、そんな気力は残っていなかったのか、されるがままとなり、ここにこうしているわけだ。
私の計画としては、ほぼ予定通りだ。愛にはアヴァロンに来てもらうつもりでいた。どうしても会わせたい人物があるからだ。それは、エルンスト教の最高位にある教皇猊下である。彼女には、なんとしても会ってもらわねばならない。
「にっひひひひ。かあわゆいなあー、愛ちゃんはー。にゅふふふふ」
ところで、この無粋な台詞を吐いたのは誰なのか? 私も知らない男なのだが、30分ほど前、この部屋に勝手に入り、おまけに愛の眠るベッドにも迷わず潜り込み、にやけた顔で添い寝を始めると、たまにこうして情欲的な言葉を呟いている。
私が分析するに、この男、おそらく変態である。ただ、この男の着用しているジャケットは、船務員の中でも、艦長などの限られた上級職が着る物だ。袖には4本のゴールドラインがある。これは船長、あるいは艦長である事を示している。が、私はそれが何かの間違いだとしか思えない。なぜならば、私が今までに見てきた艦長に、こんな軽薄な輩はいなかったからだ。これも正常性バイアスと言うのだろうか? 認めたくないものである。
「はー、どうしようかなー。ぐっすり眠ってるなー。なでなでくらいなら、しても平気かなー? 平気だよねー?」
変態の手が怪しい動きをし始めた。ジャケットのボタンは上二つ留められていないし、後ろで一つに纏められた長い黒髪はぼさぼさだ。顎には無精髭が蔓延り、口からは涎が垂れている。どう見ても変態であり、変質者だ。結論、私はこの男の手がどう動くのか注視し、必要とあらば殺すしか無いだろう。あと、私的に、なでなでは平気では無い。やったら殺す。
とは言え、ここで騒ぎを起こすのは宜しくない。ここは、愛自身の手でなんとかしてもらうとしよう。
(愛。愛、起きて下さい、愛)
私は思念で愛に呼び掛けた。思念は脳に直接作用するので、聞き逃しも気付かない事も絶対に無い。しかし、愛は一度眠ると滅多な事では目覚めない。地震でも雷でも起きた事が無いので、若干不安ではある。起きるかな? 起きるだろ?
「……にゃ、むにゃ、むー、なーに、木霊ちゃん……愛、まだ眠いよう……」
お。気付いた。思念レベル最大だからな。常人であれば脳が破壊される出力なので、起きない方がどうかしている。
「んー、ふふふ? 木霊ちゃんって誰かなー? ここには、だあれもいないよおー?」
変質者は愛の寝言と思ったのか、普通に話しかけている。いい度胸をした変質者だ。寝込みに悪戯しようとしている少女が起きそうになれば、普通は逃げると思うのだが。この男は危険だ。やはり殺さなければならない。それも、とびきり残酷に。生まれて来た事を後悔するほどに。
「いるよおー、木霊ちゃん、またそんな意味の分かんないこと言ってえ……」
愛はむにゃむにゃと寝返りをうち、変質者の男の袖をつまんだ。
「ひゃっふうー! かあわいいー! こういうの、俺、大好きなんだよねえー!」
男は感極まったのか、尖らせた唇を愛の頬へと近寄せた。
良し、殺す。私は魔力解放の準備を始めた。