#13. 感謝するクラリス
文字数 1,965文字
愛はクラリスを強引に椅子に座らせると、仁王立ちして叱りだした。座ったクラリスと、目線がほとんど変わらない。辛うじて見下ろす形に、私はクラリスの足の長さを実感した。
「えっ? イジメられてるって、あ、あたしっ?」
ヘイゼルは袖でごしごし顔をこすると、自らを指差して驚いている。なにしろヘイゼルは団長だ。そんな風に見られたことなど無いのだろう。
「私はヘイゼルもイジメてなどいない」
クラリスはテーブルに肘をついて否定した。愛には不遜に映るだろう。
「しーてーたー! してないなら、どうしてその人、泣いてたのっ? いつもいつもアリスちゃんにも辛く当たって、なにがそんなに気に入らないのっ? アリスちゃん、とっても良い子なのに!」
「ち、違いますのよ、愛。わたくし、イジメられてなどいませんの」
クラリスの態度は、愛の怒りを煽るもの。勢いを増す愛に、アリスはおろおろと飛び回った。
「ふ。愛。お前、アリスが大好きなのだな」
なぜか、クラリスは嬉しそうに見えた。その微笑に嫌味は無い。
「もちろんだよ! アリスちゃんは、もう愛の大切なお友達なんだから!」
「えっ? お友達? わたくし、が?」
言い切る愛に、アリスが動きを止めた。そのせいで、テーブルにぽとりと落ちた。
「ふ。そうか。アリスに、友達が出来たのか」
クラリスは俯いた。まるで、目を見せたくないかのように。
「愛、姫……」
ヘイゼルはぐっと唇を噛み締めた。まるで、泣きそうになるのを堪えるかのように。
「……ありがとう、愛。私を、……」
「え? 何か言った、クラリス?」
クラリスの呟きは、小さ過ぎて私にも聞き取れない。愛でさえ、聞き取れなかった。
「いや、何も。私は、何も、言えない。私に、そんな資格は、無い……」
「? 変なの。とにかく、もう誰もイジメない事。いい、クラリス? 約束したよ」
妙にしおらしくなったクラリスに、愛はトーンダウンした。愛は、クラリスが反省したと思ったのだろう。実は、そうではない。この時聞き取れなかったクラリスの言葉が、アリスの全てを表していた。私はそれを、アリスの哀れな存在理由を、後に知る事となる。
「誇りが持てますなあ」
ヘルメスはそう言うと、取り出したハンカチで勢い良く鼻をかんだ。
「はい。仕え甲斐のあるご主人様たちに巡り会えた事、メイドとしてこれ以上の幸せはございません」
ヘルメスの横では、それでも表情ひとつ変えないメイドがぽつりと言った。
「あははっ。うん、うん。そっかそっか。なるほど、これが愛姫か。クラリス。きみがこの子を欲しがった理由、あたしにも何となく分かった気がするよ」
「むに? クラリスが愛を? クラリス、愛が必要だったの? なんで?」
「余計な事を言うな、ヘイゼル。話は終わりだ。時間が無い」
すっきりした様子のヘイゼルを無理矢理テラスから追い立てたクラリスは、愛を思い切り無視した。
「ホントだ。ヤバいねー、これ。急がないと遅刻だよー、クラリス。叙任式に遅刻なんて、前代未聞の珍事だねー。あっはっは」
壁掛け時計の針は、9時半を示していた。叙任式の仕切りは、デューク・エルノースの管轄する軍務省。一秒でも遅刻しようものなら、即取り消しになるだろう。
「そんな恥を後世に残す羽目になれば、私は軽く死ねる自信がある。行くぞ、アリス、エルザ=マリア、エスメラルダ、愛。私に続け!」
クラリスが拳を突き上げ、マントを翻して駆け出した。
「あ! お、お待ち下さいな、お姉様!」
アリスが慌てて後を追う。アリスの飛ぶ後、輝く鱗粉が線を引く。
「ヤット動キ出シヤガッタ。アア、メンドイ」
エルザ=マリアのくまさんが、だるそうに足を動かした。
「うえ? どこ行くの? ねーねー、今から、どこに行くのー?」
愛も取り敢えず後を追う。軽いダッシュで風が舞う。
「ふええ、ままま、待って、待って下さあああいっ、げぶうっ」
エスメラルダは急な方向転換で足が絡まり、顔面からずっこけた。
「行ってらー。頑張れよー、みんなー」
「私の誇りもついておりますぞ!」
「行ってらっしゃいませ、ご主人様方」
待機室に残されたヘイゼル、ヘルメス、メイドが手を振って、走り去る我々を見送った。
「……頑張れ、クラリス。まずは、デューク・エルノース。ユースフロウ大陸最大の勢力を誇る、エイブラハム・エインズワース公爵が相手だよ。気合、入れないと、やつの謀略にやられるぜ……」
ヘイゼルは心配そうに髪をかきあげ、窓の外に広がる空を見た。