#6. コンダクター
文字数 2,545文字
「こちらメイジャー・ドラクロワ! 今よりこの艦は、一時的だが完全に俺の指揮下に入る! 即ち魔法を使う! よろしく!」
「こちらはデューク・エールストン。指揮権の一時移譲は、私が許可します。存分にやりなさい、メイジャー・ドラクロワ」
「あ? んだよ、フェリス。俺をそんな風に呼ぶんじゃねえ。よそよそしくて悲しいぜ」
「公私のけじめですよ、メイジャー・ドラクロワ。あなたも公の場では、私の事をデューク・エールストンと呼びなさい」
「嫌だよ、水臭え」
ジャン=ジャックは言いたい事だけ伝えると蓋を勢い良く閉じて、くるりとワイバーンへと向き直った。
ジャン=ジャックはリカルド公爵をあだ名で呼ぶほどの仲なのか。ふうむ。歳は離れているようだが、思えばアリスもフェリシアーノを呼び捨てにしていた。クラリス、アリス、ジャン=ジャック、そしてフェリシアーノ・リカルド。この繋がりは覚えておこう。
「これを使うのは久々だぜ」
ジャン=ジャックの体が淡い光に包まれる。魔力回路を作動させる前兆だ。クラリスから感じた魔力量とは比べるべくも無いほど弱いが、この男、どんな魔法を使うというのか?
「見ていなさい、愛。ジャンの魔法は、一見の価値がありますわよ」
「え? う、うん」
アリスは瞳を輝かせてジャンを食い入るように見つめていた。魔法に一見の価値がある、とは気になる表現だ。凄いでも強いでも無い、他の価値観により評価される魔法ということか。
「いくぜ! 【コンダクター】!」
ジャン=ジャックが両腕を交差させた。
「出ましたわ!」
アリスがうっとりと手を組んだ。
「うわあ! 凄い、綺麗ー!」
愛は感激して手を叩いた。
(これは!)
そして、私はうっかり声を出しそうになるほど感嘆した。ジャン=ジャックはふわりと、少しだけ宙に浮くと、その体の周りに、光り輝くピアノの鍵盤のようなものが、螺旋状に出現したのだ。交差させた腕は振り上げられ、ぴたりと止まった。なるほど、これは確かにコンダクター(指揮者)と呼ぶに相応しい。
「さあ、行くぜワイバーン! お前を、滅びのコンサートへご招待してやる! 俺のオーケストラを、最後まで、ゆっくりと楽しんでいってくれよな!」
ジャン=ジャックが流れるように鍵盤を叩いた。その美しい音色が夜闇に広がる。
「ギュエエエエエ!」
ワイバーンは神経質な鳴き声を上げ、反転した。飛竜様は、この音色がお気に召さないと見える。
甲板上の砲塔が一斉に回頭した。その砲口は、遅滞なくワイバーンの動きを追っている。舷側砲台も秩序正しく同時に動き、ワイバーンに狙いを定めている。先ほどとは打って変わった規律ある動作だ。私は艦内を探ったが、特に兵が入れ替わったわけでもない。この艦を動かしているのは、間違いなくさっきと同じ人員だった。
「わあ。なんか、動きが良くなったね、アリスちゃん」
何も知らない愛も気がつくくらい、飛空船は変化している。
「ええ。これがジャンの魔法、コンダクターの力、なのですわ。ジャンの周りにあるあの鍵盤の一つ一つが、この飛空船のクルーたちを操るキーなのです。ジャンはこの魔法で、クルーを一つの意志の元、自在に操る事が出来るのですわ」
「ほえー。なんだか凄そう!」
愛は感心しているが、これは凄いなんてものでは無い。つまり、例えばこの男に一万ほどの軍勢を持たせたらどうなるか? 完全に統率された軍の強さは計り知れない。どんな天才軍略家でも、こんな男を相手にしては勝ち目が無いのだ。こんな恐ろしい力を持った者が一飛空船の艦長だと? あり得ない。私なら、そんな用兵はしない。
「たはは、あんま褒めるなよ、アリス。まあ、俺の魔力量じゃあ、効果範囲がこの船の大きさくらいだからな。おまけに、俺に否定的な人間は指揮下に置けないし。実はそんな大した魔法じゃないんだよね」
「そうなんだ。それでも愛は凄いと思うよ!」
照れ臭そうに頭を掻くジャン=ジャックに、私は体も無いのにずっこけそうになった。気分だ、気分がずっこけた。なんだそれは。それでは、やはり艦長くらいしか……なるほど、まるで艦長になる為に生まれてきたような男だという事か。
「さて、と。……ん? なんだ、この鍵盤? これ、誰だ?」
良く見れば、鍵盤のキーの中に、光を放っていないものがある。いくつかあるが、ジャン=ジャックはその一つを見て首を捻った。
「……クルーじゃねえな。が、まあいいか。それどこじゃねえ」
ジャン=ジャックは気を取り直して集中を開始した。クルーじゃない人物が乗り込んでいるのか? 乗員は全て把握しているはずの艦長が知らないとは、一体?
「良し、始めるぜ!」
ジャン=ジャックが腕を振り下ろした。輝きを増した鍵盤が、ひとりでに上下に跳ねる。それに従い、壮麗な楽曲が響き始めた。
「うわあ、綺麗! 光も、音も!」
舷側砲台が次々と火を吹きリズムを刻む。赤く煌めく砲弾の軌跡がワイバーン目掛けて引かれてゆく。あれほど五月蝿かった砲撃も、今や音楽と化している。ここは空のコンサートホール。愛はリズムに乗って手を叩いた。
しかし、ワイバーンはジャン=ジャックの指揮下で放たれる砲弾も、夜空を翼で斬り裂くようにかわしてゆく。上昇、降下、旋回は力強く、無数の砲弾を嘲笑う。
「ああ! ちっとも当たんないよ!」
しばらくして、すでに砲撃は50を超えた。愛はじれったそうに砲弾を見送っている。どうした、ジャン=ジャック? 結局当てられないのでは、魔法を使う前と同じだ。
「いいえ、愛。あれでいいのですわ。あれで、ね」
「えっ?」
アリスはジャン=ジャックの指揮を理解しているようだった。そう言ったアリスの笑みは、ジャン=ジャックに対する絶大な信頼を表していた。