#20. 子鹿、立つ時
文字数 2,841文字
「コノヤロ!」
エルザ=マリアは自身の腹から突き出ている剣を両腕で掴むと、凍結魔法を放った。
「ふははははは」
エルザ=マリアの背後にいた黒騎士は、一瞬で凍りつき粉々に砕けた。その笑い声が、不快に耳にこびりつく。
「くまちゃん!」
「むっ」
愛はモンスターの怪力で黒騎士の拘束を振り払うと、地面にごろりと転がったエルザ=マリアへと駆け寄って抱き起こした。
「人の心配などしている場合かな?」
そんな愛へと、ウィリスが上空から斬りかかる。愛に斬られた肩は、元通りになっていた。
「邪魔!」
「ぬおっ!」
愛が適当に振った剣は暴風を起こし、ウィリスを吹き飛ばした。これは、少し怒っているようだ。
「オイ。私ノ事ナラ、心配スンナ。コレハヌイグルミ。死ンダリシナイ。タダ、駆動系ノ魔力回路ヲヤラレタミタイデ、動ケネエ」
「そうなの? 良かったー」
愛がほっと息をつく。しかし、先の黒騎士からの一撃で、このぬいぐるみを動かす魔力回路が破損したようだ。もう、エルザ=マリアは動けない。
「ココデ出来ルダケサポートハスルガ……ヤレルカ、愛?」
エルザ=マリアは愛に問いかけた。それが私には意外だった。エルザ=マリア・フェルンバッハ。魔術師にありがちな、ただの戦闘狂かと思っていたが、どうもそれだけではないらしい。そう感じたからだ。
「うん。任せて、くまちゃん!」
愛は真新しい制服の胸を、どんと叩いた。悲しいかな、貧相な胸はそれでも微動だにしない。
「軽イヤツ。フン。マ、ソノ方ガ助カルケドヨ」
「何? なんて言ったの、くまちゃん?」
「ウ、ウルセエ。私ニ、チト考エガアル。トニカク頑張レ」
「考え? 分かった、頑張る!」
愛はエルザ=マリアを地に横たえ、立ち上がった。
(木霊ちゃん)
と、愛が珍しく思念で私に呼びかけてきた。お互いの体(私は指輪だが)を接触させての思念会話なら、傍受される心配は無い。
(はい。なんですか、愛?)
これは助かる。多数の重臣貴族がいるこの場では、どんな感応系魔導士がいるか分からない。私の存在を隠す為には、これしかない。
(あいつ、斬っても平気だった。なんで?)
愛は抜刀したまま、霧の中で警戒を絶やしていない。ふむ。少し本気になってきたか。
(そうですね。敵の魔力回路、ガバナンス・ミストは、本人すら霧と化す事が可能となります。おそらく、そのせいでしょう)
私は簡潔に自分の所見を述べた。これに間違いないだろう。だが、自分で言っておきながら、全く信じられないでいる。なぜなら、ここまでガバナンス・ミストの魔力回路を強化し、使いこなせる者となると、人間にはまずいない。少なくとも、私の4000年の生においては、一人もいなかった。
ただ、魔族には一人いた。それがレイスだ。つまりあのウィリアム・ウィリスという男、魔族のNo.2と同等の強さを持っているという事になる。しかし、それはあり得ない。あり得ないのだ。
(人が、霧になっちゃうの? 凄い!)
(ええ、まあ。それに属性付与などがされると、更に手の付けられない魔法となりますけどね)
レイスの属性は水と土。もしウィリスがレイスと同様にガバナンス・ミストが使えたならば、この霧に酸や腐食などの属性付与がなされるだろう。愛は、ひと呼吸しただけでその霧を吸い込み、一瞬で死に至ることだろう。
(じゃあ、斬っても無駄?)
(無駄です)
(じゃあ、どうしたらいいの?)
(どうしようもありません。愛が持つのは、フィジカル強化の魔力回路、モンスター。力もスピードも、ガバナンス・ミストには無力です)
(そんなの、やだ!)
(やだと言われても)
愛に地団駄を踏んで悔しがられても、私は名案を授けられない。魔力回路の相性が悪過ぎるのだ。せめて、何か他に使える魔導具や神器があれば……待てよ。道具? 閃いた。あるじゃないか、道具なら! それも、一級品の道具が!
(愛。作戦があります。いいですか? これは……)
私はそれを愛に伝えた。唯一の懸念は、これを愛が受け入れるかどうかだ。これは少し乱暴で、絵面的に良くない方法だ。見る者によっては、残酷にも映るはず。
(すっごーい! 凄いよ、木霊ちゃん! そんな事が出来るなら、愛はやる!)
愛は意外にもあっさりと了承した。
さて、これでウィリスはなんとかなる。
では、アリスは? 私はアリスに目を向けた。
「くっ、なるほどですわね!」
アリスは、苦戦していた。トレールが悉くかわされて、攻撃が全く当たっていないのだ。
「ははははは」
「くくくくく」
残り二人の黒騎士は、アリスを左右から交互に攻めていた。槍と弓の波状攻撃に晒されたアリスは、明らかに防戦の比重が高くなっている。
あんなに素早く動く小さな標的にも、二人の黒騎士は正確な攻撃を行えるのか。やはり手練だ。エルザ=マリアは雑魚だと言ったが、それは魔法力的、魔術力的に見てだろう。騎士としては、あの二人は間違いなく達人の部類だ。
しかも、もっとまずい事に、当然あの二人も魔法騎士だ。弓使いは風属性の魔力回路を使っているが、問題はもう一人。アリスが苦戦しているのは、そちらの黒騎士のせいだ。
「トレールが、当たりませんわ。矢も槍も、わたくしの動く先に来るみたい……」
アリスも、もう気づいている。敵が厄介な能力を持っている事に。
「間違いありませんわ。わたくしの動きは、読まれている!」
槍を使う黒騎士の持つ魔力回路は、私の見立てでは【ディフェクター(探知者)】。精神感応系魔力回路だ。これにより思考を読まれたアリスは、圧倒的不利に陥っているのだ。
「では、力で……逃げ切れないほど広範囲を同時攻撃する火炎魔法か、それとも……いいえ、これはリスクが高過ぎますわ。思考防御も破られる……一体、どうしたらっ……!」
アリスは迷った。魔力回路、オールマイティ。その万能さゆえに選択肢が無数にあるのが、かえってアリスの決断を阻害していた。
私から見て、アリスはまだ魔力回路を使いこなせていないのだ。シールド騎士団レベルと比べても凄まじい魔力量を持つアリスであれば、ただ攻撃し続けるだけでどんな敵でも殲滅出来るはずなのに。勿体無い話だ。
「きゃああっ!」
「ははははは! 良し、もう動きは掴めた!」
黒騎士の槍が、アリスの肩をかすめた。アリス用の小さな制服に、血が流れる。
「ふわあああ、あああ、アリスさんんんん……アリスさんが、危ないいいいい………!」
闘技場の片隅では、エスメラルダが生まれたての子鹿のように足をがくがくさせて立ち上がった。