#16. プリンセスからの書簡
文字数 3,449文字
「うええ。せっかくあんなに頑張ったのにー」
愛は残念そうだ。倭の姫の正装も整えた愛は、準備万端張り切っていたので嘘ではない。
「はい、私も本当に残念です、プリンセス・愛」
メイドも無表情ながら本当に残念そうだ。愛の着付けを完璧にこなしてくれた彼女も、今のきらびやかな姿を衆目に晒せないのは無念なのだろう。なぜ着付けが出来るのかは謎だ。クラリスも不思議に思い尋ねたが、返事は「メイドとして当然のスキルです」だけだった。フェリシアーノは、随分と優秀なメイドを愛に付けてくれたものである。
さて、今の愛だが、五枚色違いに重ねた辻が花染の小袖に、目にも鮮やかな打ち掛けを羽織り、動くたびにしゃらりしゃらりとびらかんの簪(かんざし)が心地良い音を立てる。手には扇を携えたこれぞ姫、という出で立ちは、普段のワイルドな愛とはかけ離れており、どこに出しても恥ずかしくは無いと思えた。一言で言えば、美しい。私はそれを素直に認めた。
「中止の理由は、プリンセスの体調不良とのことだったが……」
待機室の鏡台にもたれかかったクラリスは、手を顎に思案している。クラリスも騎士の正装たる白の礼服を着用しているが、やはり左腕は新調した団長専用マントで隠れるように覆っている。
「嘘、ですわね。本来であれば、晩餐会の前にわたくしたちプリンセス・シールドとの顔合わせもしなくてはなりませんでしたし、直前になって体調不良の連絡が来るなんておかしいですわ」
アリスは愛の周りを飛び回り、きらきらと光を弾く簪を珍しそうに覗いている。
「プリンセス、アソコニ入ルノ、見タ。プリンス、待機シテタ部屋」
エルザ=マリアのくまさんも一応蝶ネクタイだけ着用している。これが精一杯の正装か? 手抜きでは?
「プリンスの? ふむ。プリンスにはヘイゼル・アップルヤード率いる前プリンセス・シールドが張り付いているので、警護に問題は無いが」
「なんですの、それ? わたくしたち新生プリンセス・シールドの護衛では、心配だとでも言いたいんですの? もしそうでしたら心外ですわよ、わたくしは」
黒騎士に敗北したクラリスは、朦朧としながらもキングス・シールド団長を辞退し、すぐに倭への飛空船に同乗したと言う。キングス・シールドが壊滅したその穴は、各王族専属護衛騎士団が一つずつ繰り上がり埋める事となった。即ち、現在プリンスを警護しているのが、前のプリンセス・シールドとなるのだ。
プリンセスがクラリスを認めず、前プリンセス・シールドのヘイゼルを慕っていたとしたら、こんな事態も考えられるかも知れない。
「失礼いたします、ディム・クラリス」
「うわっ。急に私の目の前に現れるな。なんだ、メイド?」
クラリスは胸を押さえてたじろいだ。今のは、メイドがその気になれば、クラリスを殺せていた。なんなんだ、このメイドは? こんな怖ろしいメイドは見た事が無い。
「早速、プリンセス・アヴァロンの元へ赴いて参りました。これを」
「書簡? て、おい。今話していたばかりだぞ。なんだこの書簡は?」
「プリンセス・アヴァロンの真意でございます、ディム・クラリス」
「何? 真意?」
「その通りでございます」
「何の真意だ? 今、話していた事だとでも……!」
クラリスは訝りながらもメイドから恭しく差し出された書簡を広げ、文面に目を走らせた。そして、その赤い瞳を見開いた。
「私、プリンセス・アヴァロンは、敵国である倭の姫がいる騎士団の警護など、信用出来ない……ついては、メンバーの再考を促すものとする……」
クラリスの手がわなわなと震えた。
「えっ?」
愛はきょとんとし、クラリスを見た。
「そんな! お姉様、署名は?」
アリスは、愛の元からクラリスの手元へ飛んだ。
「本物だ」
クラリスはアリスにも見えるように書面を向けた。
「……ふうむ。これは、困った事になったな。フェリシアーノの力を借りねば、説得は困難か」
「護衛される側とすれば、当然の懸念ではありましたわね……。愛の事を知ってもらえさえすれば、こんな心配は無用だと分かっていただけると思うのですけれど……」
四公爵、四賢公の一人であり、シールド騎士団を管轄する政務省大臣であるフェリシアーノ・リカルド14世が保障すれば、プリンセスは逆らえない。任命されたシールド騎士団は、護衛の為とあれば、王家の命に逆らう権限すら有している。これが正攻法だろう。
「愛、会って話して来る。愛なら大丈夫だよって、言ってくる」
愛が打ち掛けを翻して立ち上がった。前を向くその顔は、凛とした姫のものだ。もし愛の騎士団編入が認められなければ、倭は人質を取られただけとなるだろう。愛はそこまで考えてはいないだろうが、本能で退けない場面を嗅ぎ分ける。愛は今、倭を背負っていた。
「それは許さん。お前はまだ倭の姫であり、王家専属護衛騎士団の騎士では無い。行ってもヘイゼルに追い返されるだけだ。それでも無理に会おうとすれば、戦闘になる」
クラリスは愛の前に立ちはだかり、睨みを利かせた。並の者ならば腰を抜かすほどのプレッシャーが、クラリスから放たれている。
「でも! 愛は、アヴァロンのお姫様を一生懸命守るって、頑張るって決めたのに!」
飛空船にてエンヤ捜索に手間取っている間、愛は将軍の無慈悲さをなじっていた。しかし、私が目にした一つの事実で、愛は考えを改めた。
ジイが切腹し果てた時、将軍の口の端から血が溢れ出ていた事だ。それはおそらく、将軍の奥歯が砕けたせいだろう、と私は愛に告げた。それほどに歯を食いしばらなければ、将軍はジイの死に耐える事が出来なかったのだ、と。そこまでの犠牲を払っても、愛をアヴァロンへと行かせるのは、倭を守りたい一心だ。愛する娘を引っぱたいても行かせなければならなかった将軍は、どれほど辛かった事だろう。
私は、将軍の愛への愛情の深さを知っている。愛が知らない将軍の心も知っている。それは、愛の出生に関わる事だ。愛には話せない、愛の出生での出来事。あの"事故"が、将軍の愛がどれほど大きいかを私に教えた。口止めされているので話せはしないが、歯が砕けた話だけでも、愛は気持ちを改め、アヴァロン行きに積極的になった。
愛は、プリンセスを守るだろう。命を懸けて守るだろう。愛は決めた事を曲げない。やると決めたら必ずやる。そして、実現出来なかった事も無い。
「デ、明日ハドウナルノ?」
エルザ=マリアが沈黙を破った。
明日は愛の歓迎パレードが予定されている。王都の人々に、倭との和睦、停戦を広く周知する事で、建国2000年祭の前準備とするのだ。
「そうだな。パレードには、国王陛下だけが出席されるご予定だ。我々も愛姫と共に戦う仲間として参加するが、とりあえず問題は無いはずだ。この問題は、明日以降対策を取る」
クラリスは冷静に結論を出した。もう夜も遅い。パレードにはフェリシアーノも参加するので、そこで話をつければいい。パレードの後は王城で愛の騎士叙任が行われる手筈なので、スケジュールはタイトだが、これくらい大した事は無い。私が宮宰をしている時、こんな問題はすぐに解決していたのだ。
「ところでメイド」
「はい、なんでございましょうか、ディム・クラリス」
「お前、どうしてこんな書簡を持っていたのだ? プリンセスのところまで行く時間くらいはあったかも知れんが、これをプリンセスが認める時間は無かったぞ」
そう言えばそうだ。プリンセスの真意について話したのは今だった。こんな書簡をプリンセスが書く時間は、確実に無かった。
「昼頃でございます、ディム・クラリス。こんな事もあろうかと、前もって書簡をご用意いただいておりました。もちろん、中身は見ておりませんが」
「は? はああっ?」
「えええっ? あなた、気が利きすぎなんじゃありませんの!?」
「お褒めに預かり光栄にございます、ディム・クラリス。ディム・アリス」
深々と慇懃にお辞儀するメイドに、クラリスもアリスも、開いた口が塞がっていなかった。