#5. 対物理力魔法障壁(アンチ・フィジクス・シールド)
文字数 1,796文字
虚しく空を切る将軍の手が固く握られた。
「おおおおお!」
「なんと!」
「凄い! あの勢いであれば、斧は確実に飛空船に命中しようぞ!」
険しく細められた目で斧を追う将軍とは対象的に、他の侍たちは喝采で沸き立った。特に弓隊の歓喜はひと際目立つ。倭で唯一の長距離攻撃隊でありながら、空飛ぶ船には無力を悟り、誰よりも無力感に苛まれていた侍たちだからだ。彼らの絶望を切り裂き力強く昇る手斧は、太陽よりも眩しいに違い無い。
放射状に伸びる角が、日輪を意味する東条将軍の兜。これを沈めたくないと、侍の誰もが願っている。しかし、それがいかに難しい事であるのかも、侍の誰もが分かっている。命など惜しくは無い。武士団総勢300の、全てが命など端から捨てている。だが、それでは足りない。他に差し出せる物は無いのに。飛空船を見て誰もが自らの無力さに歯軋りをしていたところに登場した愛の手斧。これに期待しないのは無理だった。
しかし。
「あっ!」
愛が驚愕している。
「な!」
「馬鹿な!」
「あれはどうした事だ!?」
「うぬううう……」
侍たちも同様だった。船を見上げ、苦しげに呻いている。
(あれはアンチ・フィジクス・シールドですね。まあ、当然なんですが)
周りに人がいる所では、私はただの指輪のふりをしている。声は出さず、愛の放った手斧に起きた現象を、ひとり心の中で分析した。
「木霊ちゃん! 手斧が、なんか光る壁にぶつかって消えた……ううん、蒸発したよ! あれ、なんなの!?」
愛は飛空船を睨んでいる。飛空船の直下には、青く輝く円形の魔法陣が浮かび上がり、炭と化した手斧のカスが、さらにその下で風に乗って霧散しているところだ。
(あれはアンチ・フィジクス・シールド……つまり、対物理力魔法障壁ですよ、愛)
私は思念を愛に送った。これならば、声を出さずとも愛と意思疎通が出来る。愛も思念で訊ねてくれると助かるのだが……これでは、他の人には、愛が大きなひとり言をしているようにしか見えない。
「なにそれ? 意味分かんないっ!」
愛はきーっと地団駄を踏んだ。
(でしょうね。倭の国に、魔法という概念はありませんから。つまり、あの船の周りには魔法という不思議な力による壁がある、と言う事です)
私は端的に説明した。飛空船には【魔導炉】という、魔力を蓄えた動力源がある。それを皇国の魔導士が操り、ああした機能を発揮させる。魔法が一般化して2000年。皇国は、魔力を制御利用出来るほどの技術力を開発していた。
ふっ。愚かな。得意気に魔力を操る彼らは、その正体を知っても同じように利用出来るのだろうか。無知とは幸せな事である。
「とにかく、壁なんだね? ならいい!」
「えっ?」
船への攻撃を諦めると思っていた愛の意外な反応に、私はつい声を出していた。
いいとは? どうするつもりだ、この子は?
「ジイーッ! 手斧! どんどんちょうだい! 早く!」
愛は輜重車の前に立つジイ、御家老に、遠慮なく当たり前に命令した。愛にそんな権限は本来無い。愛はただの姫なのだ。建前上は。
「むっ、こ、こら! ジイ!」
「ひゃいっ! これ、手斧を姫様に! ほれ、どんと投げい!」
「はっ? ははっ!」
初めて目にする巨大な魔法障壁に策を巡らせていたのか、愛への注意が疎かになっていた将軍の制止は、またしても間に合わない。いや、これはジイが意図的に間に合わせていないように見えた。
御家老は、愛に大甘なのだ。実の孫のように、どころか、実の孫よりも可愛がっているのではないかという噂まであるのだから。
しかして、手斧が次々と愛に向けて投げられた。先も言ったが、こんな事をされれば普通死ぬ。こんなに手斧を投げつけられて、全てうまくキャッチし、さらに300メートル上空に投げつけるなど、無理なのだ。うん、無理。
「よおっしゃああああ!」
呆れる私に気づくことなく、愛はそれを難なくやった。手斧は凄まじい速度を持つ編隊となり、飛空船の腹を食い破ろうと飛んでゆく。
「……いかん! これはもう誤魔化せぬ……!」
小さく、絞り出すような将軍の呟きは、誰の耳にも届かなかった。
耳無き指輪である私以外、誰にも。