#21. エスメラルダの怒り
文字数 3,171文字
しかし、その思念はエスメラルダに届かない。我々はウィリスの霧の中。この霧は、ジャミング能力も備えている。思念通話は通らない。だから私の作戦だ。エルザ=マリアと愛がウィリスに抗する手段は、これしか残されていないのだ。
「よいしょ」
「愛? ナゼ、私ヲ担グ?」
愛は私の提案に従い、エルザ=マリアを肩に担いだ。ちょっと愛。説明してからにして欲しい。
「あ、うん。あのね、くまちゃんて、変身出来るんだよね?」
「ナニ? ナゼ、ソレヲ?」
エルザ=マリアの内部構造に興味がある私は、すでに大まかな解析を済ませている。人間と違い、このぬいぐるみは被解析感知に鈍感だ。なので、至近距離にいた時に、存分に調べさせてもらっている。
「そこは気にしない、気にしない。でね、その力を使って欲しいの。お願い、聞いてくれる?」
「オイ。オ前、ナンデソンナニイヤラシイ笑顔ヲ浮カベテルンダ? スゲー嫌ナ予感ガスルゼ!」
「気にしない、気にしない。あのね、くまちゃんに、これやって欲しいんだ。えっとね……」
愛はわくわくしているようだ。窮地に追い込まれ、手はこれしか残されていないのだが。これが通用しなかったら、敗北するしかないのだが。ああ、そうか。愛は、今からやる事が楽しみで仕方がないのだ。
愛は、虫捕りとか大好きだから。
「ははははは。相談は終わったか? 俺は降伏を勧めるが、まだやるかね?」
そんな愛たちの目の前に、ウィリスが霧を巻いて姿を現した。見事だ。実に見事な実体化だ。……それにしてもこの男、正確な魔力量が計れない。大まかには掴めるが……意図的に隠しているのか?
「やるよー! 愛たちは、負けないよ!」
「ソウカ? マジカヨ? コレ、本当ニヤンノカヨー?」
愛は懐疑的なエルザ=マリアの手を取って立ち上がった。右手は刀を抜き、ウィリスへ切っ先を向けている。そしてその目は、銀河のようにきらきらと輝いていた。
「ふああああ。なななな、なんとかしなくっちゃ、なんとかっ……」
一方、こちらはエスメラルダだ。思考を読まれ苦戦するアリスを見て、翡翠色の瞳をうるうる潤ませているエスメラルダ。私は戦いの中にあって泣く騎士など初めて見る。おっと、エスメラルダはまだ騎士では無かったが。
「こっちだ!」
「つうっ!」
黒騎士の放つ矢が、アリスの透き通る翅を貫いた。アリスの飛行速度が遅くなる。ターンのキレも失われた。
「やるな。こんなちびっ子に矢を当てるなど、お前にしか出来ん業だ」
「ああっ!」
今度は黒騎士の剣がアリスのブーツを斬った。ブーツからは、血がぶわりと噴き出した。
「そろそろ、かしら」
マーリンが魂魄の護牢をちらりと見遣った。中の鳥が1羽、カゴの床に落ちてもがいている。これが、おそらくアリスのダメージを肩代わりしてくれている鳥なのだろう。
アリスが死ぬほどのダメージを受ければ、今の怪我も全てこの鳥が引き受けてくれる。この槍試合が終わって、神器の力が解除された後も同様だ。誰も傷つかないし、死んだりしない。
ただ、誇りが失われるだけだ。重臣貴族、王に教皇までが見守る槍試合。ここで敗北した騎士の誇りは、回復不能のダメージを受けるだろう。
「うおおおお! 炎よ、走れ!」
追い詰められたアリスは、火炎の竜巻を放った。狙いは無い。運に任せた攻撃だ。
「ふふふふ」
「勝ったな」
黒騎士たちは、その攻撃を読んでいた。火炎が発生する前には、もう悠々と距離を取っている。これが思考を読まれるということだ。これが精神系魔力回路の恐ろしさだ。
「うあああ。アリスさん、完全に頭の中を読まれてますううう。あの人、凄く強い力で、無理矢理アリスさんの頭の中を覗いてますううう」
エスメラルダは、はらはらと歩き回っている。涙は止まった。それどころか。
「……ダメ。ダメ、ですう。人の頭を、人の気持ちを、読む、なんてえ」
エスメラルダは、怒っていた。許せない。エスメラルダは、黒騎士がアリスの頭を覗いている事が許せない。
「人の心は、人が勝手に、無理矢理、見ていいものじゃあ、ないんですうううう!」
エスメラルダが、叫んだ。
「うおおおっ!」
「なんだっ!?」
黒騎士たちが頭を抱えた。
「これはっ……エスメラルダ!」
アリスが空中からエスメラルダを探した。
「ぐああああ! 頭に、頭に入り込んで来る!」
「なんだ、これはあっ! なんなんだ、このデタラメな出力はあっ! 俺でも遮断出来ないぞっ!」
苦しむ黒騎士たちの頭の中には、大声が響いていた。
「ダメですダメですダメですダメですううう! 人の心は、見ちゃダメなんですううう!」
これだ。エスメラルダの必死の思念が、黒騎士たちの頭に木霊している。耳を塞ごうが遠く離れようが、この声は遮れない。頭の中に、直接響く大声だ。現実の音などもう聞き取れやしないし、思考も集中力もこれで完全に失われる。
エスメラルダの魔力回路は、アナライザー。精神感応系最上位にある、この魔力回路の魔法攻撃を防ぐ事など、黒騎士の持つディフェクターでは無理だろう。
「今ですわ!」
アリスが雷撃の予備魔法、トレールを放った。それは今までの苦戦が嘘のようにあっさりと、二人の黒騎士に命中した。黒騎士たちは、エスメラルダの脳内での大声のせいで気づけない。
「雷撃、最大!」
「ぐああああああ!」
「ぎゃあああああ!」
アリスの特大の雷撃が、二人の黒騎士を直撃した。鳥かごの中にある2羽の鳥が消滅した。
「アリスさん、やったああああ!」
エスメラルダが、両手を挙げて喜んだ。何度も何度も万歳し、アリスを「凄いい、凄いいい」と讃えた。
そうか。エスメラルダの力は、心を読んだり操作したりするだけではない。今のような使い方なら、優しいエスメラルダにも抵抗は少ないだろう。
「凄いのはあなたですわ、エスメラルダ。あの黒騎士の精神介入、わたくしには防ぐことすら出来ませんでしたのに。それほどの凄腕精神感応系能力者の心にも簡単に侵入して声を届けるその力。エスメラルダ、あなた、本当に強いんですのね」
アリスはエスメラルダの目線まで降下すると、素直に微笑み感謝と敬意を示した。
「ふへっ? い、いいええ、私なんて、こんな事、くらいしか! 本当は、他にも色々出来ますけれど、残酷ですしい、だから、怖くって使えませんしいいい。もう、本当に役立たずなんですようおうおう」
手をぶんぶんと振っているエスメラルダを見て、私はゾッとした。他にも、色々? 残酷で怖い、力? この子が本気で怒った時には、それが使われるのだろうか? 使われた者は、どうなるのだろうか?
クラリスがエスメラルダには勝てないかも知れないと言っていたのは、こうした事を指していたのだ。ディフェクターが出来る事なら、アナライザーにも出来る。先読みなど、エスメラルダには簡単だ。
「うふふふ。こんな役立たずがいるものですか。やっぱり、お姉様が見込んだ子、ですわね」
「ふえ?」
アリスは小さな手で、エスメラルダの頭を撫でた。その姿は、不思議にクラリスと重なった。
「さあ、愛たちの方へ行きますわよ」
「ふ、ふえええ。ももも、もう帰りたいですうううう」
エスメラルダは泣き崩れた。
通常モードでは、確かに役立たずである。