#5. ベルトラン・ケ・デルヴロワ
文字数 3,524文字
ベルトランの落ち窪んだ目がぎょろりと見開かれた。確かにその顔が私だけに向けられていると思うと怖ろしいものがある。それはどこか別の方に向けていただきたいものだ。
「斬滅風翼陣!」
ベルトランがそう叫び、大戦斧の石突を床に叩き付けた。途端に翼のような斧の両刃から、渦を巻いた強風が発生した。大気が歪み、シェードに覆われた壁掛けランプの炎が揺れ動く。私はそれを見てベルトランが風を操っているのだと察した。
ここは屋内なので、風の動きは特に見え難い。だが、これはおそらく透明無形の無数の刃なのだろう。これを躱すのはどんなに素早い騎士でも不可能だ。私は今までの戦闘経験からそう推測した。
「これは凄い……!」
「呑気なやつだ。感心している場合か? 分かっているだろうが、これを避けるのは不可能だ。魔法障壁で防御するしかあるまいが、俺の風はそれすら斬り刻むぞ」
思わず口走った私に、ベルトランは若干呆れている。この期に及んで警告とは温い男だ。顔に似合わず、敵すら傷付けるのを躊躇うか。アヴァロンの騎士も、随分と平和ボケしたものだ。
「……ふふ。いや、ボケているのは、私も、か」
「む? 何がおかしい?」
つい笑ってしまった私を、ベルトランは訝しく思ったようだ。これが笑わずにいられるか。教皇猊下の執務室が、何の警護もされていないはずが無いではないか。これは私の力を以てすれば、避けられた衝突だ。大戦が近いというのに、これでは先が思いやられる。
「いえ、自分の愚かさについ笑ってしまいました」
「それは諦めの境地か? それとも気が触れたか? それでも口を割らぬのか?」
「ええ、そうですね。私は、口の堅さには定評がありますので」
「堅いと言うわりに、軽口は良く叩く。まあいい、幽体であれば、口さえ残せば話は出来る。その他は全て削ぎ落としてやるとしよう」
「きみこそ、良く喋る。騎士ならば、口より力で語って欲しいものですね」
「良くぞ申した! では喰らえ!」
とうとう意を決したベルトランの暴風が、私に襲い掛かった。私は対魔法力障壁を展開せず、無防備に受ける事にした。必然、私の体は一瞬で粉々の細切れにされていた。
「ぐあああああっ!」
結構痛い。幽体とはいえ、魔力の攻撃は痛覚を呼び覚ます。わざわざ痛い思いをして喜ぶ趣味は無いのだが、私はベルトランの実力を測る為、敢えて暴風を受け入れた。
「むう。貴様、並の幽体では無いな! 普通であれば、この一撃で消滅する威力だが! 一撃で約三千の刃が貴様を切断しているのだが、斬っても斬ってもすぐに元に戻れるとは!」
「いた、痛たたた。はは。ええ、私は、普通の幽体ではありませんので。まだまだ元に戻れます」
「不敵なやつめ。この俺と真っ向から力勝負をしようてか! その勝負、受けて立とう! 行け、暴風の翼よ! 我が敵を、塩粒よりも細かく斬り刻め!」
ベルトランは暴風の出力を更に上げた。それにつれ、私の体は人の形を維持出来なくなっていく。再生速度が追い付かないのだ。過去、数多の風使いを見てきたが、これはベスト3に入る使い手だ。
ベルトランの暴風は、王城の強大な魔導炉によって支えられている魔法障壁すら破壊しそうな勢いで吹き荒んだ。魔法障壁の紋様も、壁掛けランプも、衝撃により明滅を繰り返している。ヤバイぞこれ。ベルトランめ、もはや教皇猊下の事など忘れているな。
「ぬううううっ! しぶといやつよ!」
だが、芸がない。ベルトランという男、どうやら神器のみを頼りにした騎士のようだ。斬られながら魔力回路の有無をサーチしてみたが、ベルトランは保有者では無い。これで騎士の頂点たるキングス・シールド団長にまで登り詰めるとは大したものだ。
「うおおおおっ!」
暴風翼の大戦斧は、防御攻撃共にずば抜けた神器だ。これのみでも敵は無かったのかも知れない。しかし、世界は広いのだ。私のように規格外の者も存在する。ベルトラン・ケ・デルヴロワ、か。使えなくは無いが、まだまだだ。
「ベルトラン。どうしました? もう終わりですか?」
風を出し続けて30分は経った。この魔力量であれば、十分超人的な力と言える。しかし、私を倒すには少な過ぎる。この威力で私を倒そうと思うならば、あと50年は絶え間なく攻撃し続けてもらわねばならない。それでやっと私を消滅させ得るだろう。
「が、がはっ、……ば、化け物、めっ……」
私の一言で心折れたベルトランは、吐血し膝を床に着いた。ウイングド・ハルバートにしがみつく事で、なんとか倒れずに済んでいるような体たらくだ。ふっ。私は何もしていないというのに、相手にならない。
しかし、吐血するまで魔力を放出し続ける根性は気に入った。さすがは騎士の頂点といったところか。役目に命を捧げる覚悟はあるようだ。
「気が済みましたか? では、私はこれで失礼します」
ベルトランの力は理解した。興味を失った私は、本来の目的である教皇猊下謁見を強行すべく、魔法障壁を破壊した。こんな物は、撫でるだけで消し去れる。魔導炉への過負荷でランプも消えたが、特に問題無いだろう。執務室のドアはすぐそこだ。私はドアノブへと手を伸ばした。
「うん?」
しかし、手は届かなかった。あと一歩、足が前に進まない。不審に思い足元を見ると、腹這いとなったベルトランが、私の足首をがっちりと掴んでいた。
「行かせん。行かせん、ぞ」
私の足首を掴んだベルトランの無骨な手から、しゅうしゅうと白煙が立ち昇っている。私は幽体、つまりは剥き出しのエネルギーの塊だ。それも、生半可なエネルギー量では無い。生身で触れれば、大ダメージを受けるのだ。しかも、それだけでは無い。私はネクロマンサーだ。生ある者が触れれば、魂を吸い取られる。これは、私の意志に関係無い。
相当な激痛に襲われているはずだが、脂汗を流すベルトランは、血塗れとなった口をにやりと吊り上げ私を見上げている。
「手を離しなさい、ベルトラン。そのままでは、死にますよ」
「断る。俺は、貴様を許さない。例え死んでも、この、手は、絶対に、離さぬ、ぞ」
ベルトランから、強固な意志を感じる。この男は、本気だ。
「許さない、とは? 黒騎士、という者に関係が?」
私は名乗る代わりにクラリスに重傷を負わせた者の仲間だと告げた。対してベルトランから【黒騎士】という名が飛び出した。流れで戦闘になってしまったが、これは聞いておかねばならない。
「とぼけるな。クラリスから、目と腕を、奪い、まだ、飽き足りないと、言うのかっ……その結果、やつがどれほどの物を、更に、失ったのか……、貴様に! 分かるかぁっ!」
「!!」
泣いている! ベルトランが、大粒の涙を零して泣いている! なんだ、この執念は? 何が、この男を、ここまで怒りに満ちさせているのか?
「何の為に、クラリスを襲ったのかは知らん。だが、それにより、クラリスは、血を吐くまで努力して得たキングス・シールド団長の地位と、大切な、仲間……そして、何より、決まりかけていた婚礼すら、無くしてっ」
私の足首を掴む手の力が、ぎゅううと強まる。ベルトランの手は、激しく白煙を吹き上げ、流血した。まずい。これでは、もう剣は握れない!
「きみは、まさか……クラリスの、事が」
「そんなのではないっ!」
私の下衆な勘繰りはベルトランの一喝で否定された。クラリスは、美しい。そんな事があっても不思議では無いと思ったのだが、ベルトランにそんな気持ちは無さそうだ。
「あいつは、ただ、普通の妻に、母に、なりたかっただけ、なのだ。見よ。腕が無くば、我が子を抱く事も難しい。見よ。失われた目を、子に何と説明する? 見よ。夫となる者を。愛するがゆえに、その姿が、いかに復讐に駆り立てるか。黒騎士は、ただの、普通な、小さな幸せを、全て奪っていったのだ……懸命に生きてきた者の、全てを、だ。俺は、ただ、それが、許せ、無い……」
「ベルトラン……きみは……」
そこまで言うと、ベルトランの意識は途絶えた。
「……優しい、男だ……」
私はベルトランの手を引き剥がすと、手をかざして宙に浮かべた。
「黒騎士、か。クラリスが、キングス・シールド団長だったとは。この件も、教皇猊下に詳しくお尋ねしなければなりませんね」
宙に浮かべたベルトランを従えて、私は執務室へのドアを開いた。