#1. 忍者
文字数 2,237文字
のだが。翌日。再び、夜。
「そっちに行ったぞ!」
「逃がすな! どこに潜むか分からんやつだ! 物陰に気を付けろ!」
船内は、そんな夜空など関係なく喧騒に満ちていた。クルーが甲板、砲塔、弾薬庫に食糧庫、船室も隈なく探索している。
ワイバーン戦の際、ジャン=ジャックのコンダクターで、正体不明の人物が発見されたからだ。
「なんなんだこいつは? 鍵盤がうろちょろと飛び回りやがる!」
ジャン=ジャックは艦橋でコンダクターの魔力回路を駆使している。螺旋状になった無数の鍵盤に囲まれて浮遊しているジャン=ジャックだが、優雅とは程遠い姿だ。意のままにならない一つの鍵盤のせいで、頭を掻きむしっているからだ。
「凄まじい隠密力ですわね。ジャンの魔法で居場所は探知しているのに、捕まえることが出来ないなんて……」
アリスは感心するやら呆れるやら、複雑な表情だった。人間一人探して捕まえようと思えば、逃げる場所も限られる船内なのだが、件の逃走者は、なんとすでに丸一日捕獲されずにいるのだから、そんな顔にもなるだろう。
「何をやっているのですか、メイジャー・ドラクロワ。早く捕まえてもらわないと、王都に戻る事が出来ません」
フェリシアーノは、通常であれば艦長が座すべき肘付き椅子に足を組んで腰掛け、冷たい眼鏡でジャン=ジャックを見ている。
船の指揮所たる艦橋には、今、この遠征の主要メンバーが顔を揃えている。操舵手や航海長等のクルーを含めれば結構な人数だが、広い艦橋内はそれでもまだゆとりがある。
「うるっせえな、フェリス! こいつ、絶対に只者じゃねえぞ! もしかしたら、皇国のSクラスエージェントかも知れねえ。デューク・エルノースあたりが送り込んだんじゃねえか? お前、あのジジイには嫌われてんだろ?」
「失礼な。クルーは搭乗前に身元から思想まで全てチェック済みです。メイジャー・ドラクロワ。あなたは、もちろんチェックしたのでしょうね?」
「やったっつーの。このコンダクターの力を使ってな。でもよ、こんなやつ、乗り込む前にはいなかったんだ! それは俺が保証するぜ!」
明日には王都に着こうというのに、船内に不審者がいては戻れない。もしも危険人物でテロでも起こされては、それを連れてきたデューク・エールストンたるフェリシアーノ・リカルドの信頼は地に堕ちるからだ。
「え? 愛のとこに来る前には、いなかった人なの?」
「愛ちゃん? そうだけど、どした?」
拗ねて唇を尖らせたジャン=ジャックが、愛の問いに振り返った。愛は艦橋にある物全てが珍しいのであちこちうろちょろと見て回っていたが、今の騒動でジャン=ジャックが困っているようなので少し気にし始めていたのだ。
そして、聞いていると、愛には心当たりがあった。どれだけの人員が捕縛に動こうとも、捕まえるどころか、姿を見る事すら困難な人物など、愛にとっては一人しかいない。
「ごめん。それ、多分エンヤだよ。きっと愛が心配で、勝手についてきちゃったんだね」
「エンヤ? 誰それ?」
「愛の乳母なんだけど。お婆ちゃんなの」
「は? お婆ちゃん? いやいや、ははははは。愛ちゃん、こんな凄えやつがお婆ちゃんて事は無いわー。それは無いわー」
ジャン=ジャックは愛の情報を笑い飛ばした。まあ、普通そうだろう。エンヤは80歳くらいのお婆ちゃんだ。間違いなくお年寄りだ。普通なら、歩く事すら難儀な歳だ。しかし。
「あるよ。エンヤって、忍者なの。だから逃げるのも隠れるのも得意なの」
「忍者? って、何?」
ジャン=ジャックは目を点にして聞き返した。これも知らなくて当然だ。アヴァロンで忍者を知る者は、おそらくレオパルディくらいだろう。エンヤは単身でレオパルディの警戒厳重な城に良く潜入しては、壁に掛かる肖像画を逆さまにしてみたり、薔薇園を美しく整えたりという悪戯をしていた。こんな事が度々あっては、夜もおちおち寝てはいられない。
これは暗殺ならいつでも出来るぞという脅しにもなっていたが、当のエンヤはただ面白がっていただけだ。ふざけた老婆である。
と、そんな例を出しながら、愛が忍者についてジャン=ジャックたちに解説した。
「……なんなんですの、それ……? 本当に老婆、というか、人間なんですの?」
アリスの顔が蒼白になっている。魔法も魔術も使わない人間、その中でも老婆の成せる所業では無いと思ったのだろう。その気持ちは良く分かる。私も、エンヤの正体を知った時は衝撃を受けたものだ。
不思議な事に、魂を使役するネクロマンサーの私でも、エンヤは感知出来なかった。将軍もそうだが、視認範囲外では、いつもどこにいるのか分からない相手だったのだ。これは私にとって、魔法騎士を始めとする魔力回路所有者よりも、ある意味恐ろしい事だった。
「つまりそのエンヤという老婆の忍者が、倭の国から密航していたというわけでしょうか。それがもし本当であれば、ますますこのまま王都に着艦するわけにはいきません。その老婆は、危険過ぎる……」
フェリシアーノは眼鏡を外すと、目の間を摘んで「はあ」とため息した。