#21. エルザ=マリア、暴走す
文字数 1,924文字
街道上空、高層石構建築群の隙間から見える空を埋め尽くした無数の氷柱が、黒騎士目掛けて降り注いだ。
「きゃああああ!」
「うわあああああ!」
それらは次々石畳に激突し、穴を穿ち、粉々に砕け、辺り一帯に飛び散った。砕けても人の頭ほどもある氷塊が、無差別に猛然と散乱するのだ。こんな物を食らえば即死する。
「大丈夫、落ち着いて!」
「我々がいます!」
儀仗騎士団のカイトシールドが、氷を弾く。街には鋼鉄の盾と氷塊による重厚な激突音が響き渡った。意匠の施された美しかった盾は、みるみるボコボコに凹み、無残な姿へと変わってゆく。
民衆はパニック状態に陥った。当然だ。ここにいるほぼ全ての人間が、魔法戦を初めて目にしているはずなのだから。
生活用の低出力魔法は身近に溢れているが、軍事用の攻撃魔法は軍務省により厳しく管理されており、街中で濫用される事は皆無だ。永らく戦らしい戦も無く、話で聞く事もあまり無い危険な魔法が、眼前で、自分の身に降りかかる。そんな事は夢にも思っていなかった人々の恐怖は、想像に難くない。
「ヒャーッハッハッハ! 黒騎士、コロ、コロコロコロコロ、殺ーーーース!」
遥か上空から、エルザ=マリアの異様な高笑いと氷柱が地上へと降り続ける。
「黒騎士ちゃーん!」
エンヤの拘束から放たれた愛は、氷柱と氷の破片をかわしながら、黒騎士の元へ進もうとしている。
「ふぇっふぇっ、やりますなあ、姫しゃま」
横ではエンヤが人間離れした動きで、愛と同じく危険を回避している。ピンボールのようにメリハリある愛の動きと違い、エンヤの動きは流れる水のように滑らかで無駄が無い。
「いい加減にしろ、エルザ=マリア! お前は、黒騎士もろとも無関係の人間や国王陛下まで殺す気なのかっ!」
神器を無くし、肉体一つで国王陛下を包み込むしかないベルトランに代わり、クラリスが紅蓮剣で氷柱や氷塊を排除している。クラリスは巨大な氷の塊も、紅蓮剣のひと振りで瞬時に蒸発させている。
「エルザ=マリア! ここには、フェリシアーノもいますのよ! あなた、フェリシアーノがいなくなったらどうなると思ってますのっ!」
アリスは対物理力魔法障壁を展開し、フェリシアーノを守っている。
「エルザ、戦ウ。敵、殺ス。シールド騎士団以外、ミンナ、敵。敵ハ、全力デ、ブッ殺ス!」
クラリスやアリスの呼び掛けも虚しく、エルザ=マリアは暴走する暴れ馬のごとく止まらない。なぜだ? ここは、王都だ。エルザ=マリアが収監されているというダイアモンド・プリズンから、そう離れてはいない。くまさんは、完全にエルザ=マリアのコントロール下にあるはずだ。
「落ち着け、エルザ=マリア! お前の気持ちは分かっている! だが、ここは堪えろ! 私ですら、堪えているのだぞ!」
「嫌ダ! 許サナイ! 黒騎士ハ、絶対ニブチ殺ス!」
エルザ=マリアは、団長であるクラリスの説得にも耳を貸すつもりが無いようだ。騎士団の規律も軍人の戒律も持ち合わせていないのか。これほど強力な魔法を使いこなす者が、何の制御も受け付けないとは、危険にも程がある。こんな者をシールド騎士団のメンバーとしたクラリスの団長としての資質に、私は疑問を持たざるを得なかった。
しかし、確かにエルザ=マリアの魔法攻撃力は凄まじい。黒騎士は、全く何の抵抗も出来ないまま、あっという間に氷の檻に閉じ込められた。高層建築群と同じくらいの高さにまで育った氷の檻。その中に、黒い影がうっすらと見えている。だが。
「良く見てみなさいな、エルザ=マリア! 氷の中に、もう黒騎士はいませんわ!」
魔法障壁を油断なく展開するアリスが、氷の檻を指差した。その氷の中の影は、黒騎士の形をした空洞だったのだ。
「ここには、もう、黒騎士はいないのだ」
「エッ?」
エルザ=マリアが、魔法を止めた。
「逃げられたのだ、馬鹿者め……」
クラリスはぎりりと歯軋りし、天を仰いだ。
「逃げられた……というより、見逃してくれた、のかも、知れませんわね……」
アリスは魔法障壁を解除すると、フェリシアーノの頭の上に、へなへなと尻もちをついた。
「黒騎士ちゃん……」
愛は胸の前で祈るように手を組んだ。
「むお? ウイングド・ハルバートが、帰って来た、のか?」
ベルトランは、突然目の前に現れた暴風翼の大戦斧を、慌てて掴んだ。
後には、ズタボロにされた街道の舗装と、散乱した氷、震える民、そして、弛緩した静寂だけが残されていた。
〜 第三章、完 〜