#13. 魂の帰る場所
文字数 4,286文字
豪放磊落な彼が、いつまで経っても老けず、死なず、どこまでも強くなる事を、あまり気にする者はいなかった。そんな事などどうでも良くなるほどに、彼には魅力があったのだ。
私は、そんなウィンザレオと敵対していた。私の監視対象であったディア(ディアボロ)と意気投合し、行動を共にしていた事もある。駆け出しの魔導師、ネクロマンサーの力をまだ使いこなせていなかった私は、彼らに計略をもって操ろうとしていたが、ある日、ついにウィンザレオと本気の戦闘になった。
そこで、私は全力解放したウィンザレオに肉体を破壊された。ウィンザレオの馬鹿力には、駆け出しだった私の貧弱な魔法障壁など全く通用しなかった。そして、それはもう、ぐちゃぐちゃにされたのだ。その時、私は覚悟を決めた。ネクロマンサーの魔力回路の特性である、魂と精神だけの存在となる事を。
その形振り構わぬ敗走以降、私はあらゆる人種職種階級の人間に憑依し、魂を喰らい、肉体を乗っ取ってきた。
「……あの時、私の肉体は完全に死にました。まさか、それが、そのまま……?」
ぐちゃぐちゃの私の肉体が保存されているのだろうか? 想像して身震いした。
「ち、違うわよ! あたし、ちゃあんと修復して、元通りにしておいたもの〜!」
「あ、そ、そうなんですね。すいません」
なぜかつい謝ってしまった。普段はこんな事で謝罪したりしないのだが。変だ。何か調子がおかしい。心が、波立っている。
「ふむ。自分の肉体が、ある、と。愛と幸せに、と言われても、他人の肉体を乗っ取って一緒に生きて行くのはおかしいと思ったのですが……。まあ、別に肉体などなくとも、今まで通りに愛と暮らしてはいけますけれど」
我ながら思考が飛んでいた事に気づき、急に恥ずかしくなった。幸せにしてもらう、と聞いてうっかり結婚を思い浮かべてしまった結果なのだが、マーリンは別にそこまで言ってはいない。先走り過ぎて悶絶ものだ。しかし、ここは平常心のふりをしなければ。気づかれたら死ねる。4000年の生の終着がこれでは阿呆過ぎる。
「でも、やっぱり肉体があった方がいいんじゃないかしら〜? 指輪のままずっとひっついているのも、この先を考えたら閉口ものよ〜。愛ちゃんだってお年頃なんだし、性欲、とか出てくるだろうし〜。きゃ〜っ!」
「痛い。痛いですよ、マーリン。魔力漏れ出てますから。それで叩かれると私でも痛いんですから」
シャイなマーリンは、自分で言って照れたのか、私をばんばんと叩きまくった。しかし、性欲とは?
なるほど、将来、愛が誰かと閨を共にする時が来たとして、私がいては都合が悪いであろう事は想像に難くない。私が肉体を持てば、そんな場面に立ち合う事態は絶対に無いだろう。……あれ? なんだこの気持ちは? 私はどうしてこんなにも腹が立っているのだ? 猛烈に気分が悪いぞ。
「ねえ、ゼルタちゃん。あなた、アイリーンちゃんの事、好き、だったでしょう?」
「は? なななな、何を馬鹿な。彼女は、オズワルドの妻で」
「その前から、よ〜。あの二人がお互いに掛け替えの無い、ソウルメイトの絆で結ばれたパートナーだとネクロマンサーの力で分かっていても、あなたは、アイリーンちゃんを見つめ続けてきたじゃな〜い。あたし、ちゃんと分かってたのよ〜」
「それは、気のせいです。マーリンの勘違いだと断言します」
「オズワルドちゃんの魔力回路を覚醒させる為、二人の絆を強め、そして、断つ。その悲しみ苦しみが、神殺しを発現させる。あなたは、その為に二人に干渉してきたのよね〜。その時が近づくにつれ、ただでさえ暗いあなたは、もっと暗くなっていってたの、自分では分からなかったのかも知れないけれど〜」
「だから、気のせいです……、って、え? 私、ただでさえ暗いのですか?」
さり気なく酷いこと言われてないか? まあ、否定は出来ないが。明るく朗らかなネクロマンサーというのは違和感があるし、この方が良くないかな、とも思う。
「ああ。好きな子を、使命の為とはいえ、殺さなければならないかも、というあなたの苦悩は、考えただけで切なくなる……」
「……だから、勘違いですから。切なくなる理由なんて無いのですよ、マーリン……」
マーリンはぎゅっと白い法衣の胸を握り締め「ほう」と溜め息した。それはダメだ、マーリン。私を想い、誰かが苦しむのは嫌だ。私にそんな価値は、無い。
「でもね。ソウルメイトが異性同士とは限らない。アイリーンちゃんの生まれ変わりである愛ちゃんも、オズワルドの生まれ変わりであるプリンセスも、今回は女性として生まれてきたわ。だから、ね? いくら二人が魂の片割れ同士だとしても、今度は結婚とか出来ないの。つまり、愛ちゃんの旦那様は、確定されていないのよ。この意味、分かるわよね?」
マーリンは早口に捲し立てた。いつものんびりとしているマーリンとしては、非常に珍しい語り口だ。
「それくらい、分かります」
私は頷いた。
「じゃあ」
「ですが、私は違います」
私はマーリンの言葉を遮った。
「愛には、倭の姫としての責務があります。愛の相手は、倭人でなければ、侍でなければなりません。アヴァロン人と一緒になるなど、将軍が絶対に許さない」
幸せにしてもらう、とは、おそらく友達として一緒にいる事では無いと思う。愛はいつか、誰かの物になる。そして、それは絶対に私では無いのだ。
仮に、私に愛への特別な感情があるとして、そんな愛を見続ける事が、果たして幸せだと思えるだろうか? 思えるわけが無い。そんな事は、もうとっくに経験し、分かっている。
そうだ。認めよう。私は、アイリーンが好きだった。あの日々を思い出し、今、はっきりとそれが認識出来ている。
「そうね。それは大問題だわ〜。でも、」
「わはははは。そうかそうか、ゼルタは愛姫と一緒になりたいのか。いいぞいいぞ、将軍家の方はわしに任せておけば良い!」
「え?」
「あら〜、国王ちゃ〜ん」
しまった。動揺のあまり、国王への魔法が疎かになっていた。国王への拘束が緩んだのか。いつの間にか国王は私の背後に忍び寄り、にやにやといやらしい笑みを浮かべていた。なんだこのムカつく顔は!
「うわっはっはっは! アヴァロンの宮宰と、倭の姫の婚礼じゃ! これは、国を挙げて盛大に祝わねばな! うわあっはっはっは!」
「だ、黙りなさい! 操魂潜法!」
「ぐぎゃあああ! なぜだあ!」
「ちょっと、ゼルタちゃん!」
大笑いする国王が癇に触ったので、私はさらに強めの魔法を国王に放った。激痛でのたうち回る国王の姿は、昔と同じだ。私は昔、良くこうしてお仕置きをしていたのだ。
全く、この国王は相も変わらずお祭り騒ぎが好きなようだ。散々厳しく躾けてきた私が、恐ろしくはないのか? こんな私を、盛大に祝おうとは。本当に、本当に馬鹿な、国王、だ。
「酷いわね〜、ゼルタちゃん〜。国王がこう言ってくれてるんだから、甘えても」
「もう、やめて下さい!」
「えっ? ゼルタ、ちゃん?」
何の話だ? どうしてこんな話になった? もうやめてくれ。幸せなど知らない。わからない。考えた事も無い。考えたく、無かったからだ!
「また来ます!」
「ゼルタちゃん!」
私は教皇猊下執務室を飛び出した。背にマーリンの呼び掛けが追い縋るが、私はそれから必死に逃げた。心が騒ぐ。無視し、抑えつけてきた感情が、内から蓋を押し上げようと暴れている。やめろ。出てくるな。この気持ちは、一旦気づくと手に負えないものになる!
「はあっ、はあっ」
どこをどう走ってきたのか、私は愛の眠る部屋へと戻って来ていた。閉めたドアにもたれかかると、幽体であるはずの私が息を切らしていた。高価な調度品に溢れる部屋は、ビロードのカーテンの隙間から射し込む月光により淡く照らされ、しんとした静寂が支配していた。
「木霊、ちゃん?」
突然呼び掛けられ、私とした事が声を上げそうになる。愛だ。ベッドで眠っているとばかり思っていた愛が、部屋の闇から現れた。
「あ、愛。はい、木霊です。が、良く私だと分かりましたね」
なにしろ私は愛の前ではずっと指輪の中にいた。この姿で対面するのは初めてなのだ。
「木霊ちゃん」
「はい」
愛の様子がおかしい。頬に光る筋は、涙の跡、か?
「木霊ちゃあーーーーーん!」
「うわあっ!」
愛に飛び付かれた私は、思い切りドアに押し付けられた。私でなければ潰れているところだ。
「木霊ちゃん木霊ちゃん木霊ちゃああああーん!」
「ちょ、ちょっと落ち着いて下さい、愛! 何があったのですか?」
私の胸に頭をぐりぐりと擦り付けるようにする愛は、わんわんと泣き喚いている。なんだこれは? どうしたと言うのか?
「だあっでえ、目が覚めたら、木霊ちゃんがいないんだもおおおん! 指輪、呼んでも叩いても返事無いから、愛、もしかしたら木霊ちゃんに嫌われちゃったのかなってえ、もしかしたらどこかに行っちゃって、もう帰って来ないのかなって思ってえ、そう思ったら寂しくて悲しくてえ、うええええええ! もうやだあ、もう誰もいなくならないでよおおおもおおお、どこに行ってたの、木霊ちゃああああんああああうあああわうわああああああ」
「なっ、」
絶句した。愛が全力で泣いている理由が、私だと? 私がいないと寂しいのか? 私がいないと、悲しいのか?
私は、ここに、いて、いいの、か?
「すみません。愛、すみません……」
私は愛の頭を優しく撫でた。ゆっくり、ゆっくり。さらさらとした黒髪を、梳かすように。泣き止むまで、いつまでも、愛の頭を撫でていた。
幽体である私に、涙など流せない。だが、もし、もしも、幽体で無かったなら。もしも、肉体があったのなら、私は、涙を、流しているのだろうか?
ただ、この胸を満たす暖かい感覚は、幽体であっても変わらない。おそらくは、これが。
これが、幸せ、というものなのだろう――。