#18. 黒騎士、現る
文字数 3,204文字
「きゃーっ! あれ、デューク・エールストンよ!」
「フェリシアーノ様あ! 私と結婚して下さーい!」
その馬車には、若き女性たちの黄色い声が幾度も投げかけられていた。フェリシアーノは無表情で無視している。時折眼鏡のズレを直し、足を組んで座したまま、沿道へと面倒くさそうに手を振るが、一体こんな男のどこがいいと言うのだろうか? 私には分からない。
「おお。あれが今回プリンセス・シールドの団長を拝命したクラリス・ベルリオーズか。噂に違わぬ美しさだな。礼装のなんと凛々しいことよ」
「しかし、聞いていたイメージと違うな。あの赤い仮面は何なのだろう?」
「爆炎の騎士クラリスと呼ばれる理由が、赤い瞳にあると聞く。きっと強すぎるので、片目を封印しているのだ」
「なるほど。神器紅蓮剣のみでも新キングス・シールド団長ベルトランを圧倒すると言うからな。あり得る話だ……なのに、なぜクラリスは降格のような扱いをされているのだろうか?」
新旧キングス・シールド団長の揃い踏みは、野次馬にいろんな想像を駆り立たせるようだ。そして、その話を耳にする度、クラリス降格の真相はまだ明るみに出ていないと私に確信させた。人々は、愛、クラリス、ベルトラン、国王陛下、果てはエルザ=マリアのぬいぐるみくまさんなどについても、思い思いに話の花を咲かせていた。
これを企画しているのはフェリシアーノか。大したものだ。これならば大成功と言えるだろう。皆、愛を見ても警戒などしていない。これで和平ムードは一気に醸成されるはず。どこかでパレードの様子を見ているであろうプリンセスも、これならば否やは言うまい。
私はそう思い、安堵していた。アヴァロン建国から尽力してきた自負もある。愛を見守ってきた日々もある。やはり、建国2000年も愛の歓迎も、どちらも正直嬉しいのだ。
だが、そんな私の思いは浅はかだった。愛がここに来るまででも、すでにいくつかの重大な疑念が発生していたのだ。クラリスの負傷、精霊溜り、ワイバーン、アトゥムの転生……それらを一時でも忘れてはならなかった。この後、私はそれを思い知る。
「むう? なんだ、あれは?」
先頭のベルトランが空を見上げた。そしてその太い腕を横に振り出し、隊列停止を合図した。
「あれ? なんで止まるの?」
愛は手を挙げたまま周りを見渡す。
パレードの隊列本体を構成し司る儀仗騎士団の反応性は高い。先頭から最後尾まで合図が瞬時に伝わり、パレードは即時停止した。しかも、足並みは全く乱れていない。旗を掲げていようが剣を捧げていようが、全員がぴたりと同時に直立姿勢で待機した。儀仗騎士団はいついかなる時でも冷静さを失わない。
ベルトランの視線の先にあるものを、儀仗騎士団員も確認したにも関わらず、だ!
「あれは……まさか……」
クラリスがそれを見て戦慄いた。
「黒騎士!」
そして、叫んだ。
「何ぃ? あれが、黒騎士だと?」
ベルトランがかっと目を見開いた。眼球が零れ落ちそうなその顔、もはや悪魔だ。
クラリスが黒騎士と断定したそれは、何もない空にまるで大地があるかのように立っていた。それは黒い甲冑、黒いマント、そして、マスクの部分だけが白い髑髏になっている兜を被っている。そこには、石造りの高層建築群を背景に、昼でありながら夜を連れているような、不吉な闇に覆われた骸骨顔の騎士が、浮いていた。そして、じっとパレードの隊列を見下ろしている。
「きゃああああ!」
「なんだありゃあ?」
「なんて不気味なやつなんだ!」
群衆も何の前触れも無く唐突に現れた黒騎士に気づくと、私と同じような感想を吐き出した。見る者を不安にさせる何かが、あれにはある。
「なに、あの骸骨仮面? ねえ、アリスちゃん?」
愛は特に怖れるでもなく、普通にアリスに尋ねている。鈍感というわけでは無い。愛は良く分からないモノを良く分からないからと意味なく怖れたりしない。
「あ、アレは、アレは、黒騎士、ですわ……」
「アリスちゃん? 震えてる、の?」
アリスは愛の髪に隠れ、歯をカチカチと鳴らしながらアレの名を答えた。
「アレは、っ、アレがっ、お姉様のっ、左目をっ、左腕をっ、奪った、者なのですわっ!」
アリスは吐き捨てるようにそう言うと、ドレスの胸を引き裂かんばかりに握り締めた。
「クラリスの? アレが? そうなんだ……」
愛はうなじの後ろに隠れて震えるアリスを、そっと片手で包み込んだ。
「大丈夫だよ、アリスちゃん。愛がいるから」
そして、優しくそう言い聞かせた。
「ふぇっふぇっ。大丈夫ではありませんぞえ、姫しゃま。あやつ、とてつもなく禍々しい気を纏っておりますれば。触らぬが吉ですじゃ」
若返ったエンヤの頬を、汗が伝った。私は、こんなに緊張したエンヤを見るのは初めてだ。レオパルディの1000を超える軍勢にも、平然と一人で飛び込む豪胆な老婆、エンヤ。それが、たった一人のあれを見て、怖れを抱いていると言うのか。
「退がれ、ベルトラン! 国王陛下と共に退がり、お守りするのだ!」
クラリスが隊列を抜け出し猛然と駆け出した。
「何だと! 貴様、俺に指図を」
「黙れっ! お前の本分を忘れたかっ!」
「ぐっ……だが、退った後、俺だけはまた戻る! 一人で先走るなよ、クラリス!」
クラリスが正しい。ベルトランもそれを悟り、素直に後退を開始した。とは言え、衆目がある。無様を晒すわけにもいかず、ベルトランは整然とした隊列の維持をしつつ後退する作業を、訓練を積んだ儀仗騎士団に一任した。
「会いたかったぞ、黒騎士! 無念に散った仲間の恨み、今、ここで晴らさせてもらおうか! 出でよ、我が神器! アンフラム・ファルシオン!」
クラリスは黒騎士の直下でブーツをがががと滑らせて止まると、腕を横に振り払い、紅蓮剣を出現させた。
「ダ、ダメえ、お姉様あ! まだ、まだっ……お姉様は、お体が完全ではありませんわっ!」
アリスが愛の髪から飛び出した。手を伸ばし、必死で翅を羽ばたかせるアリスの様子は、黒騎士への対策が何もないのを私に予感させた。無策で挑めば、今度は命まで奪われるだろう。それは相手が誰であろうと同じ、戦闘における不変のロジックだ。
それにしても、とんでもないリスクが潜んでいたものだ。平和な時代の王族警護など、実はどんな騎士にやらせても同じだと高をくくっていたのだが……これは、不謹慎ながら面白くなりそうだ。
さて、いざとなれば、私が出ていってもいいのだが、どうするか? とりあえず様子見するのは定石として、黒騎士のステータスくらいは探るとしよう。空に浮いているくらいなので何らかの魔力回路保有者なのだろうが、それを知るだけでも十分だ。
そこで、私は驚愕する。
(なんだと……そんな馬鹿な!)
私の力をもってしても、黒騎士の魔力回路はおろか、魔力量、つまり、魂の器すら計れなかった。ただ、属性だけは判明した。火、水、土、風、そして、光と闇の六属性中の、闇である。それも、私と同じく、混じりっ気無しの、純粋な闇。黒騎士は、何もかもが真っ黒だった。
闇属性は魔法を吸収する性質の為、探査魔法等も効きにくい。それでも、この私をして計り知れないとは、ちょっと考えられない事だ。
黒騎士は、見ている。静かに、ただ、じっと見つめている。その髑髏マスクの奥にある、青く仄暗い光は、真っ直ぐ愛を見つめていた。