#2. プリンセス・アヴァロン
文字数 3,454文字
そもそも、王家に警護騎士任命の権限は無い。最終的には宮宰である私が可否を判断するのだが、現在は愛の指輪として隠遁中の為、それはエインズワースに委ねられていた。
つまり、エインズワースが王家暗殺の為に不義の騎士を送り込む事は容易い状態にある。遥か昔からアヴァロン王家への忠義に疑問を抱いていた私は、この機にエインズワースが動いてくれれば、排除出来ていいと思っていたのだが……そう簡単に尻尾を出してはくれないようだ。
ベルトランには私との事は口止めしてあるし、エスメラルダの口も封じてある。国王もマーリンも私がアヴァロンに帰ってきている事など誰にも伝えていないはず。アヴァロン乗っ取りに一番邪魔な私がいない今、エインズワースは必ず動くと踏んでいた私の計算は、見事外れた。では、エインズワースは本当にアヴァロンへの忠誠を誓う臣下であったのか? そうであればいいとは思う。
と言うわけで、ここはツインタワー王城側の22階層。プリンセスの居室兼執務室にて、クラリスに従い、臣下の礼をとっているところになる。
「新プリンセス・シールド、揃いましてございます。プリンセス。どうか、謁見くださいますように」
シールド騎士団服に身を包み、団長専用マントを羽織るクラリスは、ふかふかの絨毯が敷かれた床に跪き、頭を垂れて請願した。その横には小さな妖精のアリスが、同じように膝をついている。さらに後ろには、愛を真ん中にして、エスメラルダ、エルザ=マリアのくまさんが、並んで跪いていた。
「良く、ここまで辿り着いてくれましたね、クラリス。そして、皆さん。今、私がプリンセスにお取り次ぎ致します」
そう言って隣の部屋の扉をノックしたのは、エールストン公爵フェリシアーノ・リカルドだ。地味な色目の細身のスーツにチーフタイという、公爵にしては些か質素な身なりでありながら、それでも華やかに見えてしまうのはこの男の特性か。
隣の部屋は、プリンセスの居室となる。普段、この居室からほとんど出ないという話を聞いていたが、本当だろうか? 一般市民の感覚からすれば十分に快適で広い部屋だが……アヴァロン皇国という巨大な国家のプリンセスが起居するには、あまりにも粗末だ。これでは、地方領主の姫の方が、よほど豪奢な暮らしをしているように見えてしまう。
執務室にしても、そうだ。プリンセスの実務などほとんど無いのだからこれで十分なのだろうが、これは流石に狭すぎる。プリンセス・シールドの5人、実質4人とフェリシアーノ、窓を背にした机だけで、もうこの部屋は一杯だ。壁や天井にもそれなりにいい素材は使われているが、いかにも取り繕っている感じがして、気分が悪くなる部屋である。
なぜ、気分が悪くなるのか? それは、この部屋から汲み取れる意図のせいだろう。この部屋から伝わるのは、明らかな"冷遇"。プリンセスへの冷遇が、この部屋を構成しているのだ。
私がそうした考えを巡らせていると、隣のドアが開いた。フェリシアーノが開いたドアから、まずふわりとしたレースが見えた。これは、プリンセスのドレスの裾か。裾からは、艷やかな黒いヒールが覗いていた。
「ご機嫌よう、クラリス。久しぶりね」
そして、プリンセスがその姿を全て現した。つい、と無機質に執務室へと進み出た様は、見えない壁を張り巡らせているようだった。それは拒絶。クラリスには儀礼上声をかけただけに過ぎないと、すぐに分かるほどだった。
小さな頭の左右でまとめられ、くるくると巻かれた金色の長い髪。肩と胸の大きく開いた、夏用の薄手のドレスは淡い草色。プリンセスを示す、三本角のティアラ。その透き通る青い瞳は、暗くクラリスを見下ろした。
「は。お久しぶりでございます。再びお目にかかれて光栄にございます、プリンセス」
クラリスは、更に恭しく頭を下げた。普段のクラリスからは想像出来ないほどの礼儀正しさだ。どうやら礼をとる相手ととらない相手が、クラリスの中でははっきり区別されているらしい。
「ふうん。私に会えて嬉しいかしら? そんな人、私はいないと思うけれど」
プリンセスは、そんなクラリスに疑惑の視線を投げかけた。ほう。私はプリンセスを初めて見るのだが、こんなに屈折しているのか。あれは、誰も信じていない目だ。面白い。愛とは真逆の瞳を持っている。
「そんな事はございません」
「そうです。プリンセス、そんな風に考えるのはよしましょう」
クラリスとフェリシアーノは、プリンセスの言を即座に否定した。フェリシアーノは苦笑い。扱い難く感じているのが良く分かる。クラリスの社交辞令にさえ過敏に食ってかかるようでは、プリンセスの精神性は知れている。これはどうやら下らない子どものようだ。
「えー? 愛は嬉しいよ? だって、これから愛が守る子なんだもん!」
が、愛は、そんなプリンセスに思い切り笑いかけた。
「なっ……?」
虚をつかれたプリンセスは、絶句している。
「こ! こら、愛!」
「愛姫、いえ、もう愛と呼びますが。プリンセスの許可もなく顔を上げ、こともあろうか立ち上がり発言までするとは、無礼にも程がありますよ。控えなさい」
慌てたのは、クラリスとフェリシアーノだ。二人とも、これが普通の謁見で無いことを失念していたらしい。普通の騎士であれば、この地位に辿り着くまでに礼儀作法は完璧に習得しているのだから、こんな無礼を警戒する必要は無かった。が、今回シールド騎士となったのは、異例中の異例とも言える者。ここはそこまで気が回らなかったクラリスとフェリシアーノの失態だろう。
「ふ、ふえええ……あああ、愛さあん、凄いいいい」
エスメラルダにとっては、そんな作法も権威も意に介さない愛が眩しく見えているようだ。エスメラルダは、愛の優しさを感じ取れてしまうからだろう。
「あ。そうなの? ごめんねー。でも、その子、すっごく寂しいことを言うからさ。愛、そういうの、黙っていられないんだよー」
愛は「たはは」と笑うと素直にまた膝をついた。この悪気の無さが愛の怖さだ。愛を従える者にとって、これは恐怖でしかない。相当の度量を持つ者でなければ、愛を従える事は出来ないのだ。
「……あなたは、愛……?」
「たは? うん、そうだけ、ど?」
そんな愛を見たプリンセスの様子がおかしい。ガラス玉のようだった瞳は力を得て、夢遊しているかのごとく愛へと向かった。愛は愛で、プリンセスから目が離せなくなっている。また立ち上がった愛の夜空のような瞳は、プリンセスだけを映していた。
「プリンセス?」
「愛? どうした、愛?」
フェリシアーノがプリンセスへ、クラリスが愛へと呼びかける。が、二人は何も反応せず、ただ吸い寄せられるように近付いた。そして、二人は見つめ合う。
なんだ、これは? どうしたんだ、愛? う? この、この感覚は……この、圧倒的な衝撃は!
「あなたが、私の……」
プリンセスは満足そうに微笑むと、涙を流した。
「そうか……愛は、愛は、あなたと会う為に、生まれてきたんだね……」
愛はにっこり笑うと、プリンセスを抱き締めた。プリンセスも、愛と同じくアヴァロン人にしては小さめだ。
「なんだ、これは……?」
フェリシアーノはただ見ている。
「何が、起こっているのだ……?」
クラリスも同じだった。当然だろう。これは、余人には分からない現象なのだから。
う、うお、お。そうだ。そうだった。二人は、二人は。【ソウルメイト】だったのだ!
自分の魂の片割れ、太古に分かたれた2つの魂。必ずどこかに存在する、運命の相手。それは欠けていた心を満たし、絶対的な幸せをもたらす。それが、ソウルメイト。ついに完成する、本当の魂だ。
執務室は、二人の魂が生み出した光の粒子によってきらきらと輝いた。光の粒は喜びに溢れ、踊るように乱舞した。
「ふわあああー、き、きれいですううう」
エスメラルダは、両手を掲げてくるくると回る。エスメラルダは光と踊った。