#7. 教皇マーリン
文字数 2,500文字
私は瀕死の状態のベルトランを浮かせたまま、マーリンの前に差し出した。私は治癒魔法が得意では無い。光の属性である治癒魔法は、純然たる闇属性の私とは相性が良くないのだ。使えない事は無いが、あまりにも魔力効率が悪いので、出来れば使いたくないのだ。
「あらら〜。ベルちゃんたら、見事にボコボコにされちゃったわね〜。ゼルタちゃん、これはやりすぎだわ〜。めっ、よ。めっ」
「私は何もしていませんよ。ただ攻撃を受け続けていただけです。あと、4000歳にもなる私に、めっとか言うの、やめてもらえます?」
言っている本人は12000歳を超えている。歳を考えた口調を心掛けて欲しいものだ。マーリンの口調には、4000年付き合っても慣れない。
「な〜に? 歳を考えろって? それ、あたしにも思ってるんでしょ〜? 酷いわあ、ゼルタちゃん〜。私を年寄り扱いしたいんだ〜」
マーリンは顔を覆っていやいやと体を左右に捩った。腰を振り振りいじける様は、見ていて苛立ちすら感じる。というか苛立ちしか感じない。
「図星ですが、それはまた後で話し合いましょう。まずはベルトランを何とかして下さい。そろそろ死にますよ、その男?」
「図星なの!? も〜、相変わらず正直ね〜。その男? って疑問符つけるのも正直よね〜。くすくす」
マーリンは笑いながら手をかざし、ベルトランを執務室ソファに寝かせた。魔力を限界まで放出したベルトランの魂は崩壊寸前にまで弱っている。魂の修復を担う肉体も、止血はしたがかなり危険な状態だ。ベルトランは、ネクロマンサーとしての私の毒素を、手から体内に致死量近くまで取り込んでしまった。正直、笑っている場合では無い。
「ま、ベルちゃんには幸い魔力回路が無いからね〜。おかげで治癒魔法が良く効くから、こんなにされても簡単に治してあげられるわ〜」
マーリンが鼻歌混じりにベルトランへと手を向けた。マーリンの手が白く光り輝くと、ベルトランの怪我がみるみる元に戻ってゆく。その間、わずか3秒。どんなに高位の治癒魔導師でも、ここまで迅速に治すのは不可能だ。
「良し、終わり〜。あたし、ベルちゃんには期待しているから〜、こんな無意味な戦いで死なれたら困っちゃう〜」
苦しげに喘いでいたベルトランが、つるつるの頭の血色も良く、穏やかな寝顔を晒している。
「……ぐふおああ〜、がぶおあああ〜、キシキシキシキシ」
そして、大口開けて盛大ないびきと歯軋りを奏で始めた。なんという不愉快な音色だ。
「あらら〜。治すのは失敗だったかしら〜。もっとつまらない事で死にたいのかしらね〜、この子は〜」
マーリンが耳を塞いで笑顔を引き攣らせている。え? 今治したのに、殺しちゃう気か?
「耳障りであれば結界魔法を使って下さい、マーリン」
「あら、そうね〜。あたしとした事が、つい短気を起こしちゃうところだったわ〜。おほほほほ〜」
マーリンが指を鳴らすと、ガラスのような立方体が現れ、ベルトランを閉じ込めた。光、音、魔法、何もかもを遮断する、マーリン得意の結界魔法だ。空気孔を開けておかないとベルトランは閉じ込められた虫のように窒息死してしまうが、多分マーリンはそこも考えているはずだ。いなかったらいなかったで構わないので、私はわざわざ注意はしない事にした。
「ほう。それにしても、ベルトランに死なれると困るとは。マーリンが、こんな不細工な男をそこまで買っているとは思いませんでしたね」
正直な気持ちだ。確かに強い男ではあるが、所詮は人間の域を出ない。これならば、新種の亜人でも探して鍛えた方が希望を持てる。
「うふふ。まあ、ね。ベルちゃん、やっとキングス・シールドの団長になってくれたんだもの〜」
「え? ああ、そうそう、以前の団長は、クラリスだったらしいですね。つまりマーリンとしては、クラリスよりはベルトランの方がキングス・シールド団長に相応しいと?」
「そうね〜。クラリスちゃんはベルちゃんよりも遥かに強かったんだけど〜……」
「けど?」
クラリスの方が強いだと? しかも遥かに? 神器を比べれば、アルフラム・ファルシオンとウイングド・ハルバートは互角に思える。では、他に何か差があるのか?
「クラリスちゃん、自分しか見てないのよね〜……」
「自分、しか?」
マーリンらしくない、歯切れの悪い言い回しだ。何か事情がありそうだが。
「まあ、立ち話もなんだ。二人とも、ソファにでも腰掛けて、ゆっくりと話せば良い。あと、わしもそろそろソファに、というか、床に降ろしてもらいたい」
「あ」
「あ」
執務室天井付近で、国王が腕を組んで我々を見下ろしている。私もマーリンも、国王の存在をすっかり忘れ去っていた。
「ゼルタよ。おぬしは我らにいろいろ聞きたい事があると思うが、我らもいろいろと聞きたいし、言いたい事がある。いきなりだが、まずは喫緊の脅威である黒騎士について、おぬしには知っておいてもらいたいのだ」
国王は床に降り立つと、ローブをばさりと翻してそう告げた。
「黒騎士、ですか」
出現当時キングス・シールド団長だったというクラリスに瀕死の重傷を負わせた騎士。この情報だけでも、解せない点がかなりある。
キングス・シールドと戦ったのであれば、黒騎士は国王の前に現れたはずだ。そして、警護の騎士団を壊滅させたにも関わらず、国王は無事だった。それは今、目の前の国王が元気である事から推察出来る。国王が城を出る事は滅多に無いので、襲撃は城内という推論も成り立つが、警戒レベルは最大のはずのこの城に、黒騎士はどうやって侵入したのか? 常識で考えれば分からない事ばかりだ。
「そうね〜、国王ちゃん〜。まずは、それになるかしらね〜」
「うむ。やっぱ、そうだよね〜」
にこやかに顔を見合わせ、幼児のようにゆっくり深く頷き合う二人に、シリアスモードに入っていた私の心はずっこけた。