#2. 環状六島
文字数 3,090文字
「うおわあっ!」
フェリシアーノが公爵らしからぬ奇声を上げて、キャプテンシートからずり落ちた。エンヤだ。エンヤが突然フェリシアーノの後ろに現れ、うなじに息を吹き掛けるように喋ったせいだ。
「あ! エンヤだあ!」
「ひえっ、ひえっ。姫様、お久ですじゃ」
エンヤを見て、愛の笑顔が花咲いた。愛とエンヤにしてみれば、久しぶりという感覚にもなるだろう。エンヤが愛の側を離れた事など、ほとんど無いのだ。
「なにい! これ、本当にババアじゃねえか! 信じられねえ……! こんなババアが捕まえられなかったのかよ!」
「……ほ、本当に、見た目は普通の、まあ、倭人では普通のお婆ちゃんですけれど……それが返って怖ろしいですわ……」
ついに目にしたエンヤに、ジャン=ジャックは驚嘆し、アリスはたじろいだ。猫背気味の、皺くちゃで白髪の小さな老婆、エンヤ。魔法探知も人海戦術による追尾も、純粋な体術のみで切り抜けたのが、こんな老衰も間近と見える老婆だったとなれば、その恐怖は更に増幅されるだろう。
「あ、あなたが、エンヤ、さん?」
「そうじゃが、何かの?」
キャプテンシートにしがみついて立ち上がったフェリシアーノに、エンヤはさもいるのが当然という風情で答えた。
「な、何かのではありません。私は東条将軍に、愛姫への従者は認めないと、はっきり言いましたし、将軍も"あい分かった"と」
「そうじゃの。だから、わしはこの船に密航したのじゃ」
「……は?」
「は? ではないぞい、若僧。認められぬとならば、勝手についてゆくしかないじゃろ? だいたい、姫様一人を異国にやったという話なんぞを、他国に知られてみい。特に【華の国】なぞ、モノ笑いの種にするに決まっちょろうが。そんな屈辱、とても堪えられるものではないわ」
ふふんと鼻息荒く語るエンヤに、フェリシアーノは開いた口を閉じるのも忘れている。華の国とは、沈没した倭の国の北方に位置する同程度の国土を持った島国で、太古より交易もあれば戦争もしてきた、海を隔てた隣国だ。倭の国は、この華の国から、文化的に大きな影響を受けていた。
バスクランド王国、マテリア連邦、イディアル帝国、フランジリカ共和国、華の国、そして、沈んだ倭の国。これら環状六島が、アヴァロン皇国の治めるユースフロウ大陸を取り囲むように存在する。陸地は、これが全てだ。
ほぼ真円のユースフロウ大陸、そして正確に六等分の間隔で配置された環状六島。その中心に、エルンスト教本協会、ツインタワーが天に向かって聳えている。
つまり、この世界の陸地は、全てこのツインタワーの為にある、と言う事だ。ツインタワーは、天空の更に遥か彼方にある【天界】の直下に建てられた。いざとなれば、天界を攻撃する為に。この世界の、全能力を注いで。
この第七世界の形を作り上げたのは、第一世界唯一の生き残りの、ある少女型アンドロイドだった。それが、エルンストをリーダーとする、第一次天界戦役の時である。この戦いに敗れた主神アトゥムは、撤退時に、人々の言語をお互い通じないようにした。
そして2000年前、この第七世界において、二度目の天界戦役が勃発した。それは第一次天界戦役に比べれば非常に偶発的で、瞬間的な戦いだった。第二次天界戦役と名付けられたその戦いで天界三位の実力者、戦女神ヴァルキュリアを葬ったオズワルド・アヴァロンが、慈愛の女神マーリンと協力して建国したのが、現在のアヴァロン皇国である。
この時、天界との和平交渉が成立し、アトゥムは誠意の印しとして、異国人同士でも言語が通じるようにした。これだけでも、アトゥムの凄まじい魔力が肌で理解出来る。しかしそれはユースフロウ大陸に限定された、遅効性の魔法だったらしい。そのせいで倭の国は侵略者だと誤認され、しばらく戦を余儀なくされたのだ。
「……密航した理由は理解しました。とは言え、容認は出来ません」
フェリシアーノはキャプテンシートに座り直し、威厳を整えた。厳しい口調は、エンヤを許す気が無い事を知らしめた。
「構わん。許されようが許されまいが、わしのやる事は変わらんからの。ひょっひょっひょっ」
駆け付けた銃士隊に取り囲まれながらも、エンヤは飄々と笑う。この状況、レオパルディは諦めて大人しくなっていたが、この老婆には通用しない。
「やめようよ。みんな、エンヤにやられちゃうよう」
愛がハラハラしているが、心配しているのはエンヤでは無く、銃士隊の方だった。まあ、エンヤに稽古をつけてもらっていた愛だからこその心配なのだが。愛の超人的なパワーもスピードも、この老婆には無力だったからなあ。全く意味が分からない強さを持つ老婆だ。
「このお婆ちゃん、そんなに強いんですの、愛?」
「強いよ。愛なんか相手にならない位だよ。でも、自分から戦ったりしないから。お願いみんな、エンヤを戦わせないであげて。エンヤ、いい人なんだよう。許してあげてよお」
ふうむ。愛には将来は神と戦い、勝ってもらわねばならないのだが、今はまだ、こんな老婆にすら勝てないのか……いやいや、この老婆おかしいからな。魔法無しの条件で戦えば、おそらく世界最強だしな。なにしろ、体術を極めた忍者の、さらに統領だからな。将軍家御庭番衆、空牙の統領だからな。
「はー。では、勝手になさい。いいですか? あなたは、無断で愛姫に付き添ってきた老婆。アヴァロンは認めませんが、無力で健気な老婆の為、従者として働くのを強制的に阻んだりはしません。と、いう事にしておきます。が、その代わり、衣食住、安全の保障もしません。万が一、アヴァロンに敵対すれば、愛姫の意向など斟酌せず処断しますが、それでも構いませんか?」
フェリシアーノは折れた。
「ひょっひょっひょっ、構わぬ構わぬ。なんじゃ、おぬし、いい男じゃの。どれ、お礼に一つ、抱擁してやるとするかの。ひょっひょっひょっ」
「うわああああ! いいです、結構です、余計な気遣いは無用です!」
喜びのあまりフェリシアーノを抱き締めようとエンヤが忍び寄る。フェリシアーノは全力で拒否したが、
「あああああ、あああー……」
逃げ切れず、最終的にはぎゅううううと力いっぱい抱き締められた。フェリシアーノは口から魂が抜けかけている。ネクロマンサーたる私だから見えるのだが、こんなケースは珍しい。これは面白いものが見られた。
「話はまとまったみたいだな。ようし、んじゃ、着艦するとしようか。王城のドックが、大手を広げて歓迎してくれてるぜ」
眼下にあるのは、巨大な王城。その城の横には、飛空船専用のドーム型ドックがあり、その天井が割れて左右に開いてゆくところだった。話の行方を予想していたジャン=ジャックは、船を早々にドックまで進めていたようだ。
さて、15年振りの、王都だ。
何が変わり、何が変わっていないのか、少々楽しみではあるが、まずは。
まずは、教皇猊下を訪ねよう。
あの人は、意外と寂しがり屋だからな。最初に行かないと拗ねて文句を言われるだろうし、報告したい事も、聞きたい事も山ほどある。
この時、私はやはり帰ってきた安堵から油断をしていたのだろう。もっとしっかり、ちゃんと教皇猊下を観察出来ていたならば、敵の策略にもっと早く気づけていたのかも知れない。
これが痛恨のミスとなる事を、私はまだ知らないのだ――。