#16. エルザ=マリア・フェルンバッハ
文字数 1,986文字
「鶴翼の陣」
「はっ」
将軍の下知に従い、武士団が街道の左右に展開した。武士団は背中の槍を構えている。一度突破させて、左右から突き崩す作戦だ。が、これは本来数に勝る軍が採る戦術だ。こちらの鶴翼よりもレオパルディが軍を広くすれば、面で圧し潰される事になる。
まあ、将軍の操軍は変幻自在だ。レオパルディがそう出ても、今度は後ろに回り込むようにするだろう。倭の軍馬は鍛えられた駿馬が多い。装甲馬を翻弄するのは十八番だ。
「アリス」
「分かっておりますわ。倭とレオパルディを衝突させる愚は冒しません」
アリスは空中にて腕を組んで、尊大に板のような胸を反らした。
「エルザ=マリア!」
そして、その名を叫んだ。
「ハーイ」
街道の外れ、関所の門前にいつの間にか着底していた飛空船の方から、間の抜けた返事があった。飛空船はクラリスを収容する為、着底したのだろう。見れば、飛空船の甲板柵に、ぴょこんと頭を出した影がある。
返事をしたのはアレなのか? そうとしか思えない。が、いや、しかし。あれは、あれは。
「うわあー! くまさんだあー!」
愛が目を輝かせた。
それは確かにくまさんだった。なぜくまではなくくまさんなのかと問われれば、そう呼ぶ方が似合うからとしか答えようが無い。それほどにあれはくまさんだった。人間大の、青いぬいぐるみのくまさんだ。もう抱きつきたくなるほどもふもふのくまさんだ。
「呼ンダー、アリスー?」
カタコトで喋るくまさんは、こちらに向けて真ん丸な手を振った。そのくまさんが手を振る飛空船の舷側に沿って、レオパルディ軍が駆けている。飛空船はその地響きで小刻みに揺れていた。
「ええ、呼びましたわ。エルザ=マリア! 眼下にあるレオパルディ軍をお止めなさい!」
アリスは手を振り払った。
「イイノ? ヤッター! 殺シテイイ? 殺シテイイ?」
見かけの可愛さに似合わず、物騒な事を口走るくまさんだ。発言が完全に殺人狂だ。
「ダメですわ! あなた、もう騎士なんですのよ! プリンセス・シールドの一員として、恥ずかしくない言動をして下さいな!」
「知ラナーイ。メンドクサーイ。殺スネ、イイ?」
「ダメえ! 怪我くらいなら仕方ありませんけど、殺すのはダメですわっ!」
「モー、ツマンナーイ。デモ、暇ダカラヤルー」
くまさんは怠そうに飛空船を過ぎ去りつつあるレオパルディ軍に手をかざした。魔法を使えるのか、あのくまさんは?
それにしても、あれが、騎士? ぬいぐるみの騎士など前代未聞だ。私が王都を離れている間に、アヴァロンも随分と柔軟になったものだ。帰ったら事の経緯を聞いてみよう。これで、楽しみがまた一つ増えたというものだ。
「スベスベ地獄ー」
くまさんが魔法を唱えた。のか? 良く分からないが、直後、夥しい冷気が発生し、レオパルディ軍の行く手の道を瞬間的に凍結させた。やるな。あんなに怠そうにしながら、これだけの威力を発揮させるとは。見た目はくまさんだが、実力は確かにシールド騎士団に見合うもののようだ。
「うおおおお!」
「なにいいい!」
「ぎゃあああ!」
真夏に現れた凍結路に全速力で突入したレオパルディ軍は、予想通り転倒転落滑走衝突を繰り返し、瞬く間に戦闘不能に陥った。人馬共に悲鳴が蝉時雨のごとく夏の街道に降り注ぐ。
「良くやりましたわ、エルザ=マリア」
アリスは飛空船のくまさんに向けて親指を立てて見せた。
「コレクライ、チョロイ」
くまさんもサムズアップを返すつもりで手を挙げたが、ぬいぐるみの手に指はついていなかった。
「ふうむ。さすがはエルザ=マリア・フェルンバッハ。大陸一の大魔術師、フェルンバッハ家の娘ですね……!」
フェリシアーノが眼鏡のズレを人差し指で直しつつ嘆息した。
ほう、あれがフェルンバッハ家の。
エルザ=マリア・フェルンバッハ。
が、あのくまさんの中にいるのか?
いや、あのくまさんに生体反応は無い。つまりあれは本当にただのぬいぐるみだ。エルザ=マリアは、あのくまのぬいぐるみを、魔術で遠隔操作しているのだ。そして、どんなパペット・マスターでも、遠隔操作までが限界だが、さらに魔法を使って見せた。これはとんでもない高等技術だ。
「危険な魔術師だ、エルザ=マリア・フェルンバッハ。やはり彼女は、大監獄から出してはいけない。ダイヤモンド・プリズンで、厳重に監視しなければならない……」
フェリシアーノが、一人しみじみと呟いた。